Lonsdaleite09
「買い物なら私がいくらでもして差し上げますのに……玉ねぎがありませんね」
「玉ねぎ嫌いだもん」
と冷蔵庫の中身の確認しているハウスキーパーに斎はソファーで横になりながら言った。自分で家事をすることはほとんど無い。パソコン周り以外は全てハウスキーパーに任せているのだ。
「今夜はステーキが食べたいなー」
「はいはい」
と、ハウスキーパーは掃除でも始めようというのか雑巾を片手に窓際へ行った。その時何を見たのか気になる声を出した。
「あら」
「どうかした?」
斎は体を起こすとソファーから顔を覗かせながら様子を見た。
「いやね、見てくださいな。家の前にパトカーが停まっていますのよ」
パトカー。ということは十中八九バリケードだ。ハウスキーパーがきているこのタイミングでやって来るとは間のわるい奴だ、と斎はソファーから勢いをつけて立ち上がった。
「また何か問題でも起こしたのですか?」
「そうじゃないよ。最近はいたって真面目だし」
どうだか、と肩をすくめるハウスキーパー。
バリケードはなぜか昨日姿を現さず、一日空けての再会となる。昨日姿を現さなかったことは斎にとってはあまり興味はないことだが、なぜ堂々と家の前に停車しているのかは気になる。自分に何か表立った用事でもあるのだろうか。まるで友達かなんかのように家の前で待たれても困るというものだ。見た目がパトカーなわけで悪目立ちが過ぎる。窓際に座りカーテンの隙間から不穏なパトカーの方を眺めると、その中のヒゲのホログラムと目が合った気がした。
〈まだ聞き出せていないのか?〉
スタースクリームは不機嫌なのを隠そうともしないで言った。バリケードがいつまでたっても斎の口を割らせることが出来ないということが彼には理解し難い。それにバリケードが斎を脅すなりなんなりこそしないことも。相手は小さくて無力な人間ひとりなのだから、脅せばいくらでも言う事を聞くだろうに。
〈何か言いた気だな。不満ならお前が斎の相手をするか?だがそんな暇はないだろう、あんたは多忙なんだもんな?〉
バリケードのトゲのある言葉にスタースクリームは些か気が立った。だが、バリケードの言う通りスタースクリームは忙しい。少なくとも本人はそう思っている。何と言っても今ディセプティコンを率いているのは彼なのだから。だから人間ひとりを相手にする暇は無い。だからと言ってこれ以上矮小な人間ひとりに割く人員も無い。だからここは頭にきてもバリケードに任せるしかないのだ。
〈まあいい。あの人間には少し痛い目をみてもらおうじゃないか。そうすれば少しくらいは本当のことを話す気になるだろう〉
〈それはそれで俺は構わないが。だが、しばらくあいつの事は泳がせておくんじゃなかったのか?〉
もっともなことをバリケードは聞く。
〈最初はそう考えていたが、このままだとなんの成果も得られそうにないじゃないか。それに、下等な生物にいちいち優しくしてやるのも今考えると馬鹿馬鹿しい。欲しいものは力づくで奪ってなんぼだろう?〉
そういうものかとバリケードは思った。弱い者から搾取するのは力を持っている強者の特権だ。それは理解はできるが、スタースクリームの口からだとなかなか納得しがたいというのが正直なところだ。それに、あの斎に力を振るうのはいまいちピンとこない。自分の中にある自分と斎の心象にはどこか似つかわしくないような、そんな形容しがたい違和感のようなものがバリケードを燻らせた。
〈オールスパークの事を聞き出したらもうあいつには用はない。余計なことを仲間に言う前に口を封じるんだ。……意味は分かるよな?〉
バリケードはつい先ほどのスタースクリームとの通信を思い返していた。スタースクリームの最後の言葉。確かにオールスパークの在り処を聞いたらもう斎に用は無くなる。それに自分たちの事を口外するのを阻止するためという意味でもとても合理的な判断ではあるとは理解できる。
「やあ、バリケード。今日も見回りご苦労」
斎だ。だらしなく部屋着のままで寝癖も直していない。
〈家の中に人間がいるようだが?〉
「お手伝いさんだよ。私は見ての通り家事全般が超がつくほど苦手だからね」
確かに洗濯やら料理やらを斎がする姿は想像できない。それは今の見た目からもビシバシ伝わってくる。
斎はボンネットに寄りかかるとポケットからポッキーの箱を取り出した。ポッキーを1本掴むと口につっこむ。
「で、今日は何か用でも?」
〈提案がある。お前が知っていることを話しさえすればお前に危害は加えない〉
「はぁ、面白い事言うんだね。まるであなたが私に危害を与えるみたいじゃない?」
〈論点のすり替えはやめろ〉
斎は話を煙に巻くのが上手い。だが、バリケードは今日こそは話をあやふやに済ませることは許さないと決めていた。どうにか自分のペースに会話を引き込みたいところだが、斎は普段と変わらない様子で知ってか知らずか…おそらく前者だと思うが、こちらの意思を酌んでくれる気はなさそうだ。
斎のこの態度は自分のような異星人に対しての恐怖心が無いからだろうとバリケードは考えていた。ならやはり少しは怖い思いをしてもらわないとこの非協力的な態度は改善されないだろう。
突然目の前で変形を始めたバリケードに斎は少し驚いた。今は日中。誰が通ってもおかしくはない。それに家の中には知り合いとはいえ一般人がいるのだから観られたら面倒なことになる。
「白昼堂々と変身はまずいんじゃないですかね」
