花筏 | ナノ
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02. 神託

気付けば私はぼんやりと瞬きを繰り返していた。目覚めたばかりではっきりとしない意識の中、ひゅるひゅると自分の呼吸の音だけが嫌に鼓膜を震わせている。乾きっていた口の中を唾液で潤しつつも何とか頭を働かせ、私は霞む目元で辺りをぐるんと見渡してみた。

ただ、薄暗い。申し訳程度に燭台に灯る小さな火が頼りであるのみ。まともな光源がないせいで、この場所がどこであるのかさえ把握することができない。ここは一体どこなのだろう。すがるような気持ちで自分が横たわる寝台のすぐそばにある石壁に手を伸ばし、その感触を確かめた。驚くほどに冷ややかで、ところどころに泥がついていたりコケが生えているあたり、不衛生なのだろう。思えば、鼻につくのはじめじめとした湿った土のにおいだ。もちろん、お世辞にも良い匂いだなんて言えるものではない。


ここがあの世だと言うのだろうか――すっかり困惑しきっている頭で密かに思いを巡らす。あの世とはこんな薄暗くてじんめりしたところではなく、もっと明るくて清潔感溢れるそんな居心地の良い空間だと生前に想像していたから…なんとなく拍子抜けである。だらしなく開け放っていた口で弱々しく呼吸をしながら、とりあえず起きようと私は身体に力をいれてみれば、ずきんと鋭く痛む、死に際に敵に切られた右わき腹。死んでも尚痛みに堪えなくてはならないのか、と落胆する気持ちに眉根をよせ、私は何とか上半身を起こしきる。

「だれか」

酷く掠れた声ながらにも周りに人がいないかと呼びかけてみるが、一切反応はない。そこまで広い空間ではなさそうだが、声がよく響いている。全くと言っていいほどわけが分からず、己の無知で不安が霞みのように目前に広がっていくような感触。しばらくは大人しく縮こまっていた私も、漠然とした恐怖に自然と耐え切れなくなってしまう。唇を噛みしめた私は寝台から地面へと素足を下して立ち上がり、身体を包む薄汚れた布きれがずり落ちないようにと気を遣いつつ一歩、そして一歩と歩みを進めた。

あれだけの大怪我をおっていながら、私は歩けている。いや、ここがあの世だというのならそんなことは全くの不思議ではないのだろう。しかしこの状況は――この肌に感じる生々しい湿っぽさも、鼻につく泥臭さも、一歩一歩動く度に鋭く痛むわき腹も、何もかもが現実味に満ちあふれている。もしや私は、死んでなどいないのではないか。あんな瀕死の状態に追い詰められていて、尚且つ意識を失う寸前で新たなる敵に見つかってしまったと言う状況から考えればにわかに信じがたい話ではあるが、そう思えて仕方がなかった。もしかするとあの時見た人影は敵ではなく味方、あるいは通りすがりか何かの善意溢れる人で、私をここに連れてきて治療してくれたのかもしれない。意識を失っていた私からすれば、敵に殺されかけたあの瞬間はつい先ほどのことのようにも思えるが、実際は長い長い時間が経っているのかもしれない。それなら私が際どいながらにも歩ける状態まで回復していることにも合点がいく。そうか、私は生きているのか。


生物の本能としては自分の生が守られたことに喜びを感じるが、しかし一方でどこか落胆の気持ちに苛まれている卑怯な己。やっとのことで一族やその他諸々の呪縛から解放され、あれだけ追い求めていた夫の元に逝けると喜んだ瞬間が、無下になってしまった。マダラとの再会はまだまだ遠いと、そう思うだけで胸にずしりと鉛を感じてしまう。私は途端に息苦しくなるような心地がして、身体を支えねばと石壁に手をついた。身体の調子は芳しくないが、自分の置かれている状況があまりに不明瞭なため、ひとまず何か情報を得るためにも人を探さなくてはならない。壁を支えにゆっくりと歩みを進めていけばいくほど、左手の指先が汚れていくような感触を覚えるが、構ってなどいられなかった。



その時――。


「おい」

やっとのことで聞けた人の声。突然気配もなく現れて背後から私を呼び止めるその声に、私は咄嗟に振り向く。だがしかし、近くにまともな光源がないために暗すぎて人影が見えないのだ。黒は恐怖を煽る。すべてを奪いつくさんばかりの闇の奥から聞こえた声に、今更ながらにも足が竦み上がって私は顔を顰めた。

