花筏 | ナノ
15. あだばな

突如脳内で鮮明に蘇るのは、今から数年前のことーーマダラが里を抜ける直前のとある夜。

今でもよく覚えている。しんと穏やかに静まり返りながらも、蒸し暑くどこか不快感の拭えない真夏の夜だった。月はない。桜の木の葉の青々しさも隠してしまうほどに外は真っ暗闇であった。辺りいっぱいに広がるおどろおどろしい暗黒の中、私達は夫婦の部屋の中で行灯に小さな明かりを灯し、生まれたままの姿で二人っきり絡み合っていた。


「マダラ…マダラ…ぁっ」
「…コマチ、もっと善がれ」

マダラの熱い手のひらが、私の汗ばむ膝裏に沿う。男根を引き抜いた後手早く私の足を閉じ、わずかにこの身を横にねじらせて、再び挿入してきた。先刻とは違う挿入の感覚に、図らずとも熱い吐息が溢れてしまい、マダラはそんな私の様子をみて満足そうに口端を持ち上げた。

「この淫らな身体め…。すっかりオレの形を覚えて、強く吸い付いてくるな」

高揚感を滲ませながら吐き出す言葉を、私はしかと受け止める。マダラにされるがまま快楽に溺れているように見せながらも、私の脳は実はどこか冴えていて、この状況に悲壮感と喜びをひしひし感じていた。

もはや私の言葉も聞かぬほどに狂気に満ちてしまったあのマダラが、今この瞬間は確かに私を真っ直ぐ見て、私を求めてくれる。男女のまぐわいの最中でしか、私はもうマダラに向き合ってもらえないーーー。



何がいけなかったのだろう。どこで間違えてしまったのだろう。

イズナくんの死後、永遠の万華鏡写輪眼を手に入れて間もなく、マダラは千手柱間と大きな一戦を交え、そして敗れた。しかしそれを契機にふたつの一族は同盟を結ぶこととなり、里を作ることになった。私達はついに念願の平和を手に入れたのだ。

そう、平和。
この平和について正直なところ、思うところはある。千手の者に殺された家族や友の顔を思い浮かべれば、内心穏やかではいられぬような場面もある。心の奥底に消化しきれないもやもやは確実に存在しているし、きっと一族の皆も同様なのだろう。しかし憎しみのままに戦い続けるような気力は、我が一族にはもはや残っていなかった。血なまぐさい戦いの日々の終焉を求める一族の者たち。そして、千手柱間のマダラへの温情。色々な感情が胸の内に渦巻いてはいるが、それでも千手と同盟を結ぶというマダラの選択に間違いはなかった。

しかし、その張本人であるマダラの鬱屈は私達のそれよりも尚一層強大で、彼の精神を確実に蝕んでいった。

一族の頭領としての焦燥の理由。戦時代の戦局、そしてマダラと千手柱間の戦いの結果から見てもわかるように、一族の力は間違いなく千手のほうが上だ。火影を始め里の中枢には千手一族の者が多く置かれ、対してうちは一族の内政へ干渉する手段は少ない。我がうちは一族としては確かに不服だ。しかし、皆口にこそしないものの致し方ないことだと静かに受け入れている。そもそもマダラは千手柱間のお情けで命拾いしたようなものであり、この時点で千手一族とうちは一族は対等には絶対になりえない。自尊心の高いマダラにこれ以上の屈辱はないだろう。一度は同盟を結び立ち直ったかのように見えた彼だったが、火影が千手柱間に決まった頃から徐々に不安定になり、そして気づけば一族の誰もが手もつけられないほどに精神を病んでいたのだ。


「気持ちいいかコマチ。このオレに穿たれるのが好きなのか?」

歪んだ笑みと熱っぽい瞳で執拗にこちらに問いかけるマダラ。こうして間近で見えると性懲りもなく私の胸はときめきを覚えてしまう。こんな私の胸中を知ってしまったらマダラは呆れてしまうだろうか。私は一瞬躊躇したが、それでも一つ覚悟を決めて必死で大きく頷いてみせる。

「好き…。だって、マダラのこと、愛してるから。大好きだから…ッ」

マダラも熱に浮かされる今でならこのありったけの愛も届くような気がして、包み隠さずまっすぐに愛の言葉を口にした。するとマダラは一瞬だけ悲しげな眼差しをした後、その自分の表情を隠すかのように性急に唇を重ねた。

そのまま喰らい尽くされてしまいそうなほどに深い深い口付けだった。互いにぬめる舌を存分に絡ませ合い、口端から唾液が垂れているのも構わずにその感触に溺れる。マダラの雄の匂いが濃く私の体の中へ注がれている。

