Lonsdaleite20
薬品の匂いがする、と斎は目を開けると思った。白を基調としたこの場所は誰に聞かないでもどこだか分かった。病院だ。身体を起こすのはしんどくてそのまま横になって頭をまわすと、ベッド近くのサイドテーブルにフルーツの入ったバスケットが置いてあるのを見つけた。見舞いに来てくれるほど親しい人間なんていただろうか、と斎はふと思ったが貰えるものは有り難く頂こうと差し入れに手を伸ばした。斎がミカンを食べていると部屋の扉が開いてシモンズが入ってきた。シモンズは斎が目を覚ましたのに気づくとベッドの横に椅子を引いてきて座った。
「3日経った」
「私がこうなってから?」
斎は注射針が刺さっている腕を持ち上げた。
「そうだ。その様子だと話を聞く元気はあるみたいだな。おまえが寝てる間にいろんなことがあった。まずはその話だ」
シモンズは掻い摘んで斎に説明した。斎が気を失っている間に騒動はひとまず収束し、人間とオートボットが戦いに勝ち、今政府はその後始末に負われていること。そしてセクター7は解散の危機におかれていること。
セクター7が解散するかもしれないのにシモンズは落ち着いていた。少なくとも斎にはそう見えた。
「とりあえず、しばらくは安静にしていろ。退院の許可が出たら迎えにくる」
部屋から出ていこうと背を向けたシモンズを斎は引き止めた。
「ディセプティコンは、全滅した?」
「いや。NBE-3が逃亡したのは確認している。とにかく全滅はしていない。それに市街戦でキューブが作動して野良エイリアンが多数逃げ回ってる」
「そ。わかった」
NBE-3が一体誰のことなのか分からなかったが斎は聞くのは止めておいた。ディセプティコンと個人的に接触していたのをシモンズに知られるのはあまりいい気がしない。それに、もう、自分には関係なくなるからあまり知っても仕方がない。
それから数日斎は寝たきりの生活だった。日がな一日中、寝て起きての繰り返し。気が向いたらネットサーフィンをして、他に面白い事も無いのでエイリアン騒ぎについての世論を眺め、たまにアニマルビデオを見た。
たまに見舞いのお客が来る程度で、ここにはロボットのような医者しか話し相手はいない。
そういえば、と斎は思い出す。数日前に医者に言われたことがあった。あの時、頭痛をおこして意識を失ったあの時、あやうく死ぬところだったらしい。1度心臓も止まったらしいがその後奇跡的に持ち直して劇的に回復したようだ。そう医者から聞いても他人の話のように聞こえて斎は最初気にしてもいなかった。医者にも原因は不明で検査をしても健常者そのもので頭を掻く始末。健常者なら何も問題ないだろう。本当に、自分が健常者なら。斎は白い壁を見つめる。
自分が健常者なら今視界にチラついている不快なノイズは何なのだろう。
この病室で目を覚ましてからというもの、時たま斎は幾何学的な異様な記号が視界にチラつく謎の症状に悩まされていた。検査しても何も異常はないと言われたので、斎は人類には及ばない領域の現象なのだと勝手に解釈した。
それに、斎には思い当たる節があった。謎の記号はキューブに描かれていたものに似ている。トランスフォーマーに関係していることなら今の人類では解明できない、認知することができないものもあるだろう。なぜこんな現象が起こっているのかは全く分からない。もし原因があるなら自分が意識を失ってる間に何かがあったのだろうと斎は推測するしかなかった。
ただ、記号が見えるだけで体調に変化はなく、それこそ医者の言った通りに健常者なので彼女はあまり重要視していない。まあ今はいいか、とあぐらをかくだけだ。
窓の方へ視線を向けるとどこか知った風なパトカーが1台停まって、斎は目を細めた。
ほどなくセクター7は解散してしまった。
長年の知識と人材の殆どは新しく作られる組織に吸収されるようだが、もちろん路頭に迷う人間も多くでた。秘密裏に動いていたセクター7で働いていたとあっては社会的信用など無い者も多く、その殆どは帰郷するらしい。シモンズなんかは職を失い退職金まで失ってその最たる例だ。いつもは真っ直ぐのスーツも今は少しシワがよっている。
