ゆくらくら恋ふ | ナノ
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03. 宵の宴は陰りつつ

桔梗の飾りがついたかんざしに触れて、静かに肩を竦める。崇高な雰囲気で執り行われた祝言も無事終わり、今は宴に移っていた。先刻の張りつめた空気とは全く違う、賑やかな熱気が部屋の中に立ち込める。窓から見える月の位置はもう随分高いが、祝宴の終わりはまだまだ先のようだ。始めこそはうずまき一族の参列者に「元気でやっているか」と構ってもらえた私だが、今は部屋の片隅で孤立していた。一人静かに思い出すのは、祝言の最中、煌びやかな金屏風の前に鎮座していた柱間とミトさまの姿。あのおかっぱ頭だった幼馴染と私を長年お世話してくれたうずまき一族の姫さまが、ついに夫婦になるなんて。感慨深さにそっと目を閉じるが、未だ胸の内で燻ぶるやるせない気持ちにひどく憂鬱だった。

立派に装飾が施された大きな部屋には、いかにも身分の高そうな人たちがずらりと勢ぞろいしている。それもそうだ、千手一族の長とうずまき一族の姫さまの婚礼なのだから当然のことだろう。立派に髭を蓄えたご老人から華のように鮮やかで見目良い貴婦人まで、多くのお偉い人々が、この晴れの日のためわざわざ屋敷に集まっている。

――そもそも私には場違いなのだ。祝言の最中だって、冷や汗を流す私に宛がわれたのは新郎新婦とは真逆に位置する端の席。一方で新郎の弟である扉間は式で任されている役も多く、上座のほうに背筋をぴんと伸ばして正座していた。柱間も扉間も遠い。先日のお墓参りの時に散々思い知らされたが、一族内における立場が遠すぎた。

私は渦潮の国で十年間、将来千手一族のため役立てる忍になれるようにと修行に明け暮れ、未熟なりにもうずまき一族を守る一戦力として尽くしてきた。千手に戻った暁にはそれなりに労られ、いい役どころを授けられるものだと思っていたが、現実はそんなに甘くはなかった。どうもご意見番の長老たちは私のことをまだ信用していない。仏間さまの義理の娘としての肩書はあるが、所詮は柱間や扉間といった実子とは違い血は繋がっていない部外者である。今や後見人もおらず、軽んじられるのも仕方がない。そもそも十年も一族から離れていると若い忍の中には私の存在を覚えていない者だっていた。私の存在とは今現在の一族においてさして重要ではないというわけである。

そんなわけで祝言や宴の最中もひとり孤立してしまい、わたしはずっと強い疎外感に苛まれていた。せっかくのめでたい日なのだからと、ミトさまから借りたとても美しいかんざしを身に着けてはみたが、一体誰が気づいてくれると言うのだろうか。

(居づらい…)

居た堪れなさに身を縮こませる。手持無沙汰に困り果てて空になったお猪口の底をただじっと見つめていた。良い陶器だ――なあんて。長い間ひたすらじっと凝視していたが、私に陶器を見極める目なんてない。子供染みた疎い感想しか浮かんでこない自分に呆れてため息を零していると、向こうからふらふらと紋付き袴の男がやってきた。柱間だ。

「コマチ!ほら、呑め呑め!」

この宴の主役がわざわざこんな端までやってきて私の目を覗き込むので、思わず身体を強張らせた。赤ら顔で上機嫌そうに笑う柱間。声音もからしてみても大分酔っているのだろう。私のすぐそばに膝をついた彼に戸惑いながらも追い返すわけにもいかず、無難にささやかな愛想笑いを返した。柱間がいかにも酒を注ぎたそうに目の前で徳利を揺らしているので、身体を小さくしながらそっと空のお猪口を差し出す。

「どうだ、今日の酒は美味いだろう?」

注がれた酒をゆっくり口に含む私に、柱間は目を輝かせながら尋ねた。晴れの日だからきっと上物を振る舞っているに違いない。しかし、この居た堪れない状況で酒を味わう余裕なんてないのだ。柱間の存在に引っ張られたかのように、自ずと私に視線が集まる。身体中の皮膚を突き抜くかのような視線達に不快な眩暈を覚える。居心地の悪さに目を伏せながら、大して味もわからないままお猪口の中の酒をなんとか呑みほした。

「あの、お米の甘さが感じられて、とても美味しいですね」

今まで柱間と過ごしてきて、一度だって使ったことのない余所余所しい声音。当たり障りのない在り来たりな感想。感情も何も籠っていない笑顔を浮かべた私を、柱間は目を見開いて見つめている。驚かれるのはもっともだが、仕方ないではないか。一族の長老や位の高い人達が多く集まるこんなご立派な場所で、視線を集めながら柱間と馴れ馴れしく接するのが憚られたのだ。困惑の表情から察するに柱間は私の心情を理解していないだろう。今この場で訳を説明してやりたいのは山々だったが、そんなことできるわけもない。じれったさに身体をわずかに捻れば、長い間正座していた足が微かに痺れていた。次の言葉も思いつかず、お猪口を握る手にただ力を込める。

