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目が覚めると薬品のような臭いが鼻についた。それは病院でするようなアルコールのスッとした臭いではなくて、漢方のような苦い植物の臭いだ。
体を起こすと周りには試験管が幾つか並んでいるのが見えた。中の溶液が窓から差し込む光で七色に光っている。試験管が置かれているチェストは相当古いようで、ところどころ亀裂が入っていた。それに蔦も何本か絡みつきコケもむしていてあまり手入れもされていないようだ。それはなにもチェストに限ったことではなくて、周りのもの全てがそうだった。手入れをされずに半ば放置されたような家。それとなく置かれたような絨毯は枯葉が巻きついて色が褪せているし、本棚にはホコリが積もっている。風が吹いているのに気づいて目を向けると、窓の枠は歪んでいてガラスも割れていた。私が寝かされていたベッドも普段は使われていなかったのか半分がビーカーやらなんやら、理科の実験なんかで見るような用品で溢れていた。きっとここに住んでいる人はかなりズボラなのかもしれない。そもそもここで生活をしていないのかも。

この場所は例えるなら森奥の魔女の家……そんなイメージにぴったりだ。世間から離れて穏やかに暮らしていそうな魔女。その魔女――この家の主を探しにでも行こうかと考えた。

ちゃんと締まらないドアを開けて外に出る。そこは森の中の少し開けた場所で、気持ちのいい木漏れ日に私は目を細めた。周りは木々が生い茂るばかりで他には何も無い。閉鎖的な空間だと思った。唯一固有の物である家は外から見てもやはり古く見える物で、巨大な大木を横倒しにして中身をくり抜いたような不思議な形をしている。上部には柱状の謎のでっぱりがあった。煙突のようだ。

周りをもっと散策しようと腰ほどまで伸びている草をかきわけ歩いていると、1箇所だけ妙に草が伸びていないところがあることに気づいた。まるで宇宙人が作ったミステリーサークルのように円形にまるっと空間があいている。そういうところは何かしらあるものだ。近づくと鼻を突く異臭がした。普段は嗅がない類の臭いだけど、何の臭いかは想像に難くはない。鼻を抑えながらさらに近づくと、そこには黒ずんだ物体が小さな山を作っていた。羽虫が跋扈していて汚らしい。私はその場所から離れようとした瞬間何か小さなものが動くのを視界に捉えて動きを止めた。生き物だ。チワワ程度の大きさの生き物がこちらを見ている。変わった生き物で図鑑でもテレビの中でも見たことがない見た目。ファンタジーの世界からやってきたようなそんな印象を私は持った。触ってみたい。そんな好奇心が私の中に湧き上がった。従来より生き物は好きだったし、その生き物は私の方を見て警戒してはいるが別に怖がっている様子には見えなかった。日光浴中の猫が近くを歩く人間に目を向けているようなそんな素朴さを感じる。だからもしかしたら、この生き物の気分次第では触れるかもしれないと思った。私は近づいていき手を伸ばした。

「止めた方がいい」

そう制止する男の人の声がして私はピタリと止まった。生き物は驚いた様子で長く生い茂ってる草の中へ逃げ込んで行ってしまった。

声がした方へ振り返ると不思議な人が立っていた。女子高生がスカートを短くするために何回も織り込んだような、首周りの生地の謎の膨らみ。そこから何層にも重ねられた襟巻状から更に体を覆い隠すほど長いマントが伸びている。民族衣装にも見える。けれどもマントの下は素肌を思わせる全身タイツのようで、辛うじてそれが見えた時私は流石にそれは如何なものだろうかと思った。

「普段は死骸を食べるような連中だが、人間の娘を襲わないとも限らない」

連中……。先ほど件の生き物がいた方向を見るとたくさんの目がこちらを向いていた。他にも仲間がいたようだ。少しゾッとした。

目の前の人物に目を合わせる。見た目は胡散臭いが家の主なのは間違いないとみた。

「ここはどこ?」

私はかねてから疑問に思っていたことを口にした。私はこの場所を知らない。近くに森もない場所に住んでいたし、こんなところにいるはずが無いのだ。誘拐でもされたのなら話は別だが。

