花筏 | ナノ
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06. 苦悶

愛情なんてもののかけらもない、女の私からしてみればこれ以上ないほどに残酷なまぐわい。思い出しただけで惨めさに胸が押し潰されるような心地だった。何故私は死を選ばずマダラに抱かれることを選んでしまったのだろうか。マダラの姿形に昔の幸せな日々を思い出されて心揺らいでしまった、そんな自分が疎ましくて仕方がない。今のマダラは私のよく知るかつての愛おしいマダラではないのに。彼に対して何を期待しても無駄になる、身にしみてようやく理解できた現実であった。



そしてあの秘め事から四日―――。

またしてもマダラは結界を解いてこちらに一歩一歩と詰め寄っていた。彼の左目から雄としての本能が垣間見えたその瞬間、私の肌は粟立つ。間違いない、私を求めようとしている。

その事実を察して恐怖と悔しさに指先はしびれたが、しかし思うよりも先に身体は動き出す。私は慌てて寝台から下りて、マダラと距離を取るように一歩一歩と確実に後ろへ下がった。だが私の部屋として充てがわれたこの一画は大した広さもない。あっけなくもすぐに背は石壁へと衝突する。その衝撃からくる治りかけの脇腹の痛みで微かに顔を歪めるが、それでも止まること無く、少しでも彼から離れてしまいたくて壁伝いに逃げ惑った。

「来ないで…お願い…」

そんなことを口にしたって無駄だとは分かっていたが、切実な祈りは結んだ口から自ずと飛び出してしまった。私の嘆願も、マダラから逃げようとしているこの行動も、今の私の何もかもが無駄である。私はマダラを振り切るほどの能力を持っていないし、この洞窟がどれほどの広さを持ちどんな構造をしているのかなんて全く見当がつかないのだから素早い脱出は不可能である。それでも今のマダラに抱かれることが果てしないほどに恐ろしく、身体は勝手に動いてしまうのだ。マダラはそんな私の胸の内を知ってか知らずか、ひとつも表情を変えずただ眺めるように私を目で追っていた。

「何をそんなに恐れることがある」
「いや…」
「ほら、コマチ…」

ハッと思わず息を飲む。おぞましいほどに甘美なる響き―――私の名を呼ぶ、彼の声。

何とも言い表しがたい複雑な衝撃に寒気立ち、彼の顔を見据えたいという強引な衝動を理性で抑えこむ。最後にマダラから放たれる私の名前を聞いたのは、いつだっただろう。マダラが里を抜ける、前日の夜だっただろうか。ずっとずっと昔のことだ。今一度彼の口から名を呼んでもらえるなんて思いもせず、私は逃げ足をやめてその場にとどまった。

胸が苦しい。きゅうんと高鳴る心臓の様子に気づいて、手が震える。嬉しいのだろう。再びマダラから名前を呼んでもらって、嬉しくて嬉しくてたまらないのだろう。マダラが里を抜けてからは当然聞けるはずもなかったし、この洞窟に捕らえられてからは貴様だとか女だとか適当に呼ばれてばかりだった。どれほど今一度愛しいマダラに名前を呼んでもらいたいと願ったか分からない。それほどに恋焦がれていたのである。

しかし、今この身体を一番に蝕んでいるのは、自分の情けなさに反吐が出るような、そんな遣る瀬無い思いだった。また私は、昔のマダラを思い出して絆されてしまうのか。マダラからしてみればこれほどまでに単純な女だと扱いやすさに笑いは止まらないだろう。何をしなくとも勝手に昔の面影と重ねてしおらしくなってくれる。マダラの掌の上で私は転がされているだけだ。心臓の燃えるような悔しさに、私の唇が見難く歪んだ。

もう嫌。マダラに振り回され苦渋に苦渋を重ねる拷問のような日々なんて、もう何もかも叩き潰してしまいたい。諦めと覚悟に突き動かされるまま、私は戦慄く口を強引に開いた。


「殺して」


ゆっくりと私に歩み寄っていたマダラの足が止まった。私が恐る恐る顔を上げれば、彼は目を見開き驚嘆を滲ませた表情で私を見つめていた。彼の意表をつくことが出来たことに歪んだ喜びを感じ、虚勢で意地悪く鼻を鳴らしてみせる。

「もう嫌なの。辛くて辛くてたまらない。ねえおねがい。殺してください」
「…」
「人一人生かしておくのは大変でしょう。今ここで私を殺してくれさえすれば、あなたの負担も軽くなる」

切実な願いをぽつりぽつりと零し続ける。マダラに名を呼ばれて嬉しいのも本音だが、死んでしまいたいと思うのも紛うことなき本音であった。これ以上昔の輝かしい思い出に悩まされて苦しい思いをするくらいなら、死んだほうが何倍もマシだ。マダラは性欲処理のために死にかけのくのいちを拾って奴隷にするつもりだったのだろうが、まさかその女が記憶にすら無い昔の自分の妻だなんて思いもしなかっただろう。