丁度その時、遠くから柱間を呼ぶ声がした。向こうで爺様達が酒の回っただらしない顔で、忙しく手招きをしている。ああ、よかった。私に何か言いたげな視線を残しながらも、柱間は渋々立ち上がって向こうへと歩いて行った。周りに聞こえないように静かに、しかし長くため息をついた。息を吐き出すと共に肩の力が抜けていく。窒息してしまいそうな場の雰囲気に、身体は疾うに疲れ果てていた。――宴を抜け出してしまおう。そう思い至ってすぐさま立ち上がる。慣れない立派な着物と足の痺れにふらつきながら、静々と襖へと向かった、…のだが。


「コマチ」


ああ今度は一体何なの。うんざりとした気持ちで振り返ると後ろには扉間が立っていた。声で彼だとわかっていたので特に驚きもしない。まさか無視するわけにもいかず、努めて淑やかに返事をするが、眉間には自然と皺が寄ってしまった。

「どうした。具合でも悪いのか」

その視線は相変わらず鋭いが、声の調子からするに咎めているわけではなさそうだ。お酒の場で部屋の外に向かいつつえっちらおっちら歩いていれば、心配されるのも無理はない。かと言って実際に具合が悪いわけでもないのだが。気まずさに視線をそらしながら、小さく息を吸い込む。そうだ。体調が芳しくないと言い訳してしまえば、この場から抜け出しても失礼にならないじゃないか。邪な嘘を思いつくも、それを拒む良心は姿を隠している。扉間と絡ませていた視線を顔ごと彼のたもとに移し、たどたどしく口を開いた。

「思いのほかお酒が回って……まして、」
「…」
「少し気分が悪いので先に休ませて頂こうかと」

顔を背けているのでどんな表情をしているかは分からないが、突き刺さるほどに視線を向けられているのはわかる。丁寧な態度で接する私に、先刻の柱間と同じように驚いているのだろう。構うものか。この部屋の中では周りの人目が気になるからこうしたまで。私は早くこの場から退散したいんだ。扉間は何も言わずただ私を見つめていた。これ以上彼と向き合っていたら何か言われるに違いない、そう悟った私はそそくさと頭を下げ、扉間に背を向けた。それっきりなにも言われないのを良いことに、彼を振り払うかのように急ぎ足で部屋から飛び出す。極力音を立てず襖を締め切れば、自然と安堵のため息がこぼれる。しかしやっと逃れられたと思いきや、いつもはひっそりと静寂に包まれている廊下にまで祝宴の熱気は零れていた。もう散々だと嫌気がさしていた私は、忙しく酒やら料理やらを運ぶ女中から必死に顔を背けて廊下を突き進む。

ふと思い立ったように手を後頭部に回して、丁重に手入れされたさわり心地の良いかんざしに触れた。折角貸してもらったかんざしも、結局扉間に見せることができなかった。――ああいや。厳かな場で男に色目を使おうだなんて、私は何と浅はかだったのだろう。



*****



帰郷したばかりの私に充てられた質素な部屋に、しっとりと光を添える。行燈の中の蝋燭に火をつければ、ぼんやりと温かな明かりに顔が照らされた。あれから着替えも風呂も済ませたから大分時間は立っているはずだか、中庭の遠く向こうではまだ賑やかな気配が溢れている。あれ程抜け出したいと願ったはずなのに、いざ実際に抜け出して誰も居ない自室に戻れば妙な後悔に苛まれた。あんな立派な宴会に出席させてもらったのに、勝手に逃げ帰るだなんて失礼だったろう。今敷いたばかりの布団に頭まで潜り込み、強く強く目をつむる。柱間と扉間の様子が瞼の裏にちらついて離れない。

再会に喜ぶあまり、つい十年前の心持ちのまま接していたが、それこそ間違いだったのだ。早いうちに現実を直視するべきだったのだろう。柱間も扉間もずっと上の立場の人。幼馴染のよしみで馴れ馴れしく接することを本人たちは咎めなかったが、彼らが良くても周りの目は違う。上下関係をしっかり示すことは集団においてとても大切なことだ。私がいつまでも軽薄な態度をとっていては若い忍たちにも示しがつかない。今日は上役たちの前だからと丁寧な姿勢を選んだが、これからは自分の身をわきまえて常に粗相なく振る舞わなくては。――ああ、もっと早く気づくべきだったのに。

やるせない気持ちに布団の中で身体を丸める。日が出ている間は大分温かくなったとは言え、夜になってしまえばまだ肌寒く感じる時期だ。血の巡りが悪いのが、ひんやりと冷たくなった足の指先。こんな憂鬱な気分では眠りに就けそうもない。せめて身体だけでも温かくして胸の内を落ち着かせよう、そう思って足先同士をそろそろとこすり合わせた。

――その時。


「おいコマチ、開けるぞ」


突然部屋の外から声を掛けられたので、慌てて布団から顔をのぞかせる。部屋の主である私の返事も聞かず、遠慮無く開けられた襖のその先には大きな男――扉間の姿があった。突然の出来事に息を飲みつつ黙っている私に、当の扉間は襖を開けたっきり何も言葉を発しようとしない。多少酒に酔っているのだろうか、薄暗いこの場所でも微かに顔が赤いことが確認できる。酔った男がこんな遅い時間に、布団で横になる女の元へやってくる。それって、いや、まさか――。

「…夜這い…?」

そう呟いた私を、扉間は鋭い眼差しで射抜いた。