〈問題ない〉
「そっか…問題ないのか」
この人型に変形するのも久しぶりに見たなと斎はぼんやりと考えていたが、変形を終えたバリケードは斎の後ろ襟を持ち上げるような勢いで引っ張ってきたのでそれどころではなくなった。
と、いきなり視界が変わった。目の前の白黒の塗装に冷ややかな金属の骨組み。斎は驚いたが努めて冷静に状況を把握した。覆いかぶさるようにこちらの動きを制限してくるバリケード。場所は草木がそれなりに生い茂っている林の中。家の庭に無駄な空間があるということで適当に埋めた樹木やら草がうまい感じに私たちの姿を隠している。周りは静かで人の気配はしない。家の中のハウスキーパーもおそらく気づいていないだろうし、第三者の助けは期待できそうにない。もとより話がややこしくなるから助けが来ても困るのだが。
「押しが強い男はモテないよ」
そう冗談を言いつつ斎はバリケードの姿をまじまじと見た。そういえばここまでじっくりロボットでの姿を見るのは初めてかもしれない。外装…ようするにパトカーの白黒の塗装がある一番外側の部分だが、それは変形したあとも骨格を守るようにあるが、関節部分はジョイントがむき出しの所もある。下手をしたら指を挟みそうだ。
斎は興味深そうにバリケードの身体にベタベタ触れる。
「そういえばきみ達って錆びないの?」
言動のとおり、斎にはまだ危機感が足りてないようだ。バリケードは腕についていたタイヤを一目で人間の肉など抉れてしまうだろうと想像できる様な気味の悪い巨大なミキサーに変形させた。
〈これ以上は待てない。今すぐオールスパークの在処を言え〉
この状況。斎にはオールスパークの在処を言う道しかない。バリケードはそう思っていた。だが、斎はとても冷えた目をしていた。口元にはいつもの笑みが張り付いているが、まるで別人の様だ。その目には目の前の恐怖などまるで映っていない。
「いいや?私は何も言わないよ。だって私が知っていようが知ってまいが君たちは私を殺すつもりでしょ?」
斎は淡々と言った。バリケードは斎に考えを見透かされたような、そんな気がした。確かにどちらにせよ斎には永遠に口を閉じていてもらわないといけないのだ。斎の言う通り、彼女には生きる道は残されていない。
目の前でミキサーのように針金が回転しているのを斎は見ている。
「私は自分で言うのもなんだけど捻くれ者だからね。どっちにしろ殺されるなら口を閉ざしたままを選ぶよ。……それに殺してくれても構わないしね」
〈何故そんなことを言う?〉
「私たちは生き物として余りに違いすぎる。思想も価値観も生き方すら違う。そうなるとね、私は君たちに殺されても仕方ないって不思議と思えてくるんだよね。だって、君たちを人間とするなら、私はハムスターってところだしね?」
バリケードは口を挟まず黙って聞いた。
「それに私には私の立場ってものがあるし、それはバリケードもそうでしょ。私のことを可愛そうだと思うことがあっても殺さないといけないような状況がある可能性があるのを私は理解してる。おまけに今回のことは完璧に自分が蒔いた種だし、自分で作った負債は自分で返すのは当然でしょ。だから私は自分の命で返済しても全然構わないし、むしろ当然って考えてるわけ」
斎の言うことは真実だ。バリケードはそう思った。自分の言動に対する責任を負うという意外なまでの斎の潔い考えも理解した。だが、腑に落ちない事もあった。それは今までスタースクリームと通信をしてからの自身が抱えていたあの形容しがたい違和感に説明がつくような重要なことだった。
バリケードは斎に大なり小なり情を抱いていたのだ。それを殺してしまえと簡単に言うスタースクリームへの苛立ちや、斎に情を持ってしまった自分への戸惑いに今まで混乱していたらしい。それを理解してバリケードは今までの緊張が緩んだようだった。そんな難しい事ではなかった。
〈なるほどな。お前の言いたいことは理解した。だが、お前の考えは的を外れている。とんだお門違いでお粗末な考えだ〉
そう言うとバリケードは得物を変形させ収納した。
〈俺にとってのお前が土の中で生活している夜行性の原始的な生き物と同等の価値しかないと?〉
斎はそこでやっと表情を変えた。少し困っているような顔をしている。そしてしばらくの間の後に口を開いた。
「分からない。だって私はあなたじゃないもの」
〈そうだろうな〉
バリケードは頷いた。そして金属の指の先で斎を摘むようにして立たせた。
斎はそんなバリケードの挙動を逆に不安に感じて腑に落ちなさそうな納得のいかなそうな顔をしている。バリケードはやっと斎の鼻を明かしてやった気分だった。
〈行け、斎。見逃してやるのはこれが最後だ。どこへなりとも逃げればいい〉
突然のバリケードの変わりように斎は戸惑っていたが、猫のように追い払われて木立からゆっくり歩き出した。
〈次に会ったときは血が流れると思え〉
ふと振り返った斎は普段通りのイタズラっぽい笑みを浮かべていた。
「血じゃなくてオイルの間違いじゃない?」
口の減らない奴だとバリケードは言い返そうと思ったが、もうその時には斎は驚くほどの速さで家の中に戻って行っていた。
迷うことなく逃げた斎は家の扉を閉めるとこの後どうしようか考えだした。この家にはもういられない。とりあえずは仕事場に戻るしかなさそうだ。自分の知る限りあそこより安全な場所は無い。今のところは、だが。
何はともあれ、考えるのは夕飯のステーキを食べてからでいいだろう。