花筏 | ナノ
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01. 追想

ひらりひらりと満開の桜の木から舞い落ちる花びらを眺めては、遠い遠い昔、愛しの彼と過ごした温かな日々が脳裏に蘇って密かな嗚咽が零れる。しかしどんなに頑張ってみても遠回りしてもて、その記憶が行きつく先は浅はかな絶望のみ。

――マダラは私を置いて、二度と帰ってくることはなかった。

――私は、マダラに捨て残されてしまった。

今でさえこの胸を締め付ける紛れもない事実を性懲りもなく思い返しては、私はただただ静かに涙を滲ませることしかできない。わき腹からとめどなく溢れる血の生温かさは、体温を失いつつあるこの身体にぼんやりと柔らかに染みていくようだった。


「う…ぁ、は…っ」


まともに息をすることすら困難で、低くおどろおどろしい呻き声が口から零れる。今ついに、私の命の灯が消えようとしていた。次第におぼろになっていく意識の中、自分の人生の終末を迎えた静けさを感じては血濡れた唇を噛みしめる。死に際に記憶が走馬灯のように思い浮かぶとはよく聞いたが、私は今まさにそれを身を以て実感しているのだろう。身体中に感じるのは苦痛のみであるというのに、この脳裏に過ぎるのは彼――幼いころから心を通わせ、共に所帯を持ったマダラとの思い出の数々なのだから。




マダラが幼いころから住み、そしてその後夫婦で住んだ屋敷、その庭にはとても立派で大きな桜の木がある。幼いころから飽きもせず毎年毎年春になればマダラと桜の花を眺めていたので、今でも桜を見れば自ずと彼と共に過ごした記憶が脳裏に溢れかえるのだ。一年において桜が咲いている期間などごく僅かであるのに、それでもこんなに印象に残っているというのは何故なのだろう。不思議なものである。

しかしこんなにも柔らかな記憶で満ち満ちていると言うのに、私とマダラの関係の終わりは私の命と同じ、酷くあっけないものだった。幼い日に心を通わせあった時、自分の好意を口にするのにどれだけの葛藤があったか。添い遂げると誓いあった将来のため、一族の爺様達に結婚を許してもらうことにどれだけの困難があったか。互いの人生の伴侶として、相手を思いやり支えていくことにどれだけの迷いがあったか。数多の苦悶を味わい、やっとのことで築き上げることができた関係であるはずなのに、そんなものも崩れ落ちる時はほんの一瞬。ある朝目覚めたらマダラがいなかった。帰ってくることもなかった。それだけである。

マダラが姿を消したその理由は、妻であった私でさえはっきりと理解することができない。狂気に飲み込まれていたことは間違いなかった。千手一族と同盟を組み、木の葉の里設立に向けて大分安定したように思えたのもつかの間だ。あれだけ憎んでいた千手一族の長との昔話を嬉々として語っていたかと思えば、次の瞬間には歯を食いしばり千手一族への恨みを吐き出す。千手柱間が導いた平和の喜びを享受していたその一方で、戦いに明け暮れたあの時代を恋しく思うようなことをぽつり呟く。
誰が見たってわかる、もはやマダラはまともではなかった。

そしてその様子は大層気味が悪かったのだろう。うちは一族の者でさえ次第にマダラから遠ざかるようになっていった。しかしそれでも私は彼が愛おしく、マダラの味方でありたいと心から願った。陰鬱の空気に飲み込まれないように努めて彼の隣では明るく笑顔を浮かべ、その心の闇を吐き出してしまえと願って会話の機会を増やした。外に連れ出して続々と発展していく里の様子を目の当たりにさせ、どれほど今のこの平和が素晴らしいものか存分に諭した。建物の数々に目を細めていたマダラのあの穏やかな眼差しは、偽りなどではなかった。なかったはずなのに。

結局今でさえこの私に里抜けの真実を知る術はないのだ。マダラは九尾を引き連れて千手柱間と戦い、敗れ、死んでしまった。もう二度と、彼に会うことはない。言葉を交わすことも、目線を合わせることだって叶いやしない。でも――。


(このまま死ねたのなら…)


――そう、このまま息絶えることができるのならば、あの世で愛しのマダラと再会することもできるのではないだろうか。自分の命が尽きようとしているにも関わらず自ずと心持が軽くなっていくのは、きっとそういうことなのだろう。刃を受けてぱっくりと肉が裂けてしまった右わき腹に今更手を添えることもせず、身体から徐々に体温が失せていくのを感じて、密かに心を震わせる。この感情の高ぶりは悲しみや恐怖などではなく、紛うことなき喜びであった。

抜け忍となった夫が里を襲ったという事実に里の民からの信用は失い、後ろ指をさされて嘲笑されながらも、私は必死に生きてきたつもりだ。もう一度うちは一族を里に信用してもらうためにもと、ありとあらゆることをしてきた。上から与えられた任務だって、例えそれが非常に困難であったり汚い任務であったとしても、文句をこらえて全力で遂行した。半ば自暴自棄であったことは否めない。現に今こうして疲労がたたり、任務中の一瞬の隙を突かれて敵から致命傷を食らってしまったわけなのだ。だが、致命傷を食らいながらもすんでのところで敵を殲滅させることはできたわけだし、任務における義務は果たした。私一人の死は、さして問題ではないように思う。一族の頭領である夫を失った未亡人の存在など、所詮大したものではないのである。


――なんてどうしようもない自虐まがいのことを考えているうちに、身体から痛みの感覚が消えていく。「消えていく」というよりは「麻痺していく」ということなのかもしれないが、もはやそんなことさえどうだって良かった。まるでまどろみの時間の如く、瞼はゆっくりと重みを帯びて、私をどこか遠くへ誘おうとしている。小さな血の海が身体を、そして桜の木から零れ落ちた桃色の花びらの数々を赤に汚していく様を確かに見届けながら、私はいつ意識を手放そうかとのんきに思案していた。


マダラ、マダラ。


嗚呼こんなにも心は愛おしさに満ちあふれている。この世に未練がないわけではないが、愛しい夫の元に逝ける喜びは計り知れないほどに大きかった。彼と無事再会することができたのならば、何を聞こうか。なぜ里を抜けたのか。なぜ一族を捨てたのか。なぜ私を連れて行ってくれなかったのか。次から次へと湧き出る疑問の数々に気分を高揚させつつも血まみれの両腕に携え、さあ心置きなく逝こうと身体から力を抜いていく。先刻まで感じていた酷い寒気から一転、今はどこかぽかぽかと心地よい。



しかし。
瞼を閉じるよりも先に視界が陰っていくことを興味深く思いながらも目の前を見つめていれば――何かの影が突として現れる。

大分霞んでいる視界でなんとかその正体を捉えようと必死に視線を上げてみると、そこには黒と薄橙色の何か。敵を殲滅しそこねたのか。嗚呼だとしたらなんて私はみっともないのだろう。敵を殲滅させながらも忍として儚く散り殉職、という筋書きは出来上がっていたはず。しかしこれでは当然成し得ない。せめて散り際くらいはかっこよく気取ってみたかったというのに。


忍らしく胸を張って、マダラに会いにいきたかったというのに―――。