だが、相手はその質問に答える前に私にずいと寄ってくると手を掴んできた。私は驚いた。普通、面識のない初対面の人の手を掴むだろうか。けれど不思議と嫌な気はしなかった。

「一旦室内へ」

そう促され私は黙って手を引かれるままに歩き出した。相手の後ろ姿を見る。変な人だ。不思議な人だ。あの家にはこんな人が住んでいたんだ。

「ここはノドから北西に3kmほどの場所だ」

私をベッドに座らせ、棚に置いてあったガラスの容器に手を伸ばしながら先ほどの私の問いかけに相手は答えてくれた。

「のど……ノド?」

ノド。聞いたことがない地名だった。

「ノドから来たのでは?この辺りには他に人が住める場所は無いが」

人が住める場所が無い、と言うことは余っ程の田舎なのか。私は首をかしげた。ここで目が覚める前、自分が何処で何をしていたのか。それさえ分かればここにいる原因も分かりそうなものだけど、生憎なことに記憶がはっきりとしない。

「思い出せない」と、素直に口にすれば相手は「そうか」と頷いた。

と、私はあることに気づいた。相手は私に背を向けていたのだがチラとその手元が見えた。火が揺らめいていた。それだけなら何も気になるようなことは無いのだけど、その火がコンロやライターから出ているわけではなくて直接手から出ているように見えたからだ。

「それ、どうなってるの?」

「それ、とは」

相手は体をこちらへ向けた。やっぱり手から火が出ているようにしか見えない。その火で水を熱していたようだ。

「手から火が出てる」

「不思議なことを言う」

さも手から火を出すのは当たり前という様子で言われてしまったが、私からしたらそっちの方が不思議でたまらない。手から火を出すなんて芸当はマジシャンぐらいしかやらないだろうし、普通はできない。

「火を扱うのはなにも魔人だけの特権ではないだろう。君の村にはバスターはいなかったのか?」

聞き慣れない言葉が飛び交って私は困った。

「何のことだか……」

「言葉の意味が分からないか、そうか。なるほど、どうりでわたしの姿を見ても怖がらない訳だ」

勝手に納得している。相手は水が煮沸しているのを見て手の火を消すと、カップにお湯を注いだ。どうやらお茶を作っていたようだ。

「君の状況について幾つか予測はできる」そう言いつつ私にカップを手渡した。

「君自身はどのように考えているのか教えてはくれないか?」

カップの中をのぞき込んだ。中には小さな肌色をした木片が幾つかと、葉っぱが1枚沈んでいる。液体はオレンジがかった茶色で甘い匂いが鼻腔に染み渡った。

「正直よく覚えてないんです。でも何となく感じることがあって」

私は一瞬言い淀んだ。あまりにも自分の考えが非現実的だったからだ。けれど、それ以外に説明がつかない。これが悪質なイタズラでもないかぎりはそれ以外の選択肢は無かった。

「もしかして……もしかして、ここは私が暮らしていた世界とは別の世界なんじゃないかって」

自分でも馬鹿馬鹿しいことを言っているのは分かっている。だって、別の世界だなんて行ける筈がない。それに別の世界なんてある筈もない。けれど、目の前の人物から返ってきた言葉に私は驚いた。

「そうかもしれないな」と、それだけ言った。

拍子抜けしたとも言ってもいい。私は相手の顔を凝視した。実に真面目な顔をしている。ふざけているわけでも無いのに、それでも可能性を否定しなかった。

「私は、このような事象はしらない。だが知らないだけで別の世界とを行き来する方法があるのかもしれないな。興味深いことだ」

見た目どおりちょっと変わってる人……でも、少し頼りがいがあるような。もし本当に私が別世界に来てしまったのなら、この人は私に力を貸してくれるだろうか。手伝ってくれれば心強い。

飲んだ温かい飲み物は少し薬っぽくて体が温まった。


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