花筏 | ナノ
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05. 幻影

この薄暗い洞窟で流れる時間は、おそろしいほどにのろまだ。縛られてはいないものの私の寝台がおいてある一空間より向こうへは結界が張ってあるため、自由な移動はできない。治りかけてきたとは言え脇腹は依然として痛み、激しく動く気にもなれずにぐったりと横たわる。それ以外に出来ることなどない。時間が嫌というほどに有り余って身動きも取りづらい私は、倦怠の日々を思いふけることで勤しんでいた。当然思案する事といえば私をこの空間に閉じ込めた彼、マダラのことである。

あまりにも不明瞭なことが多すぎる。腑に落ちないことは多々あるが、何よりも何故、マダラは生きているのだ。

マダラと千手柱間の戦いに決着がついた翌日、私は一度火影室に呼ばれたことがある。マダラの遺体についての話だったが相談など温いことではなく、決定事項を淡々の伝えられるばかりであった。一族の者として、そして妻としてはマダラの遺体はこちらで引き取り手厚く葬りたいところであったのに、千手扉間はそれを許さなかった。万華鏡写輪眼も含めマダラの特異体質が万が一にでも他所に渡らぬようこちらで管理するとの話だったがそんなものは建前で、おそらくその目が私達うちは一族へ受け継がれていくことを一番に警戒していたように思う。反論したい気持ちがなかったわけではないが事実夫があれほど大きな過ちを犯した手前、私に発言の権利なんてものは存在しない。暗黙の重圧を肌でひしひしと感じ、私は自重せざるをえなかった。そうしてマダラの遺体は千手扉間の下管理されるようになったわけだ。

まだ生きている人間を死んだとみなすだなんてそんなミス、あの千手兄弟がするようには思えない。千手兄弟が死んだと認めたならば、マダラは間違いなく死んだのだろう。しかし、今マダラは生きていた。

まず疑ったのは偽物である可能性だ。他所の悪趣味な忍がうちはマダラに化けているのではないか。しかし日に数度私の様子を見に結界のすぐそばまでやってくるマダラを注意深く感知してみても、そのチャクラは間違いなくうちはマダラ。少なくとも身体は紛うことなき彼のもの。では誰かがマダラの遺体を盗み出し、それに憑依して過ごしているのか。そんなことなど出来るわけ無い。あの千手扉間の厳重な手元から死体という目立つものを盗むなんて不可能である。

そこで導かれる答えと言えば、マダラが生きていた可能性だ。千手柱間がマダラにとどめを刺さず瀕死の状態で里に連れ帰ったとするならば。マダラを密かに生かして捕らえておくことで里を襲った動機やうちは一族の禁秘情報を吐かせていたとするならば。里の民や我が一族には死んだことにしておいて、マダラの生存の事実は里の上層部だけの極秘事項とする。マダラが何らかの手段で逃亡したとしても、公には死んだとしている以上安々とは逃亡を公表できまい。それならば、今マダラが生きていることの説明はつく。

しかしそれでもやはり腑に落ちない。里を襲うという大罪人且つ相当な強さを誇るマダラを生かしておくメリットはあまりないように思う。さっさと殺したほうが里のためだと、私が上層部の人間ならばそう思うだろう。――そして何より私に関する一切の記憶がない、その理由は一体何なのだ。


「女、飯はここへ置いておくからな」

私は寝台に腰掛けながら食事を運んできたマダラの様子をぼんやりと見ていた。なけなしの力で僅かにチャクラを練りあげてマダラの存在を感知しようと試みる。私がチャクラを練る気配に気づいたマダラは眉間に深く皺を刻んでこちらを睨んでいるが、構うものか。

「毎日何度も何度も俺の気配を調べて、よく飽きないものだ」
「…信じられないの。あなたが本当のマダラなのかも、本当に生きているのかも」
「俺が偽物だと言うのならそう思えばいい。貴様の勝手だ。だが来る度来る度にじろじろ見られるのは気味が悪い」

吐き捨てるようにそう口にしながら腕を組むマダラ。彼の足元に置かれた粗野な木皿の上には、三粒の兵糧丸と野草が少量、そして何匹分かの蛙の足を焼いたものが乗っていた。間違っても食欲がそそられるようなものではないが、生きるためにはそれらを体内に収めることが重要である。私は気を張るのをやめてぐったりと背を丸めた。こちらに食事を置くためマダラはこの時だけ結界を解除するが、だからと言って逃走しようなんて気も起きない。いつもどおり再び結界を張って早く向こうへ行ってほしい、願うことはこれだけだ。さっさと食事を済ませて、この苦悩を忘れるためにも眠りについてしまいたかった。しかし。

