花筏 | ナノ
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04. はなどき

「ねえコマチ、ほら、兄さんがコマチのこと見てる」

それは今となっては遥か昔のことのように思う。春本番を目前にひかえ、人も植物も動物たちもどこか楽しげに浮かれて見える穏やかな一日。そんな陽気の中まだまだあどけなさの残る子どもが二人――組手の合間に水分補給を一足先に終えたイズナくんが愉快そうに私へと耳打ちをする。ひそひそ声で聞こえてきた彼の台詞にまだうぶだった私はしばし固まり、そしてゆっくり後ろに目を向けた。少し先のところで井戸から水を汲んでいたツンツン頭の少年こそ、間違いなくマダラであった。私が振り向いた直後のその一瞬視線がかち合えば、マダラはすぐさま決まりが悪そうな表情でぷいと視線をそむけた。

「水汲み中なんでしょ。ほら、早く組手のつづきしよ!」
「でもほら、兄さん仲間に入れて欲しそうだし」
「いいよ…!たぶん水汲みで忙しいの」

「わざわざ今水汲みする必要あるのかなあ」と納得いかなそうに、しかし楽しげにぼやくイズナくんの姿にすっかり気恥ずかしくなってしまって、私は力任せに彼の手を引っ張った。

「ほんと兄さんってばコマチのことよく見てるよね。絶対にコマチのこと好きだよ」

なんてとんでもないことをイズナくんが軽々しく口にするものだから、私は照れくささを隠すように強引な手つきで彼の手の竹水筒をふんだくった。名残惜しげに水筒に手を伸ばすイズナくんを気にも留めず、「休憩終わり!」と乱雑に声を張り上げる。そんな私の姿を目にして、イズナくんは可笑しげに笑い声をこぼした。イズナくんはいじわるだ。こうやってマダラと私のことをからかうのだ。

忍は皆小さな頃から刀を持たされ、一人の戦士として早々に戦闘術を教えこまれるのがこの時代の常であった。しかし、いくら大人同然に修行を積んでいようとも所詮は幼い子供。こうやって僅かな平和の日々の合間には、歳相応にふざけあったりくだらないことに興味をもったりもする。誰々が誰々のこと好き、だなんていう噂はまさしく年頃の子供たちにとっての格好の的だ。そしてからかわればついヤケになってしまうのもやはり、子供ゆえ。こうやってイズナくんにからかわれては、狼狽えるあまり大きな声を出して話題をそらす。大した娯楽も無い時代、幼き日の私たちはこんなことを繰り返して遊んでいたのである。

近くの桜の木まで駆け寄り、修行の邪魔にならないようにと二人分の水筒を根本へ置く。「さあ修行がんばるぞ」とイズナくんのもとへ向き直せば、居ない。あっと思うも時すでに遅く、イズナくんはそそくさとマダラのもとまで駆け走っていた。

「イズナくん!」

なんて私の懸命な呼びかけは当然無視である。マダラの元へとたどり着いたイズナくんが何やら面白そうにマダラに話しかけているが、その声を聞き取ることはできない。今すぐにでもイズナくんを連れ戻したいがマダラの元へ向かうのもはばかられて、あわあわとその場で狼狽えることしかできなかった。そんな私のほうへイズナくんは突然顔を向け、ちょいちょいと手招きをする。う…と思わず重たい声を漏らすも、手招きする様子を確かに見てしまった以上無視するわけにもいかない。本当は逃げてしまいたかったが私は素直に二人の元へと歩みを進めた。

「なあに?」
「ほら兄さん、コマチがね、手伝ってくれるって水汲み」
「はあ!?」

私もイズナくんのお節介には驚いたが、一足早く声をあげたのはマダラだった。目をまんまるに開いて金魚のように口をパクパクさせるマダラの姿を目前にして、私は文句を言ってやろうとイズナくんに鋭い視線を向ける。ところが当の彼は楽しげな笑顔を浮かべたままに、「じゃあ俺厠行ってくるね」などと白々しいことを口走ってさっさとこの場から立ち去ってしまった。今思えば、幼いながらにして大したあざとさである。

