ゆくらくら恋ふ | ナノ
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02. 居残りな青空

「遺体は見つからなかったんだっけ」
「ああ」

扉間の声を聞きながらお墓に手を合わせ、静かに目を閉じた。風に吹かれて辺りに漂う線香の匂い。なぜ線香の匂いはこうも心が落ち着くのだろう。話す内容こそは暗く悲しいものだったが、良き香りのおかげか頭は妙に平穏で安らいでいた。

息絶えるその時まで、千手の長として気高くあったであろう仏間さまに想いを馳せる。亡くなったと聞いたのは随分前のことで、訃報を受け取った私は遠い渦潮の国で仏間さまの死を悼むしか出来なかった。喪も明けて随分と遅くなってしまったがようやく墓参りに来られた。激しい戦いの末遺体は残らず、形だけの墓ではあるがそれでもこの場に来られてよかったと思う。孤児の私を引き取り、義理の父として実子達とまったく同じように優しく、時には厳しく接してくれた。十年前、千手を経つ時に見送ってくれたのが最期となってしまったが、それでもたくさんのものを私に授けてくれた彼を思えば、下された瞼に尚一層の力が籠る。先に手を合わせ終えた扉間は少し離れたところに立ち、長い間目を閉じる私を静かに待っていた。

やがて仏間さまへの近況報告を終えて立ち上がった私は、そろりそろりと扉間の方へ歩みを進める。立ちくらみに足元をふらつかせながらも、扉間の姿から目が離せなかった。実の親子でありながら髪色も目元も仏間様とはさして似ていない。しかしこうして眺めてみると、貫録溢れるその体つきは父親譲りなのかもしれない。がっしりと構えた肩も、丈夫に鍛え上げられた身体中の筋肉も、成人男性と呼ぶに相応しい立派な体型だ。――ふと、わかっていても全く知らない別人が目の前にいるような気がして、慌てて目を擦る。その間に先に道を戻り始めてしまった扉間の背を急いで追いかけた。

「せめて父上に最期は成長した姿を一目でもお見せ出来れば良かったのだけれど」
「父上は修行中のお前のことをいつも気にかけていた。きっとコマチが無事帰還したことを知ってあの世で喜んでいるだろう」
「…板間も瓦間も幼い頃に失ってしまったけれど、でも柱間と扉間がお酒を飲める歳まで無事でいてくれて、こうして再会出来て良かった」
「この戦乱の世、俺とコマチと兄者誰も欠けずに生きてこられたのは幸運だったな」
「うん…本当」

感慨に浸りつつも、ぼうっと昨晩のことを思い返す。

昨日、長旅からようやく千手の屋敷に到着したミトさまと私。もう時間も遅いし疲れているだろうということで、挨拶回りと仏前参りを次の日へと回し、屋敷でそのまま休息をとることになった。まだ正式な祝言前でミトさまは柱間と別の部屋で過ごすことになっているし、一方で私はまだ住むところも決まっておらずそのまま屋敷に世話になることになっていた。夕暮れ、私はミトさまの部屋で荷解きなどを手伝っていたところ、妙に高揚して嬉しげな柱間がやってきた。「ミト殿の歓迎とコマチの帰還を祝う会をやろうぞ!」なんて満面の笑みで誘われ、その後屋敷の居間で夕飯も兼ねて小さな歓迎会は開かれた。

かつて同じ幼いくノ一として仲が良かった桃華や、最近屋敷を出て一人暮らしを始めたという扉間も呼ばれていた。正式にミトさまを迎え入れる宴は二日後の祝言の後大々的に行う予定だが、こうして気心知れたものだけでこじんまり集まるのもまたいい。皆酒を飲める大人になり、それぞれが好きに酒の味を噛み締めながら楽しげに話に花を咲かせる。和気あいあいとしながらもとても感動的で幸せに満る素敵な宴だった。

ふと、柱間が酔いつぶれて間抜けに大いびきをかいてくたばっていた姿が脳裏に浮かぶ。おかしくて少し笑みを零してしまうと、隣の扉間が怪訝そうな目で私を見ていたので私は肩を竦め苦笑した。