「…どうしたの?」

マダラはいつものように結界を張らなかった。それどころかひたひたと素足の音を響かせながらこちらへ歩み寄ってくる。燭台のみの僅かな光源で照らされるマダラの様が足音とあいまって気味悪く、私は図らずも身体を強張らせた。

「腹の傷を見せろ」

真っ直ぐな声音でマダラが放った言葉に耳を疑う。まさか彼に傷の様子を心配してもらえるとは思ってもいなかった。いや、優しさなんてそんなものの気配は感じないが、少なくとも罵倒の言葉を並べられているわけではない。素直に喜ばしく安堵に肩の力を抜くが――どうやって腹を晒すべきなのだろうか。寝衣として襦袢を渡され今身に着けているがこの衣で腹を見せようとするとどうしても上半身は裸にならざるをえない。夫婦であったころならば何の戸惑いもないが、この他人行儀のマダラに肌を晒すのは気が引ける。などと私が迷いあぐねていればマダラは苛立ったようにわざとらしく大きなため息をついた。マダラの様子に躊躇している場合ではないと察し、早々と襦袢の前をはだけさせて上半身を晒した。

「思いの外治りが早いな…」

感心したとでも言わんばかりの呟きに、恥が僅かに軽くなった。

「毎日少しずつチャクラで治癒してるの。臓腑の痛みも大分和らいできたわ」
「なるほど。チャクラの扱いには長けているのか。」

褒められるようなことを言われて思わず頬が熱くなる。純粋な筋力ではどうしても男性には叶わず、繊細なチャクラコントロールを極める方向で修行を積むことはくのいちにはよくあることであり、私のみが特別優れている訳ではない。だがしかし、ふと遥か昔にもマダラにこうやって医療術について感心されたことが思い浮かび、不覚ではあるがわずかながらに鼻奥がツンと痛んだ。マダラは私のほうへ手を伸ばし、生々しい跡を残す傷元へ触れた。間違いなく生きた人間のぬくもりを腹で感じて、マダラが目の前で生きていることを今一度実感してしまう。



「ここまで治ればもう良いだろう」


何が良いの…?と聞き返すよりも先に、胸元を隠すためにあてがっていた腕を掴まれる。マダラの無骨な指が、この腕に食い込む。ハッと顔を上げればマダラは不気味な笑みを浮かべている。その視線の先にあるのは間違いない、私の乳房だ。私は恐怖で腕に力を込めるがやはり彼に力で叶う筈もなく、強引に腕をどかされた。露わになってしまった乳房が感じる冷たい空気に背筋が凍る。

「いや、やめて…」
「分かっているだろう、捕らえられた女がどんな目に遭うのか」

分かっている。その可能性を考えていないわけではなかった。敵に捕らえられたくのいちが、どれほど酷い仕打ちを受ける事態になるのか――しかし、マダラは長い間私の様子を見ているだけだからと、その可能性についてまともに向き合って覚悟していなかった。不覚だ。なんて私はマヌケなのだろう。

彼は私を強引に寝台に倒し、そして素早くこの身体の上に跨った。私に対する遠慮など一切ない強さに乳房を鷲掴みにされて痛みに顔を歪めるが、どんなに身をよじろうとも上にいるマダラはビクともしない。

「虫けらのように容易く息絶えてしまいそうだった貴様を助けてやったのはこの俺だ。俺は貴様を生かしておいてやってるんだぞ。…なァ、恩はあるだろう」

喉を鳴らしながら不敵にそう話しかけるマダラは恐怖の対象でしかなく、堅く堅く目を瞑った。目の前のマダラが、愛しいあの日のマダラと同一人物だと認めたくなかった。

「どうしても俺を拒むと言うのなら今この瞬間に殺してやっても良い。痛みなくあの世まで送ってやることもやぶさかではない」

しかしその台詞に私は一転、歓喜をかけらを見出した。

あの世とは、今の私にとっての微かな希望の光だった。マダラに会いたい、マダラと一緒に居たいとあれほど願ったはずなのに、今の私にとってそれは苦痛以外の何ものでもなかった。脇腹の痛みに耐えながらも毎日退屈な時間を淀んだ洞窟の中で過ごし、そして今、この身体を強引に貪り食われそうになっている。その相手が永遠の愛を誓ったマダラであっても耐えられない。苦しみ。心を八つ裂きにされているかのような痛み。それらから開放されるのならば、どんなに良いだろう。どんなに素敵なことだろう。甘い死の香りを感じて、私は堅く閉じた目をそろりと開いた。

