おずおずと開脚されるなり、杏寿郎は再び閉じてしまわぬようすかさずその僅かな隙間に身体を捩じ込ませ、がばりと飛びつく。
まるで「待て」を強いられ、ようやく「よし」と許可された飼い犬のように。
許しがなくては何も出来ないーーこれは、死者が生者に関与する為の絶対条件だ。
それ以前に杏寿郎が名前に対し無理を強いることはなかったが、許可さえ貰えれば「したい」と思うことは生前以上に増えたと思う。
ただ、未来のない自分が希望を持つことは、あまり良くないことだとも思う。



「……煉獄さん」
「ーー」
「煉獄さんっ」
「ーー」
「煉獄さん!!」
「ーーなんだ!」
「あの、黙りこくるのはやめていただけませんか!?煉獄さんが静かだと調子狂います!」
「それは無理な相談だな!舌を突き出した状態では話すこともままならな……」
「そういうことはわざわざ言わなくていいので!!!」

そう言って手のひらを突き出し、名前は羞恥で瞳を潤ませていた。
杏寿郎からしてみれば加虐心を擽る表情でしかないが、それを馬鹿正直に口にしてしまうのが杏寿郎という人間である。

「名前のそれは逆効果だな!なんというか、虐め甲斐がある!」
「今し方の発言は人としてどうなのでしょう!?」
「君の方こそ、そろそろ自覚してくれないと困るぞ!俺とて平常心でいたい!」

会話だけ聞くと何気無いやり取りだが、名前はすでに半分程肌が見えており、なかなかに際どい状態。
にも関わらず緊張感に欠けたこの空気感は、良くも悪くもこれまでの日々の賜物だ。
想いが通じ戯れが許される間柄になった。
だが、此処が終点では無い。
今の自分が目指すべき目標を定めなくては。
道半ばで生命を落としてしまった時点で、元より考えていた道は絶たれた。
生死の境界線が邪魔をしてそこへ至れない。
それでも考える。思考を止めない。
幸い、物事を考えることは出来た。
大多数の選択肢は否応なしに消えてしまったのだけど、全て無くなってしまった訳ではなかった。
道はまだ途絶えていない。
ならば、進むしか他ない。

ーー名前を人間に戻してやりたい。

彼女が今、杏寿郎に対し食欲を感じないのは、肉の器を失った自分が食べられる対象でなくなったからだ。
名前は紛うことなき鬼だが、今のところ彼女が鬼の本能に悩まされる心配はない。
自分以外の欲の矛先が見つかるまでは。
本当は彼女が死ぬまでずっと傍にいてやりたいが、それがもう無理なのだということは重々理解している。
別れの時が来るまでは一時たりとも離れない。
名前を、幸福な世へと導くその日まで。

「……ん」
「ーー」
「と、突然は、びっくりするので」
「そうか。君は確か何かする前に確認して欲しいと言っていたな。では、今から再び君の肌に舌や唇などを這わせたいのだが」
「っ」
「なぁ、名前。……いいだろうか」

否定も、肯定も、ーーしない。
なるほど。これは、肯定である。
杏寿郎は答えを聞くまでもなく顔を埋め、舌を伸ばし、美しくきめ細やかな肌を堪能。
少し押し進めると途端にぴくりと反応する、それを舌越しに直に感じられて嬉しくなる。
腹部から、少しずつ、少しずつ。
つつ、と滑らせて、ゆっくり上昇。
こちらを見つめる名前と目が合った。
食欲とは別の欲に浮かされた、熱っぽい瞳。

名前。君が望むのならば。
何だってする。してあげたい。
この身から溢れんばかりの愛情を、君の身体に惜しみなく注ぎたい。

「煉獄さんは……本当に犬のような方ですね」
「褒められているのか否か微妙なところだが、そういえば君は夢の中でも犬と戯れたと言っていた。縁(ゆかり)があるようだ」
「はい。その犬は、夢の中の煉獄さんと一緒におりました。ただ、煉獄さんもその犬のことは知らないと仰っておりましたが……、あっ」

そこで、何かに気付いた名前が声を上げ、

「そういえば……夢の中の煉獄さんは犬を探しておりました。そこで、私を見つけてくださったのです。成り行きで」
「俺は犬を飼っていないぞ。父上が動物が苦手なんだ」
「ふふ、知ってます。だって、煉獄さんが以前そう仰って……あれ?違う。これは、夢の中の煉獄さんが」
「どうやら君は俺以上に様々な俺のことを知っているようだな!」
「……申し訳ありません。失言でした。例え同じ煉獄さんでも、煉獄さんじゃない、別人格なのですから。それなのに間違えるなんて、失礼極まりない」
「うむ。実のところ不愉快だ」

さらりと本音を口にする。表情も変えず。
不愉快、の言葉に名前は過剰反応を示す。

「しっ、失礼致しました。謝って、そう簡単に許されることではないと重々承知しておりますが……わ、私だって嫌です!もし、煉獄さんが別の女性となんて考えるだけで、私は……こう、胸がモヤッとするのです!!」
「ふは、わかったわかった。君が存外俺のことを好いてくれているのはよく分かった。それに君の場合、いずれも対象は俺なのだろう?杏寿郎と名乗っていたのなら、それは紛うことなき俺の一部だ」
「しかし、彼には彼の人生がありました。私が煉獄さんとのことをお話したら、夢の中の煉獄さんは何処か不機嫌そうで」
「身に覚えのない話を聞かされているのだ。不機嫌にもなる」
「……つまり、煉獄さんも?」
「あぁ。良い気はしない」

ここで、この話は打ち切られた。
不毛だから。結論は出そうにない。
とはいえ、問題を先送りにするだけの時間も、もはや残されてなどいない。

「だが、良い話が聞けた。よもや名前が嫉妬心を抱くとは」
「……しますよ。嫉妬くらい」
「俺は名前以上だがな!」

我ながら説得力がある。彼女を想うがあまり自分は今も尚、現世に留まっているーー本気でそう思っていた。この時は。
ただ、夢幻の果てに安からな眠りが訪れるなどという都合のいい期待は抱いていない。
今こうして名前と共に在ることが罪深い。
ともなると、やはり自分は地獄行きかもしれない。
そうなってしまったら、まず、石積みから始めるとしよう。親不孝者は皆通る道だ。
細かい作業はあまり得意ではないのだが。

「苦行になりそうだ……」
「何の話です?」

首を傾げる名前に杏寿郎は何も答えず、ただ優しく笑いかけた。

こうして毎晩、杏寿郎は名前に触れ、与えられるものは惜しみなく与えた。
尚のこと離れ難くなると考えたが、どうせ最後に別れなくてはならないのなら許される限り触れていたい。
藤の花の家紋の家は敢えて避けた。
自分が「目に見えない存在」であることを名前に悟られない為に。
いつまでも誤魔化せるものではない。
名前は、妙に鋭い娘だ。
もし、然るべき時が訪れたとして、杏寿郎はありのままを話そうと心に決めている。



結果としてーー然るべき時は訪れなかった。




3 / 表紙
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