ぽつり取り残されてしまった私たち。微妙な距離の空く二人の間に気まずい沈黙が流れ、仕方がなくマダラの方を見遣った。

「手伝うよ」

と何とも可愛げのないぶっきらぼうな声を出すことですら、恥ずかしかった。私の台詞にマダラは我に返ったかのように一瞬肩を跳ね上げ、そしてほんのり色づいた顔をこちらに向けた。

「べつに手伝わなくったっていい!俺一人で水汲めるし運べるっつーの」
「そっか、良かった!じゃあ私も厠いってくるね」

いたたまれなさに早くこの場を立ち去りたくて、別に尿意なんてないのに厠へ逃げようとマダラに背を向ける。するとマダラは慌てるような声を上げ、唐突に私の肩を掴んだ。その思わぬ力の強さ。食い込む指のせいか僅かに肩が痛み、私は半ばムッとしながら立ち止まった。

「やっぱ手伝え。ほら、あれだ、筋肉使うし、いい修行だろ。コマチは腕っ節弱いからなー。俺がつきっきりで鍛えてやっても良いんだぜ」

あまりにも馬鹿げた言い分である。私から視線を逸らしながら横暴に言葉を放つその様のおかしさと言ったら。そのいかにも取ってつけたと丸分かりの可笑しい彼の物言いに、僅かに感じていた苛立ちもどこへやら、私は思わず吹き出して下品にも笑い声を零す。自分の失態を悟ったマダラはポンと途端に顔を真っ赤にして照れ隠しのように強引に綱を私へ手渡した。マダラは小さな頃から照れ隠しが下手だ。

「ほら、早く持たねーと日が暮れちまうぞ」
「わかってるってば」

マダラに言われるがまま素直に綱を握り、桶が井戸の底に落とされていることを確認した私は、しっかりと足を地面に踏み込ませ腕に力を込めた。が、やはり重い。そもそもまだ十の年を迎えたばかりの少女に、水がなみなみと満たされた桶は重量がありすぎるのだ。全く持ち上がらないわけではないが、それでも歯を食いしばりながらゆっくりゆっくりとしか綱を引けない。手のひらに痛みを感じながらも弱音を吐く姿なんてマダラに見せたくなくて、ただ一生懸命踏ん張ってみせる。

「ほらなーやっぱりコマチは貧弱なんだよ」

ひんじゃく…わざと小難しい言葉を使って私を小馬鹿にするマダラのその台詞へ無茶を言うなと反論するよりも先に、ふっと綱が軽くなる。マダラは私の直ぐ後ろに付き、共に綱を引いてくれていた。突然近くなる彼との距離に、何の前触れもなしに心臓が早鐘を打つ。近い、近すぎる。マダラの衣擦れの音が聞こえてしまうほどに詰められた距離のせいか手に力が入らなくなり、綱がうまく引けない。

「俺が手伝ってるからって力抜くのはズルいぞ!」
「なっ…わかってるもん!」

声量を強めて何とかマダラと張り合おうとするが実際そんな余裕もなく、汗ばむ手のひらで何とか綱を握り直すも、やはりうまく力は入らなかった。とにかくとっても、ドキドキする。ほのかな淡い胸のときめき。経験し慣れないこの感情に私はすっかり参ってしまい、何とか平静を装って呼吸を繰り返すだけでも精一杯だった。

マダラに今の私を知られたくない。知られてしまったら、何だかとっても恥ずかしい。何でこんなにもドキドキしてしまうのかな。私だけこんなに慌てているのか。マダラはどうなんだろう。マダラはドキドキしないんだろうか――。

突として湧いてきた一粒の疑問が、考えれば考える程に膨らんで頭の中を埋め尽くす。気になってしまう。綱を引くふりをしながらももう頭ではマダラのことしか考えられない。マダラの様子を見てみたくてしょうがない。背後からかすかに感じるぬくもりへ眼差しを向けることにこっ恥ずかしさはあったが、一度気になってしまってはもう我慢できない。私はふーふーと大げさに息を吐き出してしっかり肩に力を込めた後、そうっと後ろへと顔を向けた。


