ゆくらくら恋ふ | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -
14. 緩やかなる夜陰

「おお…!」
「…どう?」
「わかります!お着物の上から見るだけじゃ分からなかったんですけど、触ってみたらホント、膨らんでるんですね!」

右手を引っ込めて興奮気味に答える私に、ミトさまは優しく柔らかく微笑んだ。凍えるように寒い外とは違って、この部屋はとても暖かい。火鉢からぱちぱちと上がる音は、雪降る静けさに安堵の色を添えている。

「あの!もう一回お腹、触ってみても良いですか…?」
「ええ。どうぞ」

快く許してくれたミトさまに肩を竦めながら、再びそっと手を宛がう。細身の彼女の、微かに膨らんだお腹。ご懐妊が発覚したのはまだまだ最近のことだと思っていたが、いつの間にやらお腹が膨らむまでに赤子は成長していた。知らされた時もわが身のことのように喜んだが、日々着実に確かなものへとなっていくこの小さな命に、やはり歓喜を隠しきれない。このお腹の中に、柱間とミトさまの赤子がいるのだ――ふと、おかっぱ頭だった少年時代の柱間の姿が頭によぎり、我慢ならず笑みが漏れた。あーんなに気分屋で風変わりだった少年が一人前の大人に成長し、次の世代へと命を紡ごうとしているのか。生命の神秘に思いを馳せつつ、このお腹の中に居る赤子へ精一杯の愛情を差し向けた。

「体調の方は大丈夫ですか?」
「とても良いわ。柱間様も気を使ってくださるし」
「柱間のあれは…過保護と言うか何というか。まあ待望の一人目ですし、嬉しいってことは分かるんですけど」
「大分浮かれているものね」
「もう見てられないくらいですもん」

この数か月の彼の姿が嫌でも頭によぎる。あの大きな図体で飛び跳ねるように歩いていたり、真面目に机へ向かっているかと思えば名前の候補を書き連ねていたり、柱間の喜びようはまあ異常だ。気持ちがわからないわけでもないが、傍から見ていると大層不気味なので、周りの衆は引き気味である。特に扉間なんかは仕事が全く捗っていないと愚痴さえ零していた。ミトさまのご懐妊がこの上なく素晴らしいことにはもちろん変わりないが、一族の雰囲気まで変わってしまうと言うのだから面白い。

そろりとミトさまのお腹から手を離し、丸めていた背を正しく伸ばす。正座し直して今一度見据える彼女の姿は、窓を通して冬空から降り注ぐ陽の光で眩しく輝いていた。艶やかな赤い御髪。上品な弧を描く口元に、私はそっと目を伏せる。

「私は来月にここを発っちゃいますから、赤ちゃんの姿を見られないのが残念です」

ついぽろりと零れた弱音。ミトさまが小さく息を飲む音が聞こえた。

――うずまき一族との婚姻の話も着々と進んでいる。式を挙げるのはまだまだ先だが、来月中には私が向こうへ移り住むことまで決まってしまった。今更こんな政略結婚イヤだと駄々を捏ねるつもりもないし、もちろん引き止める人もいない。一族の者は皆、この婚姻を受け入れている。そして今日の午後には、私の将来の夫である婚約者が千手の集落までやってくるらしい。こちらに一泊して、日取りの最終調整や未来の妻の故郷見学なるものをするのだと聞いている。政略結婚の話を聞いたのが残暑の頃、覚悟を決めたのが秋。思いの他足早に進んでいく準備の数々に戸惑いを隠せないが、私にどうすることもできない。できないのだ。

「コマチ」

ミトさまはしっとりとした声で私の名前を呼んだ。沈んでいた気分にいつ間にか垂れていた頭を慌てて持ち上げる。少し眉尻を下げた笑みを浮かべているその表情。身重の人に要らぬ心配をかけさせてしまったと、胸中に罪悪感が渦巻きはじめた。堪らず唇を噛みしめていれば、目の前の彼女は慈悲深い眼差しで私を見つめる。

「心配なんていらないだとか、きっと幸せになれるだなんて無責任なことは言えないわ。あの子は確かに良い人だけれど、相性が合わなかったらそれっきりだもの。二人がどんな未来を迎えるかだなんて、神様にしか分からないでしょう」
「…はい」
「でも…これだけはどうか、知っていてほしいの。政略結婚だからと言って、一生を棒に振るわけじゃない。他人に決められた婚姻でも、不幸せだと決まったわけじゃないわ」

射抜くような迷いのない口調で話すミトさまから、目を逸らすことができない。私は口を閉じることも忘れて、彼女の言葉にただただ耳を澄ました。

「少なくとも私は、柱間様と夫婦になれて幸せだと心から思ってる…。他の人と結婚したならば、こんな極上の幸せ、きっと知ることはなかったと思うくらい」

その直後突然肩を竦めて、「のろけのつもりじゃないのよ」と慌てたように付け足したミトさまは、何とも可憐だった。彼女の台詞。彼女の本音。ようやく我に返った私の顏には、自然と笑みが浮かぶ。――そうか、ミトさまは幸せなのか。政略結婚の経験者にそう励ましてもらえることも嬉しいが、何よりもミトさま自身が千手一族の元で幸せを感じているという事実が大変喜ばしい。私はミトさまの付き人として千手の集落に戻り、慣れぬ環境に戸惑っていた彼女の話し相手になり、逆に私が大怪我をした時は甲斐甲斐しく看護をしてもらった。自分の婚姻話を抜きにしたって、政略結婚でこの一族にやってきたミトさまを哀れみ、心配は尽きなかったのである。彼女が幸せで良かった、本当に良かった。

