遊[ユウ]
「待たせたな。」
悠然と勝ち誇った顔で彼が目の前に来た。
その遠い後ろの方で戦意を失ったトランクスの姿がみえる。
形容しがたい、驚いているような、不思議そうな。とりあえず変な表情。
彼が私に話しかけているのは、傍から見たらおかしいのだろう。私もおかしいと思うのだから。
私がトランクスの方へ向いているのに気付いてか、わざとらしく視界に大きく入り込んでくる。
「そんなに待った気はしないけど。あっという間だった。」
彼はつと私の腕を掴んだ。
途端に肩にじわりと痛みが走って私は顔を歪めた。
「骨は折れてないようだが。大事な身体に傷をつけてしまったな。」
「え?」
「この程度の傷なら放っておいても治るだろう。」
そう言って彼は私の手の甲に口づけをした。
「えっ?」
混乱して固まる私。
今時、そんなベタなことをする人なんていないんじゃないだろうか。
腕は掴まれているし、上から投げかけられる視線が居心地悪い。
彼はさも当然と言いたげな何食わぬ顔で私を抱えあげると飛びあがった。
*
「この辺りがいいか。」
彼の言葉に安堵の気持ちが湧く。やっと地面に降りれる。
武闘会の舞台を作る場所を探すためにずっと空中を飛んでいたが、やっと彼が気に入る場所をみつけたらしい。
私はその間抱えられっぱなしで、ずっと緊張で微動だにできなかった。
地面に降ろされる時も、今までと違ってその所作一つ一つが優しすぎて気持ちが悪いくらいだ。
これだったら、前みたいに地面にドサッと雑に落としてくれた方が何倍も、何百倍もいい。
「ねぇ。」
私は彼に話しかける。彼に聞きたいことがあった。
彼は近くの民家を吹き飛ばしたところで、辺りが平地になったのを確認してからこちらを向いた。
「なにかな?」内面の自信がにじみ出てるような微笑。
間を詰めてくると、私の低い身長に合わせるように身を屈めて、私の腰にその太い腕を回してきた。
顔がとても近い。私は顔を背けた。
「わ、私、あなたが何を考えているのか分からない。さっきも大事な身体とか変な事を言うし。なにを考えてるの?」
「そのままの意味だが。変でもないだろう。わたしがお前を大事だと思うのは変か?」
「凄く変。だって…。」
だって。その後の言葉に詰まってしまった。
こんなに弱い生き物を大事に思っても仕方がないじゃないか。不釣り合いなものを大事にしたって。
でも、そんな言葉を口にしたら、感情の制御が出来なくなりそうで、とても口にはできなかった。
頭がグラングランする。
彼は私の言葉を待つつもりも無いのか、腰に回していた腕に私を乗せるように抱え上げると、ゆるりと宙に浮いた。
付近のせり上がった岩場から正方形状に岩を削り出して、彼は満足気な顔をした。
「わたしの見込んだ通り、この辺りの石は質が良さそうだ。」
彼はそれをさらに細かく刻むと、平坦にした地面にタイル状に敷き詰めていった。
「これでいい。装飾は後で考えるとするか。」彼は私を舞台に下ろすと腕を組んで言った。
彼は私の方に向きながら、
「わたしはこれからテレビ局へ行くが。」と言って手を伸ばしてきた。
ぎょっとして、思わず身体が仰け反るが踏みとどまった。
彼は私の髪の毛を掻き上げて耳にそっとかける。
耳をやんわりとなぞって、耳から顎、首へと手が下りてくる。撫でるように触れられた場所が後引くように熱い。
「今更逃げようだなんて考えるなよ。」
「…まさか。逃げないよ。」
鎖骨をなぞるように触れていた彼の手がすっと離れていく。
それが名残惜しいような後ろ髪を引かれる思いがして、熱を散らすように頭を左右にふった。
彼が飛んでいくのを見えなくなるまで見送ると、私は舞台の端っこに座った。
どうしたらいいのだろう。
彼はこの世から居なくなるのが定められているような人なんだ。
誰しもそのうち死んでしまうけど、彼のその時が近いのを私は知っている。
その時が怖い。