ぱちり。その黒く穏やかな瞳としっかり絡み合う。


時が静止したかのような静けさの中、僅かに頬を染めていたマダラの顔に見惚れていれば、その桜色の頬はみるみるうちに朱を注がれた。

――のだが次の瞬間、ぐっと腕が身体ごとマダラとは反対方向へ引っ張られる。突然重みを増した桶に無防備状態の私は引きずられそうになり、慌てて綱から手を放した。けたたましい音を存分に辺りへ響かせ、水入りの桶はあっけなくも井戸の底へと落ちていった。

「は、な、ななな、なに急にこっち見てんだよ!ビックリしただろーが!!」
「ま、マダ、なに急に手はなすの!あぶないでしょ!」

マダラの大きな声に更に驚いた私は心底狼狽え、感情の高ぶりのままに大声を出して彼を責め返した。マダラのその目は怒りというよりかはバツの悪さをありありと示していて、つい私まで釣られて照れくさくなってしまう。彼から離れるように一歩後ろに下がった後、大慌てで井戸の向こうへと逃げた。

「私はマダラのこと見ただけだもん!ていうか、私井戸に落ちるとこだったんだよ!危なかったんだよ!」
「お前がビックリさせたのが悪いんだろ!」

そう言い放ち真っ赤な顔で私の元へやってこようとするマダラが何故だか恐ろしくて、避けるようにさらに井戸の反対側へ逃げ惑う。が、その足元にはすでにマダラが汲み上げたたっぷりの水入り桶があった。「わっ」と引きつった声を出しつつもどうにか避けようとするが時すでに遅し。無残にも桶は私の足に当たってひっくり返り、無常な音を立てて地面へと水をぶちまけた。

「あ、ごめっ」
「てめ、コマチー!!」

そうして私の元へ追いついたマダラは私の頬を両の手で挟み込んで、グリグリと遠慮無く圧迫し始めるのだ。当然、マダラは本気で怒っているわけではない。私を見つめるその眼差しは紛れも無く愉快そうであったが、タコのような口の変顔を彼に見られてしまうことはこの上ない恥だ。私は精一杯の力で彼を振り払い、ふざけるように逃げ走った。

こうして私たちは井戸の周りをぐるぐると駆けまわり遊んでいたのだが、すぐ後に慌ただしさを聞いてやってきたタジマさまに「井戸の周りで遊んだら危ない!」なんて叱り飛ばされ、二人仲良くしゅんと肩を落とす。タジマさまはついでにマダラに用があったようで共に来るように言い放ち、彼は連れて行かれた。

タジマ様と建物へ歩みを進めるマダラの姿を寂しく見つめる。何だか急に静かになってしまって、ぽつんと意気消沈。しかしこのまま呆然といるわけにもいかない。マダラもイズナくんもいないしどうしたものかと一通り思案した後で、そうだ水を汲んでおいてあげようと地面に転がる綱を持ち上げる。


ふ、と。

何かを感じて、引き寄せられるかのように顔をあげる。
遠くでこちらへ振り返り、私をこっそり見ていたマダラと――視線が絡む。
マダラは私に気づかれたことを悟り、慌てふためきつつも前へと向き直って、そしてタジマさまと屋敷の中へ入っていった。



思わず、フフ、と口元が緩まり笑みがこぼれてしまった。なんてマダラは不器用なんだろう。男子にこんなことを思うのは変なのかもしれないが、可愛い人だ。少年の日のマダラはいつだって照れくさそうに私を見つめていた。優しい眼差しを思い返せば溢れる胸の温かさに、私はむずむずと身体を震わせながら辺りを見渡す。井戸の直ぐ側、膨らんだ桜の蕾を目の当たりにすれば感じる春の予感に、幼い私の桜色の頬は再び綻びをみせた。


ねえマダラ。マダラが私のこといつも見てたの知ってるよ。
だって私も同じ。マダラのこと、いつも見てたんだから。