触れるだけの戯れの後ーー疲れた名前がすやすやと眠っている間、杏寿郎は眠らない。
眠れない。その必要がないから。
かと言って刀を握ることも出来ず、鬼狩りとしての責務も果たせぬのは何とも歯痒いが、今の杏寿郎は名前の為だけに存在しているので、それもまた致し方ない。
このひと時を、彼は名前の寝顔を眺めて過ごしている。
これが不思議と飽きないのだ。
気付いたら陽が落ちていて、夜が訪れる。
愛する者の目覚めの瞬間に傍に居られることの幸福を噛み締める。
生前はこの瞬間に間に合いたくて、任務後は足早に帰路に着いていたものだ。

「……眠った、か」

何度も気を遣る、というのは、やはりそれなりの体力を費やすらしい。
一度や二度では事足りず、決して少ないとは言い難い回数。それでも杏寿郎は物足りない。
以前一度だけ我慢ならず、意識を手放した名前に対し行為を続行したことがあったが、次の日の彼女の疲労困憊具合があまりに酷く、罪悪感が凄まじかった。
以来、杏寿郎は、彼女の無理の無い範囲に留めねばとひとしお意識するようになる。



「煉獄さんは良いのですか?」

これは、名前が毎度口にする台詞である。
杏寿郎はぱちくりと眼を瞬かせ首を傾げる。
彼に身に覚えがないことを悟ると、名前は身に余る扱いを受けてしまったかのような後ろめたさに顔を歪ませ、

「私ばかり気持ち良くして頂いて……これでは不公平です。煉獄さんにも気持ち良くなって頂きたいのに」
「いいんだ。俺のことは」
「し、しかしっ」
「俺がしたくて、しているのだ。君の快楽に悶える愛らしい姿を見ていたい」

そう言えば、顔を真っ赤に染めた名前は口をぱくぱくとさせ、何も返せなくなる。
杏寿郎は本心しか口にしない。
彼とて見返りなくしてただひたすらに尽くし、欲求不満を募らせている訳ではなかった。
名前は気を遣る瞬間、小さく掠れた声で杏寿郎の名前を呼ぶ。
彼女は無意識やもしれないが。
それが聞きたくて。何度でも、何度でも。
そして何より、必死になって手を伸ばし縋ってくるその様が、名前に求められているような気がして、彼の自己承認欲求が満たされた。
ゆえに、これは一方的な奉仕ではない。
疚しい私欲が根本にある。
彼にとって快楽以上に得られるものがある。
それが欲しくて求めるあまりつい周りが見えなくなって、名前が何度気を遣ろうとも、待ってだの嫌だだの本心ではない否定的な言葉を口走ろうとも、思わず彼の背に爪を立ててしまっても、そんなものは静止力に成り得ないのだ。

「名前」

ちぅ、と音を立てて瞼に口付け、触れる。
とっくのとうに解され柔らかくなったそこに指を押し進め、奥を引っ掻く。

「や、待って。まだ」

思っていた通りのーーいや、それ以上の反応。
たった一度爪先で触れただけで、名前は間もなくして絶頂を迎える。
ぜぇぜぇと息を荒くさせ、誰よりも理解不能といった顔で、瞳に涙を溜め込んでいる。

「? ………???」
「うん? もう気を遣ったか」
「!? だっ、から……!私、待ってって!」
「何故。待つ必要などないだろう。ここには君と俺しかいない。遠慮も、建前も、取り繕うことも必要ないはずだ。それとも、もし俺が君の言う通り待ったとして、その先に何がある?」
「ひどい!意地が悪いです!!」
「それも結構。知らなかったか?俺は大して良い人ではない。少なくとも今の名前にとっては」

不満を主張することは出来ても、快楽に呑まれた身体は力無く、杏寿郎を押し退ける力などすでに残されていない。
あるのは、気だるさにも似た甘い倦怠感だけ。

「わ、私、こんな簡単に……こんなんじゃあ、なかったのに……」
「元より素質はあったがな!」

そんな素質あってたまるか、と普段の名前ならば言い返せたのに、それも出来ない。
ほんの僅かに残されたなけなしの力で杏寿郎の袖を掴んで引き寄せ、

「名前?」
「……い」
「い?」
「いれてほしいです」
「!?」
「せっ、責任……取ってください。最後まで。このままだと中途半端で、私。だから」
「その言い方は駄目だ!性的が過ぎる!!」
「声が大きい!!」

何を、とまでは言わなかったが、本当はそれも分かり切っていて、だけどそれは出来ないから、せめてそれ相応の名前にとっていいものであることを願う。
名前は単に快楽を求めていた訳ではなく、例え痛みが伴おうとも愛する杏寿郎とひとつになることを望んでいたが、この時にはもう、彼はこの世に存在していないことを心のどこかで勘づいていた。
それを敢えて口にしないのは、言ってしまった途端に彼が瞬く間に消えて無くなってしまいそうだったからだ。
故に、気付かない振りをし続けている。
これが、いつかは霧散してしまう夢幻だったとしても構わない。
このまま夢を見続けることだけが、彼らが選び得る選択肢の中で唯一の救いだった。

ーー……それでも、

愛し合う二人がいて、それなのに快楽を得られるのは一人だけで、こんなものは自慰も同然だと名前は申し訳なさを感じているのだけれど、見返りを求めず与えることに幸福を感じている杏寿郎の言動はただひたすらに一途な彼女への『愛』故。
理由はいつだって単純なのだ。
それらしい小難しい理由を並べたところで、最終的に行き着く先がそれだ。理屈云々の話ではない。

ーーそうか。……俺は、名前に忘れられてしまうのが怖いんだ。
ーー忘れられたくない。
ーーずっと、俺の事を覚えていて欲しい。

「……あぁ!勿論だとも!責任は持つ!はなからそのつもりだったがな!」
「ッ、……よろしいのですか?煉獄さんは」
「君はまだそれを問うのか」
「煉獄さんにとっての利点が見つからない」
「君は損得で行動するのか?」
「それは、無い。です」
「そうだろう。つまりはそういうことだ。君も視点を変えてみたら良い。与えられる、というのはな。とても喜ばしいことなのだ。何も出来ない、してやれないということの方が、よっぽど不幸でやるせない。君には後悔のないように生きて欲しい」

死した身であるからこその、やけに実感のこもった言葉だった。
悔いの残らない人生などない。
大小あれど悔いは残る。

「煉獄さんはありますか? 後悔」
「ある。数え切れぬ程だ」
「……そっかぁ……」

どういう訳か名前は納得したように頷き、この日を境にやけに素直になったと思う。
これは、果たしてどちらの後悔を虱潰しにしてゆく為なのだろうか。
それが分からないままで居られるうちは、どちらも幸福だったのかもしれないが。




4 / 表紙
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