花筏 | ナノ
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07. はなざかり

あれは確か、私が十四の頃の話である。

ガヤガヤと活気あふれる町の人波の中、大きく逞しさに満ちたマダラの背中を追いかけ、私は必死で往来を突き進んでいた。いつの間にか成長期を迎えてぐんと大きくなってしまったその背中。遠慮もなくジロジロと眺めていると「何だよ」と前方から低い呟きが聞こえる。図体は大きくなってもその神経質な面は相変わらずなのがどこか可笑しく、図らずも口を綻ばせる。

「私マダラみたいにそんな足長くないし、もうちょっとゆっくり歩いてくれると嬉しいんだけどなあ」
「もっと気合入れて歩けば良いだろ」

なんて納得いかないようなそぶりを見せながらも、ちゃんと私に合わせて歩調を緩めてくれるのが嬉しかった。再び彼の隣を歩み、安堵と疲れにあくびをひとつ漏らす。

薬や兵糧丸の買い付けを任されたマダラに「荷物持ち」だなんてそれはもう大層なご指名を受けて、私はのこのこと彼とともに町まで降りてきた。荷物持ち呼ばわりとは言え、最近は修行やら戦やらで血なまぐさい毎日を送っていたので、あの緊張感から解き放たれ、久しぶりに活気の中に身をおくことが出来るのは実は結構楽しい。とは言え今日は春の終わりとは思えないほどに日差しが強く、汗ばむような燦々の陽気に気は削がれる。人混みの中を歩くというのは、何だかんだ体力を使ってしまうものだ。

荷物を持たない空いた方の手であくびで滲んだ涙を拭い、ただ歩いているのも暇であちらこちらに視線を向ける。人混みを歩くのは疲れるが、こうして飲み屋の鮮やかな提灯や雑貨屋の店先の大小様々な品物を眺めてみるのは好きだ。マダラは全く興味がないようでただひたすらに歩いているが、せっかく町まで来たんだから少しでも楽しみたい。そんな思いで歩いているとふと、きらきらと色鮮やかな小物が並ぶ店を見つける。装身具の店だ。

当時の私は一丁前におしゃれに興味を持つ年頃であったが戦乱の世の忍であったため、おしゃれを楽しむような機会は少なかった。汗やら砂埃やらで身体を汚す日々ばかり。鮮やかに色を放つ飾り物の類には人一倍興味があったが、当然安価なものではなく、まだ大人でもない私には手が届くはずもない。髪飾り、かんざし。目を惹かれるものは沢山あるが今一番欲しいものと言えば…ああそうだ櫛だ、つげ櫛が欲しいなあ。なんて一通り思い巡らした後に前へと向き直ると―――マダラが居ない。店に気を取られて彼を見失ってしまった。

やっちゃった。こんな人混みの中ではぐれてしまうとは面倒なことになってしまった。私は眉間に皺を寄せ、焦りのままにあたりを見渡す。ツンツン髪のアイツはどこだ…と目を凝らしていると思いの外容易く前方に見覚えのある人影を見つけた。マダラが特徴的な髪型をしていることにこっそり感謝しつつ、大慌てで人混みの中を走り抜ける。

「マダラ!」

名を呼べば一瞬で彼は振り返る。やや離れたところから駆け寄ってくる私の姿に、何が起こったのか察したのだろう。マダラは道の端によって立ち止まり、呆れたように鼻から息を吐き出した。

「お前またはぐれそうになってたのかよ。ガキか」
「髪飾りみてたら見失ちゃった」
「あのなあ…」

苦笑いで言い訳をしてみれば、マダラが呆れ果てたように天を仰ぐ。素直に謝れば良かったと思い、今更になって小さく謝罪の言葉を述べるが、マダラは依然としてしかめっ面のままである。喧騒の隅っこに流れる気まずい雰囲気を感じ取り、居たたまれなくて思わず肩を竦めてしまう。不安と後悔で自ずと握りしめた右手へ視線を下ろすが、間髪をいれず突然視界の中に手が飛び込んできた。マダラの手だ。