斎は退院後、シモンズに連れられて私物の引き取りをするためにフーバーダムの基地にやってきていた。基地はあの戦いの時にエイリアンに侵入され少し破壊されている。
「研究職のやつらの殆どは例の新しい組織に引き抜かれたが、おまえは行かなくてよかったのか?」
「興味無いもんで。それにそろそろ故郷に帰りたかったところだったし」
斎は政府の意向や新しい対エイリアンの組織に興味が沸かなかった。もう人間のエイリアン研究に手を貸す気も起きない。
「そうか、故郷か。たしか日本だったな?」
「ですです。……それ持っていって大丈夫?」
シモンズはセクター7の資料を勝手に持ち出してきていた。
斎の荷物はリュックサック一つに収まるほど少ないものだったが、シモンズは手押し台車に大量に盛っている。それをシモンズは車の後ろに積みだした。
「たぶん大丈夫だ。どうせ誰も気づかないだろう。退職金代わりに貰っていっても罰は当たらない」
シモンズはファイルやらなんやらを積み終わるとポケットから車のキーを取り出した。
「じゃあな。たぶんもう会わないだろう」
斎はちょいちょいと手を振って返事をした。別れはアッサリと終わった。斎は人との別れにいちいち感傷を持つような人間ではなかったし、それはシモンズも同じだったようだ。
シモンズが車にエンジンをかけて去っていった後、入れ違うようにしてパンダ色の車がやってきた。会ったのは彼とバンブルビーが戦って、彼が鉄球にぺちゃんこにされて以来だ。まだ1か月も経っていない。なのにひどく懐かしく感じる。バリケードは斎の横に停まった。
「タイミングぴったりだね」と、乗り込みながら斎。
〈遅れたら文句を言うだろう?〉
「私は約束の時間に毎度遅れる質だからあんま人の事言えないんだよねぇ」
確かにそんな感じだ、とバリケードは妙に納得しながら発進した。
走り出してしばらくして、斎はフロントガラスにヒビが入ってる事に気付いた。フロントガラスだけではない。よく見るとハンドルも亀裂が入っているし、サイドレバーも歪んでいるようだった。
「ねえ、痛かったでしょ?」亀裂を指でなぞりながら斎はボソッと言った。それは同情からというよりも、ちょっとした懸念からきた言葉だったが斎は言った後でバリケードの気に障るかもしれないな、と少し後悔した。
案の定、バリケードはとたんに寡黙になってしまった。返事を待つ間が暇で斎は窓の外を眺めていた。
〈おまえは、結局どちらの味方だ?〉そしてしばらくしてやっとそう言った。
「どちら、っていうのは人間とエイリアン?それともオートボットとディセプティコン?」
〈オートボットとディセプティコンだ〉
ああ、と斎は思った。このエイリアンは黄色くて可愛いカマロに負けたのを未だ引きずっているようだ。それに自分がバンブルビーについて行ってしまったことにおそらく傷心している。
斎はどう答えたものかと少し考えた。
「そうだね。まず前提として私は自分で味方を選ぶことはできないよ。だって、私は非力だからね。物理的にも権力的にも私には味方を選ぶ力が無い。だからいつでも私は私よりも力があるやつに引きずられてるだけなんだ。……これで答えになってるかな?」
〈いい加減な奴だ〉
「うん」
自分がそう望んでバンブルビーに付いて行ったわけじゃないと分かってもらえれば今はそれでいいと斎は考えていた。まぁ確かにあのままバリケードの元に残ることも斎はできたし、バンブルビーは彼女がそれを望めば放っておいてくれただろうけど、残る理由が彼女には無かった。でもそれを言ってしまえばバリケードがより気分を害するのは火を見るよりも明らかなので、そうするしかなかったということにしておくことにしたのだ。それに、勝者が全てを手に入れるのは世の中の常だ。極端に言ってしまえば負けたバリケードが悪い。
「これからどうするの?どこか宛でも?」
〈いや。ただ俺は次の指令が来るまで待つだけだ〉
「そう。じゃあ暇ってことね。それなら私と一緒に日本に行こうか」
バリケードは驚いて斎の顔を視覚にとらえるが、その顔は冗談を言っているようにはおおよそ見えなかった。
「ただ、この見た目だと目立ちすぎるから途中で別の車種をスキャンしないとね」斎は微笑んで言う。
これから退屈な日常になると思っていたが、しばらくは楽しく過ごせそうだ。