千手柱間との戦いの後遺症で記憶錯誤の状態になってしまったのかなんなのか――結局マダラが私のことを覚えていないその理由ははっきりとは分からないが、私のことを知らないマダラからすれば、こんな面倒くさい事情を抱えた訳あり女を奴隷として側に置く価値は無いように思う。それならいっそ、私のことはさくっと殺してしまったほうが、彼にとっても気が楽だろう。

「今更になっていきなり何を言う。あれほどまでに俺に執着を見せておきながら、一体どんな心変わりだ」
「執着があるからこそ辛い。せっかく生かしておいてくれたのにごめんね…でも」
「…」
「マダラ…あなたに殺されるなら本望なの」

そして私は瞼を下ろし、大きく深呼吸を繰り返した。私もマダラも何も言葉を発さず、程よく冷えた石壁に身を預けてただ静かに佇む。これ以上マダラが言い返して来ないことは、切羽詰まった今の私にとっては非常に有り難い。さあ、早く。マダラほどの手練なら痛みなど感じないほど上手に一瞬で殺してくれるだろう。マダラの手でこの生命が終わりを迎えるなど、ただひたすらにマダラに好意を抱いた幼き日の私は思わなかっただろうなあ。



―――ところが死への切望に身を委ねたその瞬間。身体が、ふわりと。


何が起こったのか理解できず瞼を持ち上げれば、マダラは私の身体を横抱きでかかえ真っ直ぐ前を見ながら寝台へ歩みを進めていた。虚をつかれ咄嗟に目の前のマダラの胸元を押し返すが、彼は一瞬僅かにひるんだ後に早々と居直り、何食わぬ顔でこの身体を抱え直して再び足を進める。見ようによっては情緒的な抱きかかえ方ではあるが、足が地面から浮き身体が持ち上がる感覚は今の私にとってひたすらに気味が悪く、死にものぐるいで腕を振り上げ抵抗するがやはりビクともしない。

「なんで!なんで…!!殺してよお…!」

混乱のあまりたどたどしさを滲ませ声を張り上げる私を全く気にも留めない様子で、マダラはこの身体を寝台へとゆっくり下ろした。いっその事投げ捨てるかのように強引に下ろしてくれればいいものを。あまりの屈辱に唇を強く噛み締め、やりきれない涙の代わりに一筋の血を垂らす。拒むのなら殺してやると言ってくれたではないか。お願いだから今すぐにでも殺してくれ。僅かな間とは言え確実にマダラの腕に包まれた肩と膝裏がいやにムズムズと感触を残し、気味悪さに私は暴れる力へより一層の力を込めた。しかし男の大きな身体が、私を組み敷くように上に乗って腕を押さえつける。

「いや、嫌だ…おねがい」
「…」
「マダラ助けて、マダラ…」

救いを求める言葉を放った先は、今目の前で私に跨るこのマダラではなく、凛々しく頼りがいに満ち満ちた遠い日のマダラである。そんなことをしたってあのマダラに届くはずがないと分かっていた。分かってはいたがこの身体の中から破け出そうな苦悶に耐えられなかった。そんな私の台詞の意味を悟ったのか、彼がいかにも不機嫌そうに顔を歪めて歯を食いしばった。ちらりと見えるその歯の白さはすぐに隠され、そして唐突にマダラの顔が目前へと迫る。

間違いない。私へと顔を近づけるその意味。過去に何度だって数えきれないほどに彼と経験した――口づけだ。
錯乱のど真ん中に身をおきながらも瞬時にそう悟って固く目を瞑り、そして―――身体中を蝕む嫌悪感のままに思いっきりこの顔をマダラから背けたのだ。


耳鳴りがするほどに重く苦しい沈黙が流れる。力強く目を瞑っているためにマダラの様子は分からない。マダラは驚きのあまり声も出せないのか、それとも怒りに震えて言葉を失っているのか。あれこれと思案してみても結局私にマダラの気持ちなんて分かるはずもなく、かといって目を開けその様子を窺う勇気すらもなかった。今一度私を無理やり抱こうとするマダラに感じる恐怖と嫌悪感で満ちていた。ガクガクと身体を震わせながら現実を避けるように目を閉じ続ける私の今の様は、目を覆いたくなるほどにまぬけだろう。しかし、どうしようもない。

「コマチ…」

再び彼の声で名前を呼ばれたが、反応を示す余裕もなく顔を背け続ける。すると顎から頬へと痛いほどに強い力を感じた。マダラの大きな手に鷲掴みにされている。そう理解して抵抗しようとするよりも先に、マダラは素早く私の顔を正面へと向けて――唇が重なってしまった。