「ほら、さっさと帰るぞ」

彼の手は強引に私の右手をさらった。マダラはそれっきり何も言わないまま、ずんずんと早い歩調で前へと突き進む。引きずられるように私も足を前へと出すが、マダラの歩調はやはり私には早すぎて度々足がもつれかけた。苦情を言ってやろうかと思いっきり息を吸い込むが、その拍子に視界に飛び込んできた、繋がれるマダラと私の手。目の当たりにしてしまった途端に、のぼせ上がるような恥じらいが喉元にこみ上げ息がつまる。



こうしていると、マダラと私の関係がわからなくなってしまう。私たちはただの幼なじみか、それとも。
マダラが私に向ける好意には、何年も前から気づいている。マダラはきっと私のことが好きだろう。反対に私もマダラに好意を抱き、特にそれをひた隠しにすることなく日々接していた。彼もまた、私の好意を感じ取っているだろう。

しかしこの状態で一体何年経ってしまったのか。お互いにその好意を口にしたことは一度もないのだ。つまりこういう風にマダラは何かにつけて私を付き添わせ、共に出かけることが多々あるが、決して幼なじみとしての一線は超えていない。恋人同士ではない。イズナくんには「もうこのままで良いんじゃないかな」なんてからかい半分に言われているが、当の本人である私からしてみればこの宙ぶらりんの状態は堪ったもんじゃないのである。まだ大人ではないとは言え、もう子供でもない。多少の背伸びだって出来る年頃だ。

幼なじみから一歩踏み出してみたい、そう思って私はマダラに度々接近し、例えば肩を寄せ合わせたりしてありったけの好意を行動で示してみてはいるのだが、彼は何も言おうとしてくれなかった。顔を赤くしながら満更でもないような素振りを見せるが、そのうち恥に耐え切れなくなるのかマダラのほうから離れていく。そうなってしまうとしつこくマダラに接近するのは女性としてはしたない気がして、私はそれ以上何も出来なくなってしまうのだ。類まれなるほどに忍の才に恵まれたマダラではあるが、おそらくこういうことは酷く苦手なのだろう。今でさえ、ほら――まだ人混みの中だと言うのに、いくらか歩みを進めたところで彼は私から手を離してしまった。私はこんなにも、マダラにもう一歩こちらへ歩み寄ってほしくてたまらないのに。

もう女性としてはしたないとかそんなこと言ってる場合じゃない。先に進むことを望んでいる私自身が頑張らなくっちゃ。

なんて妙に真面目な考え事をしながらも、掌に残るマダラの手の感触に頬を熱くしてしまう初心さ。僅かに掌が湿っているのは私の汗なのか、それともマダラのそれなのか。どうでもいいことが気になって、私は慌てて頭を振る。変なことを考えてはダメだ。こういうことは勢いが大事なんだ。

私は胸を大きくふくらませるほどに大げさに息を吸い込み、危うくむせかけた後、離れたばかりのマダラの手を今度はこちらからさらってみた。

「…まだ、人が、いっぱいだから…その…」

マダラが驚きの表情で勢い良くこちらに視線を向けてきたので、ありきたりな文句を何とか紡ぐ。が、どうにも拙い。こういう咄嗟の台詞に人生の経験が出るんだろうなと、大人ぶってた先刻までの自分を憎たらしく思ってしまう。マダラは歩みを進めながらも、私の右隣で何も言葉を口にしようとせず、代わりにその黒い瞳を不自然にあちらこちらに彷徨わせていた。マダラの照れ具合が手に取るように分かり可笑しくは思うが、それを眺めて笑う余裕もこちらには当然無い。