愛おしい人との濃厚な接触に身体の芯はうずき、膣に入ったままだったマダラ自身を無意識にもきゅうと強く締め付けてしまった。するとマダラも堪らないのか、口付けの最中穏やかだった律動を途端に早くし、強く強く私の奥を穿つ。未だマダラに口を塞がれたまま声も出せず十分に呼吸もできず、次第にぼんやりとしていく意識の中でただただマダラを求めてその大きな背中に腕を回した。汗ばむ背中、そして私の腕をちくりと刺す堅い髪の感触ですら愛おしくてたまらない。ーーずっとずっとこの人のことが大好きだったんだ。その事実を認めた瞬間、ついに目の前が真っ白につつまれた。一瞬で身体全体に回る甘美な痺れ。膣はひくひくと大きく波打つように痙攣しながら絶頂を迎え、熱い男根を遠慮なく締め付ける。

「くっ…う、」

ようやく口付けをやめたマダラの唇から、情欲を堪えきれないといったふうに吐息が溢れた。低く甘いその声は大人の男性としての魅力を存分に孕んでいて、絶頂の最中思うように動かない私の身体にはぞくぞくとした高揚感が満ちる。そしてマダラは腰の動きを速め、痛いほど私の子宮口を抉るように激しく男根を穿った。彼が自らも上り詰めようとしていることに気づいてしまえば、子宮がきゅんと歓喜に戦慄く。

びく、びくッ。
マダラが激しい律動を止めた瞬間大きく震えた屹立。ああマダラの精液を中に注がれている。そう実感するよりも先に本能で、私の膣は彼の子種を搾り取るようにマダラ自身へとぐちゃぐちゃに絡みついていた。私のすぐ真上で快楽に耐える彼はやはり愛おしくて、この人の子をこの身体に宿したいとこの瞬間切に思う。

子供ができれば、愛おしいこの夫の心をつなぎとめることができるだろうかーーーそこまで考えが至ったところでハッと我に返る。何の罪もない無垢な命を、道具としてこの世に生み出そうだなんて、あまりにも卑怯で残酷で、おぞましい。駄目だ。私までどこか病んできている。無様な己の胸中に気づいてしまい、絶頂の喜びは一瞬で頭から消え失せた。

「マダラ…」

彼の震えが治まった頃に静かにそう呼んでみると、漆黒の双眼がこちらへと向けられた。その瞳は今はまだ確実に私自身を捉えていてくれる。どこか安堵を覚えながらも私は彼の後頭部に優しく腕を回し、その多めの髪の毛ごと抱き寄せて啄むような口付けをマダラへ寄越した。

しんと静まり返る部屋の中で、私とマダラの唇が離れる音は名残惜しく響いた。口付けが終わった後も、彼になんて言葉をかけていいか分からず沈黙のまま目を伏せていれば、マダラは早々に身体を起こして中から男根を引き抜いた。まだ熱をもっている膣に感じる虚無感を煽るように、中からとろとろとマダラの精液は無残にこぼれ落ちた。

私から身を離し、無言のまま後処理を始めるマダラ。気まずさを感じながらも私もこのままでいる訳にいかず、のっそりと気だるく身体を起こし懐紙を手に取る。湯浴みする体力もこの身には残っていない。とりあえずマダラに背を向けた後汚れたところを拭くだけで済ませ、立ち上がってさっと浴衣を羽織る。と、その瞬間。

「…、どうしたの急に…」

突然身体に回された手に後ろから柔く抱きしめられる。いつもなら無言のまま後片付けをして、それが終われば明かりを消して就寝の挨拶の後寝るだけだというのに、突然の接触に私は驚きを隠せない。まだ性欲を持て余しているのだろうかと考えてもみるが、それならばマダラはこんな軟なことはせず、私をすぐに押し倒すはずだ。回された大きく温かい手に己の手を重ね、マダラの次の行動を待とうと静かに立ち続ける。互いの衣同士が擦れ合う音しか聞こえぬほどの静寂が、二人を包むように漂っていた。

「オレを本当に愛しているか」

マダラには似つかわしくない、小さな声だった。予想外の弱々しい言葉に、私はマダラにばれぬよう小さく息を呑んだ。唐突に感傷的になってしまったその理由を考えてみれば、そうか、達する直前に私が口走った愛の言葉だろうか。思えば最近は、その手の言葉を直接彼に伝えていなかった気がする。決して彼への愛が失われたわけではない。ただ「愛してる」だとか「大好き」だとかその手の浮かれた言葉を口にするのも躊躇われるほどに、マダラの雰囲気は刺々しかったのだ。もう惚れた腫れたと甘い感情に振り回されるほど私達は若くはないし、無理に口にすることもないと自制していた。情事の色っぽい雰囲気に当てられてうっかり口走ってしまったに過ぎないが、しかし今、マダラに愛を問われて口を慎む理由もない。私は一つ瞬きをした後微笑みながらゆっくりと口を開いた。