足の長い扉間が黙ったままずんずんと先を行くので、遅れを取らないように一生懸命ついていく。早歩きのせいか僅かに上がる息。大きく深呼吸をすれば新緑の濃い香りが胸いっぱいに広がった。香りだけではない。青々とした緑と生命力あふれる幹の茶色が視界を鮮やかに彩る。小鳥たちのさえずりの向こうで響く、水のせせらぎ。そう言えば少し先を行ったところに小川があったっけ。どれを切り取ったとしても、海に囲まれた小さな島国である渦潮の国では感じることのできない雰囲気である。

うずまき一族で過ごした十年という月日はあまりにも長い。まして多感な年頃も世の道理がわかり始める年頃もずっとうずまき一族で過ごしていた。幼き日の千手での感覚は、渦潮の国での日々に未だ覆い隠されたままだった。懐かしいはずなのにどこか余所余所しい空気を感じて目を伏せる。森が私をよそ者として見立てているのではない。私のほうがこの森を余所だと感じてしまっているだけだ。静かに隣を歩く扉間を盗み見ながら、改めて見知らぬ場所に迷い込んだような錯覚を感じた。

「あの、お墓参りに付き合ってくれてありがとう」

何だか急に沈黙が苦しくなってしまった。少し寂しい気分を替えようと明るい声音で言いだしてみれば、扉間はこちらに顔を向け、静かに私を見据えた。返事もしない彼の視線がわたしに真っ直ぐ注がれている。仮にも昔好意を寄せていた相手だ。こうも直視されると小恥ずかしくて、身体中がむず痒くなってしまう。

「道に迷うかもしれない」と嘘をつき扉間に同行を願ったのはこの私だが、いきなり二人っきりで外出するのは無謀だったのかもしれない。昨日の荷降ろしは、大泣きしてしまった私を扉間が気遣い、彼一人で早々と荷を運び終えてあっという間に解散しまった。皆で呑んでいる時だって、柱間がずうっと私とミトさまを質問攻めにして煩かったから扉間とゆっくり話す暇はなかった。やはり変な下心など出さず、墓参りくらい一人で大人しく行けばよかったのではないか。未だ私を見つめる扉間の意図もわからず、沈黙の気まずさに内心狼狽える。この十年間の出来事など話題は沢山あるはずなのに、言葉がうまい具合に形を成してくれなかった。


「お前、淑やかになったな」


瞬きを数回。あまりにも長く見ていたので何を言い出すのかと思えば。

「淑やか」の意味をじっくりと反芻した後、私は顔を燃えるように火照らせて大げさに首を横に振った。再会早々、間抜けな尻もちを晒した女のどこに淑やかな要素を見つけたと言うのだ。そりゃ大人の女性としてうっすら化粧をして髪もしっとり整えて、身なりだけ見ればそうなったとも言えなくもない…かもしれないが。お墓参りに不謹慎だとは思いつつ、扉間との二人っきりのお出かけに舞い上がっていつもよりしっかりと白粉をはたいたことは否めない。どう返事をしたら良いか見当も付かず、照れくささに前髪を弄りながら目線を逸らす。

「あのじゃじゃ馬娘でさえ立派な大人になると言うのだから、月日の流れはおそろしい」
「じゃじゃ馬…」
「ああ」

褒めているのか貶しているのかは分からないが、その声はいやに軽やかだった。随分と厳格そうな面立ちになってしまったが、幼馴染をからかう位の茶目っ気はあるらしい。尻餅を付いたことを再会早々からかわれた昨日のことを思い出せば、そこはかとなく胸のつきものが軽くなる心地がした。

今でこそ扉間優位にからかわれて照れることしか出来ないが、思い返してみれば、幼いころは何かにつけて私のほうが彼より優位に立っていた。わがままや無茶を言っては日常茶飯事に扉間たち兄弟を振り回したような記憶がある。大人になってみてひしひしと感じるのだが、十くらいの女の子のあの気の強さは、一体どこからやってくるのだろう。これでは扉間にじゃじゃ馬と言われるのも道理だ。あまり思い出したくない自分の姿を顧みて、私は気恥ずかしさに乾いた笑い声を漏らした。

「くノ一だもの、女らしくあることも大事なことでしょ」
「確かにな」
「なに、その腑に落ちないみたいな言い方」
「いいや」

笑いながら彼を咎める。扉間と再会するまでは、再び仲睦まじくなれるかどうかを愚直に心配したものだが杞憂だったらしい。幼いころにたった一つの事件であれ程ひどく拗れた仲も、今ではこの通りである。修復できないとばかり思って人知れず嘆いた月日はとても長かったは、時の流れというものは遥かに偉大だったようだ。