「本当、ガキだな…」

ようやく聞こえてきたそれは酷い言い様ではあったが、マダラが恥じらっているのを理解している以上別に傷ついたりなんかしない。マダラなりの照れ隠しだと分かっているのだから。まあ確かに「私が頑張らなくちゃ」と意気込んでおいて、手を握り直すくらいしか出来ない私が幼稚であることは悔しいが当たっている。私は自分に呆れ果ててそれ以上マダラに何も言い返すこともせず、ただはにかみながらひとつ相槌を打ち、そして二人で人混みの中を突き進んでいくのだった。




そうしてしばらく歩いた後、うちはの集落までもう半分の道のりというところ。
町の喧騒とは正反対の静かな森の小道の中にも関わらず、マダラがやけに辺りを気にしている。何度も何度も後ろを振り返るその様に私は不安を覚え、どうしたのかとマダラに尋ねる。

「もう手、大丈夫だろう」

唐突な言葉と共にあっさりとマダラと私の手が離れた。温もりを失って覚える物足りなさに、私は眉尻を下げて彼の顔を見遣る。私から解き放たれたマダラは次第に歩調を速め、ずんずんと先へと進んでいく。徐々に長くなる二人の距離が物悲しい。慌てて私は声を張り上げた。

「もしかして…誰かに見られるの、恥ずかしがってる?」
「当たり前だ。お前と手ェ繋いで歩いてるとこなんて見られてたまるか」

これから歩けば歩くほどうちは一族の集落に近づいていくのだから、一族の誰かにうっかり見られてしまう確率だって高くなる。至極当然のことだ。だと言うのに私ときたらマダラと手をつなぎ歩くことに精一杯で何も考えてなかった。そもそも「人がいっぱいではぐれそう」というのが建前だったのだから、人混みから離れた時点で私の方から手を離してあげるべきだったのだろう。失敗だ…。

ぐうの音も出ない正論に何の言葉も浮かばず、己の情けなさに肩をすくめて立ち尽くす。マダラは私が足を止めたことに気づき、すぐさま立ち止まってくれた。しかし振り返りざま、呆気にとられたようなしかめっ面でマダラがため息をつく。その彼の様に胸が縮こまるような切なさを感じて、私はやるせなく歯を食いしばった。

ざわざわと山桜の葉が音を立てて、二人の間に流れる静寂をかき消している。森の途切れ目の下、青の隙間から零れた陽光を浴びつつマダラが私を見ている。眩しく照らされた幼なじみの姿が、平素より一段と大人びているように思えた。あっという間に私より一回りも二回りも大きくなってしまったことを、認めざるを得ない。私をガキだ子供だと馬鹿にしたくなるその気持ちも、何となく分かる。目の前のマダラはもう大人一歩寸前。そんな彼から見れば、まだ色々な面で稚拙な私は幼く見えてしまうのかもしれない。

そこまで考えが至ったところで、微かな恐怖を感じた。置いてきぼりにされてしまうのではないかという、朧気な不安。今彼が私を好いていてくれたとしても、永遠にそうしてくれる保証はない。もしいつか他の女性に気が移ろいだりしたら、私は、どうする。受け入れられるのだろうか、いや―――。


「私も誰かに見られたら恥ずかしいけど、でも、」
「…」
「嬉しい。マダラが相手なら、わたし嬉しいかもしれない」

恐る恐ると微かに口に弧を描いてそう言えば、マダラは不意をつかれたのかハッと息を飲んだ。

「マダラと一緒にお買い物行けて楽しかったし、手繋げて嬉しかった。今日だけじゃないよ、マダラと一緒にいるといつでも楽しいし、嬉しいし、それにドキドキする…」

と言葉を紡いでいる私の心臓はドキドキなんて可愛げもない、ドンドンと突き上げるような勢いで早鐘を打っていた。緊張のあまり息が乱れているが、こんな大変な状態になっていることを彼に知られたくなくて、一生懸命に普段通り呼吸するふりをしている。ついに、ついに言ってしまった。これはもう私の最大限の力を振り絞った行為だ。ただ言葉を放つだけでこれほどまでに狼狽えたことが私の今までの人生にあっただろうか。生まれて初めての経験にすっかり参り、私はうっかり神経質になってまつ毛を震わせた。しかし、これではやりきっていない。あと少し、もうちょっと。