「もちろん愛してるよ。だって誓ったもの、永遠に愛し続けるって」
「…誓いを立てたから義務で愛しているということか」

先刻まで弱々しかったはずのマダラの声音が変わった。呆れているような嘲笑が滲む物言いに私は慌てて弁解しようとするが、彼の負の感情はとめどなく溢れてくる。

「人の心なんぞ所詮あっけなく移ろいゆく。お前もそうなのだろう」
「…言葉の綾で誤解させてしまったのなら謝るわ。でもマダラ、ちゃんと聞いて。私は昔も今も、ずっと変わらずあなたのこと愛してる…!」
「ならば何故、一族皆で里を抜けることにコマチも反対する」

そしてマダラは投げやりに私を抱擁から解き放った。未だ彼の温もりをこの身に携えながらも慌てて振り向けば、マダラの顔は怒りに歪んでいた。こちらを睨むその目は、つい先刻まで甘ったるく私を見つめていたはずなのに、どうしてこうなってしまった。私は自分の言葉選びの失敗を後悔しながらも、まだ帯も締めていない羽織っただけの浴衣がはだけないように前をしっかり手で閉じながらマダラへと向き合った。

「一族皆で里を抜けるということは、千手との同盟を捨てることになる。今千手の加護を失って里からも出てしまったら、弱体化したうちは一族を駆逐しようとする勢力が必ず湧いてくるわ」
「このまま里にいても、いずれは千手にじわじわと駆逐される。同じことだ」
「それでももう戦わなくて済むじゃない!皆の幸せそうな様子知ってるでしょう。親しい者の死に怯える日々が消えたことがどれだけ皆にとって幸福か。だから、ねえマダラ。里を抜けるのなら私達二人だけで行こう。私はこれからずっと、何があってもマダラと一緒にいる。二人だけで里を抜けて、それで、遠いどこかで理想のーー」
「腑抜けどもめ。お前もだコマチ」

吊り上がった目が、怒りの炎を静かに湛えて私を射抜いていた。明らかに私を貶す言葉を口にしたマダラに私は絶望で言葉を失ってしまい、それ以上台詞を紡ぐことができなかった。

マダラと過ごした長い日々の中度々喧嘩は経験した。しかしここまで憎しみを込めて謗られたことは一度だってなかった。越えてはいけない一線。それを今この瞬間マダラは越えたのだと気づいてしまい、胸は激しく締め付けられ悲しみがどろりと溢れた。愛する人が確実に遠ざかっていく悔しさと焦燥。私は苦悶に眉根を寄せつつ、拳を硬く握りながらマダラから視線を反らした。

「マダラ…あなたは変わってしまった。昔のマダラとはもう別人みたい…」

悲しみのままそう吐き捨てれば、次の瞬間マダラはその大きく熱い手で私の両肩を鷲掴みにした。引き攣った声と共に視線を上げると、目の前には歯を食いしばり眉間に深く皺を刻む、先刻よりも更に荒々しい憤怒を滲ませたマダラの顔があった。

「そうだ何もかも変わってしまった。もうかつての甘ったれた無邪気なガキでいられるような立場ではない。オレも、お前も、そしてあいつも…ッ」

激昂をなんとか抑え込んだようなどこか不安定な声音が夫婦の自室に響いた。「あいつ」と口にした瞬間に尚一層強く肩を掴まれ、私の脳裏には千手柱間の顔が浮かんだ。こんなときまでマダラの心を埋め尽くす千手柱間の存在の大きさに、行き場のない嫉妬と怒り、そして己の無力さをこの瞬間嫌でも感じる。

「オレはうちはを導く立場としておまえに、皆に忠告している!それなのに何故抗わない、何故戦わない!一族の誇りを捨て、よそ者に媚を売り、それで幸せでいられるほどオレは能無しではない…!」
「それで岩隠れの使者を襲ったの?希望に満ちた若い忍を叩きのめすことが、我が一族の誇りで媚を売らないことなの?」

怒りも悲しみもごちゃまぜのまま衝動的に嫌味っぽく問いかければ「黙れ」と睨まれる。同盟を結びに木の葉の里までやってきた岩隠れの使者をマダラが無断で襲撃したのは、つい最近のこと。ただでさえ一族の中でも持て余す存在とされていたのに、木の葉の里と岩隠れの関係を著しく悪化させることとなった今回の横暴で、ついにマダラは一族問わず木の葉中の人間から見放されてしまった。千手一族との力関係に不満があるのはわかるが、それでも全く訳がわからないその行動に、妻である私がどれほど頭を悩ませ、そして謝罪に里中駆け回ったか。そんな私の苦悩を知らず私や皆を批難するマダラにカッとなって言い返してはみたが、マダラに乱暴に睨まれただけだったーー届かなかった。