「だ、れ…?」

右肩を壁に当て、そして左手で痛むわき腹を押さえる。弱り切った身体から絞り出した声は酷く空しいものだったが向こうには届いたのだろう、その瞬間からぺたりぺたりと足音が辺りに響きはじめた。心臓が嫌にうるさく音を立てている。私を治療してくれたくらいなのだから敵では、――いや、違う。敵が人体実験のために私を連れ帰り、ひとまず治療を施しただけという可能性もあるのか。だとすれば最悪の事態だ。殺されるよりも格段に上を行く苦痛を強いられるに違いない。

様々な推測が頭の中を飛び交うが、暗闇の向こうの何某は当然待ってくれない。一つ、また一つと足音が暗がりに響いているのを鼓膜に受け取りながら、私は生唾を飲みこんでその向こうへと何とか視線を遣り続けた。ついに何か、赤色の何かが黒の中に浮かび上がる。


「…っ」


――その正体をこの目で確かに認めた瞬間、私の呼吸は止まった。呼吸ができなかった。決して誰かに口元を押さえられているからとかそんな理由ではなく、自ずと全てが静止してしまったのだ。

暗闇に光り輝くのは赤い目。そしてそこに浮かんでいるのは勾玉の文様。紛うことなき我が一族の血継限界、写輪眼。

そして何よりもその顔立ちが――鼻筋も唇も目つきもありとあらゆる全て、何もかもに見覚えがある。ああいや、見覚えがあるなんてものではない。幼いころからずっとずうっと知っている。いつだって恋心を存分に胸へと詰め込んで、その顔をうっとりと見つめていた。凛としていて自信に満ちあふれるその顔つきに、何よりの幸福を感じていた。長く長くその顔と見つめ合っていたいと願い、私たちは夫婦になろうと籍を入れたのだ。嗚呼、嗚呼――。


「マダ、ラ…マダラ、」


口元も喉も身体も、うまく動かない。自然と私の唇から零れたその名前に、目の前の彼は微かに目を見開いた。何故未だ眉をひそめているのかは分からないが、その表情だって間違いなくマダラのものだ。やはりここはあの世なのだろうか。今は亡きマダラが目の前にいるというのだからきっとそうなのだろう。あるいは私の幻覚か、敵の幻術か――いいやそんなことはどうだっていいではないか。あんなに恋焦がれたマダラに再び会えたというのだから天国だろうと地獄だろうと、何だって構いやしない。こうして彼の姿をこの目に焼き付けられるのならば、何だって良いのだ。

「マダラ、良かった…マ、ダラ…っ」
「…」
「また会えて、すっごくすっごく…嬉しいっ」

その台詞と共に堰を切ったかのように私の目元からは涙が溢れはじめた。せっかく彼と再会できたというのに涙のせいで視界がぼやけてしまっては残念だ。そう思い両の手で何度も何度も目元をぬぐってみるが、涙はすぐに溢れて頬をべったりと汚してしまう。さすがにこんな状況では仕方がない、マダラもきっと苦笑いで馬鹿にしながら許してくれるだろう。私はかつての温かな彼の笑みを思い返し、視界をぼやけさせる涙をそのままにしてマダラへと手を伸ばした。今の彼の姿は黒と薄橙色の塊にしか見えないが、やはり再会できたというのだからこの手で触れたいし、抱きしめたい。右わき腹が痛むことなどすっかり遥か彼方へと置き去りにして、だらしなくも嗚咽を零しながら一歩一歩と歩み寄る。先ほどまで緊張と恐怖で音を立てていた心臓は、今では歓喜に高鳴っていると言うのだから可笑しなものである。





――それなのに、何故私は次の瞬間、地に伏せているのだろうか。


途端に身体が倒れてしまったかと思えば、頭にずしりと重みを感じる。何だろう。まるで押さえ付けられているかのような重みで、頭をあげることができない。私は、マダラを抱きしめたい、触れたい、のに。


「俺に馴れ馴れしくするな、目障りな女め」


その瞬間に私は、マダラの足に頭を踏まれているのだとようやく悟ることができたのだ。