しかし――私の様子を覗き込むマダラのその目鼻立ち。瞳。髪。ああ間違いない、我が人生をかけて想い続けた愛しいひとのものだ。私の唇は震えを隠せなかった。見なければよかった。瞼を上げなければよかった。マダラは私のことを覚えていない。今目の前で私を手籠めにしようとするマダラは私の知るかつてのマダラではないはずなのに、やはり姿形はマダラそのものなのだ。脳は乱れきっている様をありありと示し、心臓は混乱ゆえに激しく波打っていた。もはや何も考えきれず抵抗する力すら消え果ててしまった私は、ぐったりと腕を寝台に縫い付けた。


「好きにすればいい」


自分でも驚くほどに冷ややかな声がこの喉から絞り出された。なんと情けない。私は、死を選ぶことができなかった。

憔悴しきった様子でそう呟く私の様子を目の当たりにしたマダラは一瞬だけ目を見開き、その後楽しげに口元を綻ばせた。そそくさと私の乳頭に唇で触れる彼。得体のしれない恐怖を感じると共に、刹那、夫婦として度々交わりあった思い出と喜びのようなものが垣間見えた。訳が分からない。ついに自分が今何を考えてどう思っているのか分からなくなり、この感情の荒みと混乱で私は雑巾のようにへばりこんだ。





*****





おどろおどろしい時間を終え、ふらつきながら洞窟の中を歩む。いくらか機嫌の良いマダラに洞窟内を動き回ることを許可され、身を清めるために水の湧く場所へと目指していた。どんよりと空気の淀む洞窟には似つかわしくないほど穏やかで清い音をたてながら、岩と岩の合間を縫うように流れ落ちる水。その水たまりのすぐそばに蝋燭皿を置き、私は羽織っていた襦袢を地面に脱ぎ落とす。手ぬぐいを湿らせる水たまりの温度があまりにも爽やかで、ふつふつと憎しみの感情が胸の内に溢れるようだった。

程よく湿った手ぬぐいで胸を拭い、腹を拭い、そして股に宛がう。微かな痛みを残す股間の感覚は、遠い昔の二人の淡く儚い初体験を思い起こさせた。新婚初夜、ついにこの日が来たと意気込んでみたは良いがそのやる気と反して大抵のことはうまく行かず、二人で照れつつも苦笑いを浮かべた、あの日。

(その顔、すごく痛いんだろ、コマチ。今日はこれくらいにしよう)
(痛いけど大丈夫だから…あの、最後まで…おねがい)
(そ、そういう言い方は止せ…!今だって一生懸命我慢してるんだ、尚更加減できなくなっちまうぞ)

そう言って困ったように眉根を寄せたマダラに下腹部を撫ででもらったあの幸福感は一生忘れることはないだろう。まだお互いに青臭く非常に稚拙な行為ではあったが、そのマダラの慈しみだけで私は十分幸せだったのだ。この人と夫婦になれて良かったと心の底から思えた―――それなのに、何故こんなことになってしまった。

成人男性が一人でこんな洞窟にひっそりと暮らしていれば、性欲の処理に困ることもあるだろう。マダラが私を拾ってきた理由は、それなのだろうか。彼にとっての私とは欲を満たすだけの存在なのか。あんなに恥ずかしそうに、しかしめいっぱいの優しさを詰め込んで抱いてくれたマダラに、おもちゃのように扱われてしまうのか――。


その事実を認めた瞬間、私は手の震えで手ぬぐいを地面に落とした。それを拾い上げることすらも忘れて、震える手を目前に晒す。この手も、指も、乳房も尻も、つま先から髪の先まで、私には愛しいマダラとの思い出で満ち満ちている。幼いころから彼に少しでも見惚れてほしいと丁寧に髪を梳かし、肌を滑らかに整え、上品な所作のために指先までも注意を払い生きてきた。しかし私がどんなに媚びようとも今のマダラには届かないのだろう。なぜなら私は、彼にとっての性欲のはけ口でしかないのだから。それなら愛しいマダラにつりあいたいと磨き続けてきたこの身体の全ては、一体何のためにある――?

マダラに愛されることが私の存在意義であり、生きるための糧であった。意味を無くした身体を己の腕で抱きしめれば、絶望で過呼吸のように息は荒くなる。涙を出すことも声を絞り放つことも出来ず、一糸まとわずの私が泣き叫びの代わりにこぼした吐息は、恐ろしいほどに悲嘆のどす黒さを表していた。