花筏 | ナノ
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03. 廃忘

まるでウジ虫を踏み潰すかのように迷いない力で、マダラの足に頭を押さえつけられている。この状況を把握しようと懸命に思い巡らすも、脳は正常であるはずなのに何も考えようとしてくれない。マダラが私に放った言葉を、思い起こすことができない。私は身体中を縛り付けられているかのような感覚に蝕まれて、身動きをとることすら忘れてしまった。私の頭を圧迫する彼の足に、尚一層の力が込められる。

「おい」

再びマダラに呼ばれたが、この状況では反応を示すことすらできない。困惑に飲み込まれた私がただただ大人しく地に伏せていると、ふっと頭の上の重しが軽くなる。その瞬間どうにか我に返り、私は素早く身体を起こして目前の男の姿へ視線を向けた。

こちらを見下しているその赤い目に灯るのは、侮蔑の光。全てを奪い尽くさんばかりの、あまりにおどろおどろしい殺気。私の一生において、マダラにこんな視線を向けられたことが果たしてあるのだろうか。すっかり竦み上がって言葉を口にすることも出来ず、混乱のあまり彼と共に過ごした日々を頭の片隅で思い浮かべていれば、目の前のマダラは私に向けて尚一層の険しい表情を差し向けた。

「やっ」

引きつったような声が我知らず口から零れる。マダラは目にも止まらぬ速さでしゃがみこむ私の首へクナイを向けたのだ。反射的に後ずさりした私の背に、鈍い音を立てて石壁が衝突した。その衝撃で痛む脇腹に手をかざすことすら忘れ恐怖に震える私は、首に当たるクナイのひんやりとした感触に息を詰まらせた。

「俺は確かに貴様を助けてやったが、その気になればいつでも殺めることができる。赤子の手を捻るように造作ないことだ」

その声音は酷く無機質で冷淡であった。目前に迫る彼の顔に、私の追い求めていたかつての日の慈しみは見られない。若き日、照れくさそうに微笑みながら私の身を気遣ってくれたあのマダラとは、あまりにもかけ離れた様だった。目の前にいる男は、一体誰だ。姿こそはマダラそのものだけれど、中身は違う。私の知っているマダラは冗談でも私にこんな無慈悲なことはしない。絶対に、しないはずなのだ。

「何でこんなことするの、マダラ。ねえ」

恐怖心に蝕まれて震える声ながらもどうにか言葉を放てば、マダラはフンと横暴に鼻を鳴らしてみせた。

「当たり前だろう。よそ者を警戒しない馬鹿がどこにいる」
「わたし、…私は、よそ者じゃないでしょう。ねえ、マダラ、私よ、うちはコマチだよ、ねえ」

理解も追いつかず、虚ろな視界でただ真っ直ぐマダラへと眼差しを向け続ける他無い。先刻よりも深く眉間にしわを刻み、憎しみまみれの目つきを寄越すその様にマダラが更に不機嫌になったことを悟るが、私は全くもって意味が分からなかった。何故、私の名前を聞いてこんなことをするの。私がうちはコマチであることは紛れもない事実であるというのに、一体何が気に入らないというの。得体の知れない胸騒ぎに怖気づき、身体はわななく。そんな私の様を見るマダラは露骨に不愉快そうな表情を浮かべていた。

「貴様、何故俺の名を知っている」
「…私はマダラと、小さい頃からずうっと一緒だったんだよ、ねえ何でこんなこと」
「俺は貴様のような貧弱な女など知らん」

――この身が溶け落ちるかのような、あまりにもむごい衝撃だった。
愛しい人の言葉に頭の中が真っ白になる。私の夫は、私の存在を否定した。私がうちは一族であることなんて疑う余地もない明白な事実を、目の前のマダラは何のためらいも無く容赦なしに叩き落とした。何故。何の意図がある。瞬きすら忘れた私に追い打ちをかけるかのように、マダラは私の胸ぐらを掴み無理やり立ち上がらせた。依然として首元に当てられるクナイ。