そして私はマダラへとゆっくり近づく。輝く陽の光を自分自身にも浴び、ひとつ覚悟を決めて強い眼差しを向けた。

――そっと。愛しい幼なじみの身体へ自分の身を傾ける。


「ほら、マダラもドキドキしてる…」

二人の身体はピタリとくっついた。強引ではあるがこの額を彼の鎖骨のあたりに置けば、驚きに乱れたマダラの息遣いを耳にする。マダラの左胸に添わせた右手に、トントントンと性急な律動。マダラも私と同じだ、ドキドキしてくれている。彼が私に好意を持っていることを知っていても、いざ実際に自分の身体の感覚でその好意を味わってみると、得も言われぬような恥じらいと安堵を感じてしまう。安堵の心地に身体中から力が抜けていった。これが限界。私の精一杯だ。結局好意を口にするという最後の一歩が踏み出せず、不甲斐なさで目に涙が滲むが、これ以上この身体で何をすることもできない。

マダラの荒い呼吸をかき消すかのように、彼の鼓動の音が強く鼓膜へ伝わってくる。私の左手はついに力を失い、荷物である風呂敷を弱々しく地面へ落とした。しまったと一瞬思うも、中身はただの薬草だということを思い出して一息吐き出す。空いた左手も右手同様に彼の胸へとあてがい、なけなしの気力でさらに一歩分彼へと強引に詰め寄ってみる。―――ようやくマダラが口を開いた。

「コマチ、俺は、」

その声を聞き、唇を堅く綴じ合わせてからおそるおそる胸に埋めていた顔を上げた。二人の視線が絡まると同時にマダラの黒目が逃げるように揺れたので、私はじれったさに眉根を下ろした。

「マダラの気持ち…知りたい」

痛切な願いを込める声に、マダラの瞳が私へと戻ってくる。ついに来たこの時。マダラは確かに私自身を見据えていた。
黒髪を揺らす暖かなそよ風に新緑の青臭さを感じて、彼に這わせる指を密やかに震わせる。この風が通る隙間も無いほどに、私達の身体はぴたりと寄り添っていた。



「俺は、俺にはお前しかいない。ずっと前からコマチが好きだ」


――不思議だ。ほんの数秒の短い言の葉だというのに、この一言を耳にした瞬間には私の呼吸が止まってしまう。とどろくような胸のときめきで、どんなに頑張ってみてもまともに息を吸うことが難しい。それほどまでに、私の身体は愛おしい彼への恋心で満ち満ちていた。どれほどマダラからの「好き」の言葉を待ち望んでいたのだろう。やっとマダラの気持ちを聞くことが出来た。これ以上はないと思えるほどに得難い喜びであった。火照りとともに身体中から湧き上がる歓喜の気持ちに舞い上がり、私はありったけの恋心を詰め込んだ眼差しを彼へと向ける。そして小さく震えながらも、両腕で強くマダラの身体を抱きしめた。とっても、温かい。

私もマダラのことが好き―――小さな声音ではあるがそう口にすれば、仰ぎ見えるマダラの顔にも喜びの色が滲んだ。柔らかく綻ばせたその唇の見目良さに、私の胸がきゅうんと締め付けられた。強すぎて苦しいくらいの胸のときめき。今一度彼の胸板へ顔を埋めると、マダラは少し身体を傾けて、ずっとその右手に持っていた私の包みよりも格段に重たい荷物を地に置く。そうして次の瞬間には弱々しく震える私の背を、しっとり穏やかに両手で擦ってくれるのだった。