一人分の布団に二人で眠る、というのが習慣化してきた今日この頃。
どの宿屋も揃いに揃って一組しか寝具を用意されないのは、宿主の意地悪でも若い二人への下世話でもなく、単純に杏寿郎の姿が見えていないから。
この頃には名前もそのことに疑問を抱かなくなっていた。慣れというものは恐ろしい。
朝になり人々の動きが活発化してくると、名前は陽光を避け、部屋に籠る。
まるで土竜のような生活である。
すぐに眠ってしまうこともあれば、本を読んで過ごすこともあるが、名前が布団に入ると杏寿郎はもぞもぞと潜り込み、すぐ隣で顔を出す。

「狭くないですか?」
「うむ!問題ない!君さえ良ければな!」

そう言って身を寄せ目を瞑れば、名前はふふと小さく微笑み、杏寿郎の髪を弄ぶ。
この反応ーー名前は眠ろうとしている。
もし読書をしようとするなら、これでは本が読めません、と退けられてしまうからだ。
もうすでに開き切っていない瞳は虚ろ、うつらうつらとし、それでも睡魔に抗いたい気持ちがまだあるのだろう、夢と現の狭間で彼女はゆらゆらと意識を漂わせる。
この曖昧な状態の名前は、普段と異なる一面を見せる。
まず、色気が全面に押し出される。
眠そうな表情が逆に色気を醸し出している。
歯切れの良い話し方は少し舌っ足らずになり、凛とした声は甘く蕩け、余韻がある。
無論、彼女は無意識だ。
当人から言わせれば、ただただひたすらに眠たいので、思考回路が上手く機能しないのだ。

「煉獄さん……あたたかいですね」

それだけ言い残し、ふにゃりと笑うと、名前は夢の世界へと誘われてしまった。
この身に体温があるとは思えず、名前の感じている温もりは布団によるものなのかもしれないけれど、体に腕を回し、頬を寄せ、胸の中で眠る名前はひどく愛らしい。
杏寿郎は暫しその寝顔を堪能していたが、彼女への感情は徐々に変わってゆく。
純なる愛は染まりやすいのだ。
ましてや好いた女性なのだから、当然ーー

「触りたいなぁ」

そう無意識に口にしてしまう程には、彼女への想いが募り募っているらしい。
こうも一緒に居て、生前よりも近いはずなのに遠く感じてしまっていて、手を伸ばせば触れる距離なのに。

そう、ずっと一緒に居るのだ。
朝も、昼も、夜も。
君が起きていても、眠っていても。

生前も確かに名前を何よりも優先すべきと皆に言われ、それでも全て任せては申し訳ないという気持ちが拭えず、夜は任務に走る。
苦ではなかった。自分自身がそうしたいと思い決めたことだったから。
今は鬼を斬れなくなってしまったが故、自身の行動ウエイトを彼女に全振り出来た。
勘のいい名前のことだから、この変化に対し何も感じていないはずは無いと思うが、今のところ何も言われていない。
逆に気を遣われているのか、或いはーーこうしてずっと共に在ることが元より抱いていた彼女の真の望みだったのかもしれない、なんて、自惚れてみたりもするのだ。

「生前、眠る君に触れることを許してもらったが、それは今も有効だろうか」
「……」
「なぁ、名前。やっぱり寝ないでくれ。起きて欲しい。俺を見て、触れて、微笑んで、時にはーー心乱されて欲しい」

杏寿郎は、己の欲を自白する。
反応は無い。当然である。それに、名前は一度眠ってしまうとなかなか目覚めない。
少し揺すったり話し掛ける程度では、瞼がぴくりとも微動だにしない。
次、目を覚ますのは五、六時間後だろう。
その間(かん)話せず、触れてもらえず、笑い掛けてもらえない時間が続くのだ。
ーー耐え難い。
杏寿郎は顔を埋め、名前の頬に口付ける。
触れるだけ、触れるだけだから。
そもそも名前に許されなければ、杏寿郎は触れることさえ出来ない。
死者が生者に関与するには、生者からの許しが必要だった。
結果論で言えば、杏寿郎は許されている。
今はその事実が、ただただ嬉しい。

「……」

ふと、夢の出来事を思い出す。
断片的な記憶。薄れゆく意識の中、彼女が泣きながら口にした言葉が不意に頭を過ぎる。

ーー「煉獄さん。貴方はもっと自分の為に強欲になるべきだった」
ーー「愛して欲しいって、言えばいいのです。貴方は貴方が思っている以上に周りから愛されているのに」

あれは、都合のいい夢などではなかった。
名前の本音だったのだと思う。
だけど、それを言ってしまったら、きっと困らせてしまうからと配慮していた。
この世には、互いの気持ちだけではどうにもならないことがたくさんある。

もう二度と、名前を悲しませたくはない。

「……名前」

愛おしい彼女の名を呼びながら、今度は額に口付ける。
耳朶をこしょと擽りながら、そこへ息を吹き掛けるように、懇願の言葉を呟く。

「俺を愛して欲しい」

君の愛が欲しくて、俺は死して尚、現世に留まり続けている。
愛されている実感が無い訳ではない。
君は俺を好いてくれている。
それは分かる。自惚れられる程度には。
だけどーー足りない。
きっと俺の方が君を愛しているだろう。
その同じ分だけ君から見返りが欲しい。
綺麗で清らかな愛でなくとも構わない。
いっそどろどろに薄汚れた欲望塗れの愛も、それが単なる捕食者の食欲でも、名前から与えられるものならば何だって欲しいのだ。

彼は、口にしてはならない感情を、他ならぬ名前に抱いている。
かつて、杏寿郎は名前の為に生き、あの日生命を落としたのは自分の為だった。
杏寿郎はゆっくりと起き上がると、未だ眠る名前を下に組み敷く。
死がふたりを分かち、離れ、再び出逢って、だけども幸福な未来など無くて、夢の中であらゆる選択肢を想定した結果、いずれも彼は名前よりも先に死んでいた。
死に方はさほど問題ではなく、名前を鬼の血の呪縛から解き放たなくてはならないという根本的な問題がどうしても打破出来ない。

「……」
「……」
「……起きているな?」
「…………」

無論、杏寿郎は気付いていた。最初から。
ゆっくりと開かれた名前の瞳は、何処か気まずそうに揺れる。

「起きるに……起きられなくて……」
「知っていた。わざとだからな。君の反応が見たかった」
「それで、見たい反応は見られましたか」
「いや、実は想定よりもだいぶ早く君が観念してしまったんだ。狸寝入りする名前を弄るのも悪くないと思ったんだが」
「も、もう、十分ですから」
「主語が無いぞ。何が十分なんだ」

普段よりもだいぶ踏み込んでみる。
躊躇はしない。その気持ちが体勢にも現れ、杏寿郎は前のめりになる。

「質問を変えよう。何処から聞いていた?」
「やっぱり寝ないでくれ、辺りから」
「割と序盤だな!」
「ね……念の為言っておきますけども!本当に眠ってましたから!意識がぷつりと途絶えて、身体が沈み掛けて……だけど、煉獄さんが。ーー貴方が私を呼んだから。私、一秒でも早く目覚めたくなってしまって……んぐっ」

前のめりになった身体はとうとう名前に覆いかぶさって、重力に従いのしかかった筋肉質の体は重くて少々苦しかったのだけど、退いて欲しいとは思わない。
もう、眠気は失せてしまった。

朝はまだ長い。




8 / 表紙
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