思いのほか容易く埋まった彼との溝に安堵のため息を零しながら空を仰ぎ見る。歩くたび歩くたびに揺れる視界で見据える空は、うずまき一族の元で目にした空と同じ様であり、また、十年前の様子とも変わっていない。今はまだよそ者の気が抜けないが、それこそ十年前と同じようにこの場に馴染める日も遠くはないだろう。先ほどとは打って変わった爽やかな胸の内に自然と足が軽くなる。

ともなれば、やはり腹が減った。扉間の言う「淑やか」には程遠い調子がいい女だけれど構わない。こんなにもいい天気なのだ、少し遠回りしてのんびりお茶したって罰は当たらないはず。

「ねえ、一緒に甘味でもどう?もちろん私が奢るし」

今日付き合ってくれたお礼がしたい、だなんて滑稽な建前だが、帰り道に茶屋による位は不自然なことでもないだろう。はにかみながら彼に顔を向ける。僅かに頬を綻ばせていた扉間は小さく目を見開き、そして口を閉じ合わせた。


「すまんが、この後ご意見番の爺様達と話し合いがある。また今度な」


居た堪れなさに笑顔が凍りつく。しかし気まずくならぬようにと軽めの声音で続けた。

「……そっかそっか大変だね。じゃあ、桃華でも誘って女二人で行こうかなあー…、」
「桃華も出席する話し合いだ。悪い」

扉間のしれっとしたいつもの何食わぬ顔が、太陽の光で眩しいほどに照らされていた。

――何故私は彼に予定があるかもしれないことを失念していたのだろう。一族の長である柱間に次いで重要な役回りについている扉間だ、忙しいのは当たり前である。桃華だってそう。聞けば彼女は今、柱間の側近をしてるそうだ。

私は再会してから今この瞬間まで、成長した彼らに昔の面影を見つけては感動したり喜んだりしていた。確かに皆性根はあの時のままだが、しかし立場は昔と全く違う。仏間さまの跡を継ぎ、族長に就任した柱間。そして彼を補佐する扉間と桃華。大人の言うことを聞いていれば良かったかつての立場ではなく、むしろ彼らこそが一族の中枢で皆を導いていかねばならない責任ある立場だ。しかし私はご意見番たちとの話し合いには呼ばれてはいない。それが意味するのは――扉間たちが私とは遠い立場の人間になってしまったということ。頬と鼻を紅に色づかせながら共に修行したり遊び呆けた彼らは、もう今はいない。

隣で歩く扉間の姿は森の風景も空の色も隠すように大きくそびえていた。彼のその一人前の忍の姿。――扉間の赤い瞳に写っていた私の姿だって、そうであるはずだというのに。

自分に予定がないからと言って、忙しい身である扉間を考えも無しに連れまわしてしまった。我慢できないほどの申し訳なさを覚えてじわじわと顔を火照らす。まだまだ子供時代と同じ気分でいた自分が堪らなく恥ずかしい。

「忙しいのに、付き合わせちゃってごめんなさい」
「…」
「でも…ありがとう」

彼の顔も直視出来ず、ただただ自分の足元に視線を向けた。どんな嫌味を言われるのだろうと静かに肩を竦める。幻滅されてしまったとすれば、私はこれから何を頼りに過ごしていけば良いのだろうか。彼からどんな眼差しを注がれているのかも分からず、喉が無性に乾いて痛んだ。

しかし扉間は滑らかな口調で一言、「気にするな」と――。

ようやく顔を上げた私を見届けるかのように彼は小さく微笑み、そして背を向けた。扉間が速い歩調で進んでいくのは集落の集会場への道。話し合いにお呼ばれされていない私がもちろん付いていけるはずもなく、何も出来ずただ呆然とその後ろ姿を見つめ続けた。私を気遣ってくれる扉間の優しい微笑みに胸が熱くなる一方で、この、無性に溢れるやるせなさは一体なんなのだろう。喜びと切なさが入り混じった心境で長い間そこに立ち尽くした私は、扉間の背中が見えなくなった頃にようやくとぼとぼと歩きはじめた。千手の知り合いと顔を合わせられるような気分ではなく、そのまま屋敷へまっすぐ帰宅した私は、ミトさまのよく知る温かい笑顔に迎えられた。