嗚呼、手遅れなのかもしれない。もうこちら側に戻ってこれないほど、マダラは骨の髄まで狂気に侵されてしまったのかもしれない。
しかしそれでも。



私はマダラに依然睨まれたまま、浴衣の前を押さえる手に力を込めつつその恐ろしい顔を負けじと見つめた。ずっとずっと昔から、小さい頃から幾度となくマダラと向かい合ってきた。その顔には純粋だった頃の眩い面影が確かに残っているのに、今この瞬間、私にどす黒い憎しみを露わにしている。

「マダラのこと今も心の底から好き。愛してるの。だからこそもう見てられない。今のマダラはおかしい。まともじゃない!」
「…」
「もう難しいこと考えなくてもいい。今の立場が辛いのなら、何もかも捨てて二人でどこか遠くへ逃げたっていい。ただお願い、どうか…私のために、昔のマダラに戻って…」

強くて、実直で、少し神経質で、不器用なところもあって、たまに横暴で、でも本当は優しくて思いやりに溢れていて、私やイズナくんのことを存分に大切にしてくれたマダラ。それが大人になり数多の戦いの果てーー怒りと焦燥と狂気にまみれて私を忌々しく見下しているのだ。こんな未来が来るだなんて誰が予想できただろう。

「まともじゃない」なんて包み隠さずぶつけてしまったらマダラの怒りを買って殴られてしまうのではないかと恐怖の気持ちはあった。しかしこの身体が傷ついたとしてもいい。今の私にできるのはただ彼に愛を伝え、懇願することのみなのだ。明るく笑顔でいることに努めつつ会話の機会を増やしたり、外に連れ出して一族や里の皆がどれほど平和を有難がっているか存分に諭したり、やれることは全てやったつもりだ。しかしそんなことはマダラを救い出すのに何の意味もなかった。万策尽き、いよいよ夫婦としての一線すらも越えてしまったマダラ。そんな彼を前に無様にもただ必死で縋ることしか、私に手段は残されていなかった。

悔しくて悔しくて唇を痛いほどに噛みしめる。あまりの遣る瀬無さに目頭が熱くなるが、しかし哀れに泣いて涙を武器にしたくはなかった。なんとか涙を抑え、ただただまっすぐ彼を見つめ続ける。マダラと私が唯一触れ合っている肩は不快になるほど熱を持って痛んだ。マダラはしばらくそのまま私をにらみ続けた後ーーハッと鼻で嘲た。

「昔のオレに戻れだと?好きだの愛してるだの綺麗事を並べて…所詮お前が愛しているのはかつての無垢だったオレだろう。今のオレのことは愛していない」
「違うッ!!聞いてマダ、」
「これが今のオレだ。紛うことなきオレ自身だ。もう後戻りはできん。今のオレを受け入れられないというのなら、オレの隣にお前の存在などもう必要ない、邪魔だ」


そう口にしたマダラの冷徹な黒い瞳に移るのは、頼りないほどに小さな小さな私。今でさえ身体をこの蝕むありったけの愛をついぞ理解してもらうことができなかった、ちっぽけで無力な私。




ーーそうか、私は邪魔なんだ。もうマダラに必要とされていないんだ。

ーーもう私はマダラに愛されていないんだ。




そう認めてしまった瞬間、ぷつりと緊張の糸が切れた。その真実はこの世の真理のように自ずと私の脳に入り込み、じわりじわりと滲み広がっていく。頭を埋め尽くしていく。目の前は真っ暗になり、背筋は凍り、腕は力を失った。押さえのなくなった浴衣は前が開かれ、隙間からだらしなくも乳房が夜気に晒されるが、もはや立っていることすらやっとでそれに構う余裕は存在しない。泣きたくないとあれほど我慢していたと言うのに、ぼろぼろといつの間にかこぼれ落ちる涙は嫌にぬるく頬を濡らしていく。悲しみに己が泣いている様は醜く滑稽で、何とか泣きやもうと再び唇をきつく噛む。しかしそれでも涙は止まるどころか次から次へと溢れ続け、横隔膜の痙攣につられ情けなくも肩が大きく揺れた。



ーーその時。

マダラはハッと我に返るかのように小さく息を飲んだ。その瞳から憤激の色が一瞬で消えたかと思えば、次の瞬間には泣き震える私へと心配したような温い眼差しを向ける。

「コマチ…俺は…ッ」

マダラは熱く痛む私の肩から手を離し、しばし歯を食いしばりながらその掌を見つめ、困惑したように視線を揺蕩わせた後ーー勢いよくそして力強く私を抱きしめた。その大きな胸板に頭を押さえつけられ、彼が頭を垂れたのか私の額にはらりとマダラの髪がこぼれ落ちる。