熱く、そして穏やかさを感じるほどに柔らかな感触に瞠目する。
マダラは味わうかのように私の唇を何度も何度も啄み、そしてしとどに咥えた。

この口付けの数々に昔の感覚を思い出してしまうのがただ恐ろしく、私は己の煩悩を振り払う意味も込めて懸命に彼の下で抵抗をするが、やはり力が敵わない。次の瞬間ぐっと身体に押し付けられたマダラの一部――熱く硬い屹立。その存在にマダラの私に対する執着をまざまざと見せつけられ、私はもう無駄だと抵抗する手から泣く泣く力を抜いた。



――それから行われたまぐわいの最中、当然快感なんてものはこれっぽっちも感じないが、痛みもない。
ただ触れられたり揉まれたり、中を探られる感触があるのみ。

もう睨みを寄越す気力すら沸かず、寝台に力なく横たわり、ただマダラにされるがままでいた。量が多く固い彼の髪の毛が、はらはらと儚く私の生肌に落ちていく。特にどうしたいわけでもなかったが何となしにその一房を掬い上げて毛先へと指を滑らせる。性急に私の身体を弄くり遊んでいたマダラがこちらの手の動きに気づいて顔を上げた瞬間、寝台の枕元直ぐ側の灯火が大きく揺れた。


黒髪の隙間から垣間見えたマダラの右目に、色がない。

だがしかし驚く間もなくマダラの手が突如として私の首にかざされた。大きく無骨な手で首を掴まれているがそこに力は込められていない。マダラの赤目の眼球と虚無の濁った眼球が、伏せがちに陰をさまよった後私へと向けられた。

「良いだろう、殺してやろう。ここで首を締めれば貴様は一瞬で逝ける」

突然のその言葉。やはりマダラはまともではないと、今この瞬間ひしひしと感じる。私を殺めるのならば先刻私が願ったその瞬間やってくれれば良かっただろうに、何故性交の最中抵抗することも諦めたこのタイミングでその気になったのだろう。彼の髪を掴みあげたことがいけなかったのか何なのか、一体何がマダラの逆鱗に触れたのか理解も出来ず言葉を失う。彼との意思疎通が思うようにいかないこの焦燥感、覚えている。里抜け直前のマダラもそうであった。過去の慈しみのマダラと今の無慈悲のマダラの中間――別人のよう思えてしまうほどかけはなれた二人のマダラが、この瞬間に点と線で繋がれていく。

「しかし、貴様がこれほどまでに執着を見せる『過去のうちはマダラ』には興味が湧いた」

マダラはひとつ瞬きをして、そして言葉を続けた。


「今ここで俺に殺されて楽になるか。或いは生き永らえつつ俺に『過去の真実』とやらを諭して苦しみ続けるのか…どちらがいい」

その声音が石壁で跳ね返り、二人を包むこの静寂に響く。
遠回しな言い方ではあるが、彼の台詞はマダラが私の性ではなく私自身に興味を持ち始めたことを意味していた。喉が詰まり返事を口にすることも出来ず、私は震える手を再びマダラの髪へと伸ばした。顔を隠すように垂れる黒毛を掬い上げ、その目をしっかりと見つめる。

この目の様――写輪眼の成れの果てだ。おそらく失明している。
かつてのマダラの目に対する執着を忘れることはない。うちはの頭領として戦で大いなる力を発揮するその目を誇っていたのもあるが、何よりもこの眼球は亡き彼の弟、イズナくんから譲り受けたものだ。マダラからしてみれば弟の忘れ形見であるその目は、おそらく自分の命の次に大事なものだろう。その大切な目の片方が今は白く濁って機能していない。何があったのだろうと、心底不思議に思う。

その刹那にふつふつと湧き上がるこの感情は、生きる気力というよりかは探究心や好奇心に近いのかもしれない。マダラの言う通り私にとっては死んでしまったほうが楽で、生きながらえることは苦しみに満ちるのだろう。今ここでマダラに首をしめてもらえさえすれば、もう胸が張り裂けそうな苦悶を感じることはない。

だが、マダラが私への興味を示してくれたのは真実への微かな一歩であった。マダラは私を完全に拒絶しているわけではない。マダラが『過去のうちはマダラ』を知りたがっていると言うのであれば、私は『過去のうちはマダラ』がどうして今こうなってしまったのかを知りたい。マダラが僅かにでも私を受け入れる姿勢があるというのならば真実に近づける可能性があるように思えて仕方がなかった。どうせ死ぬのならば、納得できるまでもう少しあがいてみたい。どうしても駄目になってしまったその時は、マダラはすぐに私を殺してくれる。いつでも無かったことにできる。簡単なことじゃないか――。


私は大きく吸い込んだ息を鼻からゆっくりと吐き出す。この選択で良いのかと未だ迷う苛立ちに心臓は早鐘を打っているが、私の意思でどうすることも出来ない。今度はマダラの瞳ではなく彼自身を一直線に見据え、私は首元にある彼の手に触れる。

「ありがとう」

複雑な胸中を一言でマダラに放ち、そして苦悶の道へと進むためその手をどけた。