「うちはの家紋の着物を纏い貴様は倒れていた。俺の名を知っているのなら俺がうちはの頭領であったことも知っているだろう」

当たり前だ。私はうちはだ。家紋入りの服を着ることなんて当然だし、知っているも何も私はその頭領の妻であったのだ。

「この俺の前でうちはを騙るなど愚の骨頂。正直に言え、なぜうちはの衣を身に着けていた?何を目的にうちはを騙る」
「ちがうっ!私は間違いなく、うちはの人間よ!」

彼の言葉を遮るかのように大声を出した私は、目になけなしの力をこめて今一度彼を見据える。戦国時代を生き抜いたうちはの忍として、私の写輪眼はとうの昔に開眼したものだった。この目こそ、うちは一族であることの最大の誉れ。マダラの言葉に反論するには何よりの証拠を突きつけなければならないと、私はこの証を彼へと向けた。それ以外に方法など浮かばなかった。

「…どこで手に入れた…?」
「私のもの、私自身の目よ!」

やけになったように声を張り上げ続ける。マダラは殺気を放ち続けることは止めなかったがそれっきり口をつぐみ、まじまじと私の顔を覗き込んだ。

恐怖、悲しみ、怒り、様々な感情で目尻を吊り上げる私の目をだんまりで見つめるその姿は、やはり紛れもない私の愛しい人そのものであった。何故私を否定するのだ。何故、私を苦しめるのだ。目前の彼を思えば思うほどにかつての愛おしい気持ちは刃となり、この心臓を掻き回すように傷めつける。身体の奥底から突き上げるような苦しみに私はギッと唇を噛み締めた。緩んだままの涙腺から、たったひとつの涙がはじき出され、頬を伝った。

すると一瞬視線を下ろしたマダラは私から顔を背け、細く静かに息を吐いた。――その仕草は、マダラが私に根負けした際に見せるかつての日の癖。私の知るかつてのマダラの面影に、思わず安堵を感じて口を僅かに開く。

が、その途端。未だ首元に当てられていたクナイがすうっと――。
瞬く間の、絶妙な力加減であった。首元に感じた微かな痛み。牽制だ。マダラは今一瞬の私の安堵を察した。それを許さないと言わんばかりの、咎めの証である。非常に浅くではあるが切られた傷口に手を這わせ、その指を目の前にかざす。彼によって流された真っ赤の血をこの目で認めた瞬間、私はついに、恐怖でぼろぼろと涙を零し始めた。

「今一度言う。貴様を殺すことなど容易い。気まぐれで生かしておいてやるが、うちはを騙り俺の素性を知る危険分子を開放する気など毛頭ない。変な真似はするなよ」

そう吐き捨てると彼は私に背を向けて、一歩一歩と歩みをすすめる。力の入らない身体に何とか鞭を打ち顔を上げるが、マダラの姿は段々と闇に溶けていくばかり。彼が、この手の届かない場所へと行ってしまう。このまま彼と離れてはいけない。脳内に鳴り響く警鐘を悟り、ただ勢いのままに今一度息を吸い込んだ。

「うちはコマチ。小さい時からずっとあなたと共にいた、うちはコマチです」
「…」
「ねえマダラ、お願い、変な芝居やめて。嘘でしょう。私達家族だったでしょう。マダラは一族の頭で、私はその妻で、共に一族をささ、」
「俺と貴様が夫婦であったと?実にくだらん。そこまでして俺に気に入られ生き長らえたい…その命にそこまでの価値があるようには思えん」

心配しなくとも、そう安々殺したりなどしない――。
暗闇から響く無慈悲な声は私の鼓膜を震わせ、そして全てを奪いつくした。もう、何も残っていない。力なくその場に倒れ込み、ぐちゃぐちゃに涙をこぼした。あのマダラに、私の存在なんて無い。二人で長年をかけて積み上げてきた信頼のかけらも無い。マダラは私のことなど、微塵にも覚えていなかった。

冷酷無惨な現実をようやく目の当たりにして、闇雲に涙が溢れる。泥まみれの地面に頬を擦り付け、ただ獣のうめき声のように嗚咽をあげる他、私に出来ることはない。声を上げれば上げるほどに治りかけの脇腹は痛み、尚更みじめな思いが身体を支配していく。マダラ、マダラ。助けて、お願い。胸が引き裂かれるような激しい悲しみは、泣いても泣いても止むことはなかった。