頭を垂れつつ温かな気持ちに頬を緩ませていれば、彼女は未だ心配そうな面持ちでこちらを覗き込んでいた。こんなにも心温まるのろけ話を聞けたのだ。もうすっかり元気だ、と言う気持ちを込めて満面の笑みで頷くが、ミトさまは依然、懸念の表情を消し去らない。彼女は人の心にとても敏感だ。騙し騙しに気丈に振る舞っていても、どうやらミトさまにはお見通しらしい。私はゆらゆらと視線を悩ましげに彷徨わせた後、細く息を吐きだしミトさまと今一度視線を絡ませた。

「ミトさまも、嫁ぐ前は…不安でしたか」

彼女は微かに目を見開き、そして穏やかな苦笑いを浮かべた。

「ええ。とても」

ああ心の憑き物が落ちた。ほんの一瞬のやりとりだったが私の心はすっかりと安堵で埋め尽くされている。こんなにも気丈夫で聡明なミトさまでも、やっぱり不安だったんだ。――私と、同じ。自分だけが優柔不断でこんな気持ちでいるのだとばかり思っていたので酷く心許なかった。でもミトさまも同じ気持ちだったのなら、私も乗り越えられるのではないか。彼女に対する妙な親近感。何故か熱くなる目頭に咄嗟に顔を伏せれば、ミトさまは慌てて私の元に寄ってきてくれた。



*****



一泊二日の婚約者の来訪も無事終わり、外はすっかり暗くなっている。やっと一人になれた――。緊張のあまりずっと肩を強張らせていたので、身も心も疲労感でいっぱいだ。ふらふらと自室の襖を閉めれば、口からは大きなため息が零れてしまった。

彼が帰ったあとも爺様達に捕まり、長らく説教めかしい話し合いを続けていたらこんな時間である。婚約者である彼が良い気分でいられるようにとこの二日間、上物の着物に身を包み、顔にも丁寧な化粧を施した。最近は色の任務からもすっかり遠のいていたし、久しぶりの一丁前なおめかしは結構な負担だ。すっかりかちこちに凝っている肩へ気を這わせながら、一人静かに風呂を済ます。再び戻ってきた自分の部屋は、お湯で火照る身体ですら凍えさせるほどに冷気に満ちあふれていた。後二月で桜の季節になるとは言え、今が一番寒い季節だからしょうがない。火鉢を焚こうかとも思ったが、どうせ眠気に耐えかねてすぐに寝てしまうだろうと悟り、私はそそくさと布団を敷いて潜り込んだ。

風呂上がりと言っても布団の冷たさは耐え難く、熱を集めるように身体を丸めて目を閉じた。――日に日に布団の中で平穏を保つことが辛くなっていく、自分の心持。来月にはこの屋敷と、千手の集落とおさらばしなければならないのかと思うと憂鬱を隠しきれなかった。せめて桜くらい一目見たかったと思う。一年もここで過ごすことができなかったのか。確かに私の人生において、うずまき一族で過ごした年月は千手のそれより長い。しかしここが我が故郷であることには変わりないのだ。陰鬱な心と同調して、次第に熱を失い始めた手足の指先。完全に冷える前にさっさと寝てしまおう。そう思い、身体中を巡っている眠気に意識を預けた。

――しかし壁の向こう、こちらの部屋に向かってくる人の気配を感じて私は瞼を持ち上げる。

「コマチ、コマチ」

何度か名前を呼んだかと思えば、やはり遠慮もなくその人物に襖は開かれてしまった。扉間だ。片手に酒瓶を持ち、早速酔っているのか顔を若干赤らめている。布団からわずかに顔を覗かせつつ、らしからぬ彼の姿を眺め続けていたが、当の本人は襖を開けたっきり何も話さないし動かない。私の反応を待っているのだろうか。私は上半身を起こし、緩やかな笑みを顔に浮かべた。

「夜這い…?」

うっかり堪えきれずに不謹慎な冗談をかます。だっていつかのアレと状況が似ていたから、つい。あの時とは違う余裕に満ちあふれた私の声音に、扉間は「いいや」とその頭を横へ振った。

「ごめんごめん。嫁入り前の女にそんなことしないよね」

苦笑いを浮かべながら立ち上がり、私はそそくさと布団を片し始める。酒瓶を持ってきたところから察するに、理由は分からないが「酒盛りにでも付き合え」と言うことなのだろう。未だ廊下に立ち尽くしていた扉間に「どうぞ」と穏やかに声を掛けた。静かに一歩、また一歩部屋の奥まで進む彼の姿。やはりまだどうにもときめいてしまう、私の浅ましさよ。