ゆくらくら恋ふ | ナノ
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13. 君恋ふる心は蕩ける

女中が障子を開けてくれたので、布団に横になっていても外の景色が良く見える。庭の木々も大分鮮やかになってきたことに気づいて、ほうと感嘆の息を漏らした。見つめているだけで気が遠退きそうなほどに澄んでいる、薄青の空。太陽が高い時間帯でぽかぽかと暖かいが、時折吹く風は冷やっこい。血生臭い忍としての煩悩から離れ、こうして悠々と日中を過ごせるなどいつぶりだろうか。

「…そろそろ俺は帰るぞ」

扉間はその台詞と共にいつも通り立ち上がる。私はいつも通り沈黙を守り、彼もまたそれ以上は何も言わず、いつも通り黙って部屋から出ていく。やっといなくなってくれた。失礼なことも思いつつ、乾ききった唇を静かに舌で湿らせた。

私の手に握られているのは、赤色になった木の葉一枚。扉間からもらった。山中に住んでいる、とある一族の元へ話し合いに行った帰り道、他の葉よりも一層色づいていたので物珍しさに拾ったものらしい。あの厳つい男に似つかわしくない程、妙に浪漫的だ。


うちは一族との戦がひとまず終わってまだ間もない。後処理やらなんやらでまだまだ忙しい時期のはずなのに、扉間は何故か忙しさの合間を見て頻繁にお見舞いにやってくる。例の口喧嘩のせいか未だ心の整理がついていないので、まともに会話することもなく扉間がたまに話すことに私がそっけない返事をするだけの時間だ。意地っ張りを続けている自分が大層大人気ないことは分かっているが、どうにも仲直りのタイミングを失ってしまった。自分の今後を「そんなこと」の一言で済まされてしまったあの瞬間が、否応なく頭によぎっている。

少し指で押しつぶせば容易く崩れてしまいそうな脆い木の葉を高く掲げる。彼がどんな気持ちでこれを拾ってどんな気持ちで私に渡したのか。知りたいと思う一方で頭が拒絶する。扉間がどんなふうに思っているかなんて考えたくない。私は大げさなため息を一つつき、太陽の光を受けて尚更赤を鮮やかにする木の葉に目を這わせ続けた。




――それから二日後の夜中のこと。
私はいつも通り布団の中で眠りについていた。何がきっかけかは分からないが何故かふと目を覚まし、驚嘆する。すぐ横に扉間が寝ていたからである。

扉間は私の布団の傍で横になり、自分の腕を枕にして静かに眠っていた。驚きで声を上げそうになる自分を何とか制し、どきまぎと瞬きを繰り返す。何でここにいるの。何で私の隣で寝てるの。次々と溢れ出る疑問に堪えきれず、固唾を飲んで彼の姿を凝視する。目の前で眠る扉間の、月明かりに照らされたひどく穏やかな顏。こんな間近で見るのはとても久しい。幼い時に扉間や柱間と同じ部屋で、のんきに雑魚寝していた時のことを思い出す。いつもは厳めしいその顏だが、寝ている時の穏やかさは子供のころと大して違わない。私はまるで引き寄せられるかのように手を伸ばすが、はたと気づき慌てて引っ込めた。触れたいだなんて今更、恥ずかしい。

しかしこんな秋の夜に布団もかけず寝るというのは、あまり宜しくないだろう。易々と風邪を引いたりするような柔な男だとは思っていないが、この寒気の中放置するのも気が引ける。何故こんなところで眠っているのかは謎だが、彼を起こして自室に帰らせよう。そう思い、扉間の肩をぺちぺちと叩いた。彼の目がそっと開かれる。

「扉間、自分の部屋で寝れば…?」

小さな声でそう促すが、彼は私を黙って見つめているだけ。一人前の忍の寝起きが悪いでは話にならないので寝ぼけているわけではなさそうだが、起き上がる意志はどうにも見えない。

「自分の部屋…行かないの?」
「…」
「何でこんなところで寝てるの…?」

相変わらず彼が動かないのでどうしよもない。私は呆れ返るように問いかけ続けた。訝しむような私の声に一呼吸の後、扉間は「さあな」と呟く。またそれか。一番知りたいところをはぐらかされてしまい、口を尖らせる。全くもってすっきりしない心持で眉をひそめていると、扉間は空いている方の手をそろりと持ち上げた。なんだなんだと思わず身構える私の方へその手は伸ばされる。彼の手は私の頭に乗り、するすると髪の流れに沿って滑り始めた。

「と、とびらま…?」

何の前触れもなく私の頭を撫で始めた扉間に、胸がどきんと音を立てた。慈しむようなとても優しい手つきで毛先まで滑っては、また上に移動して撫で落ちる。いつの間にか指を通されていることに気づいて、一段と口の中が乾いた。手の心地良さに息が苦しくなる。突然の出来事にあたふたと扉間の目に訴えかけるが、当の彼はぼんやりと私の髪を眺めているようだった。

「先日はすまなかったな」

ようやく扉間が口を開いたかと思えば謝罪の言葉。ああこの前の口論のことか、と悟る。自然と戦慄く肩に、髪を梳いている扉間の手が微かに触れた。温かい。

「お前の一生なんぞどうでもいい、と言いたい訳ではなかった」
「…」
「ただコマチに死なれてはあまりにも口惜しい、そう思っただけだ。余所の一族へ嫁に行くだけならお前の幸せを願うこともできる。しかし命を失ってしまってはそれっきりだろう」
「扉間、」
「お前に逝かれるのは、酷く耐え難い」

到底彼らしくない弱気な発言の数々に、思わず唇が震えた。泣き出してしまわぬようにとなんとか噛みしめる。彼の言葉のせいで、陰ってばかりいた胸の内に穏やかな明かりが降り注ぐ。未だ髪を弄んでいた彼の手を、自分の手で捕らえるようにして重ねた。やはり私よりもずうっと大きく、骨ばった手だ。思い出すのは新緑が目にまぶしい皐月の日、再会し間もなく、しどろもどろ握手を交わした時のことだ。あの日は、あの時は扉間と普通に言葉を交わせることが、ただただ嬉しかったのだ。傍に居れるだけで満ち足りていたのだ。

――この関係でいい。彼との関係に、これ以上を望んだりはしない。幼い日の恋をぶり返し、ひたすらに扉間と結ばれることを望んでいた。扉間に触れたくて触れてほしくて堪らなかった。政略結婚を決められ他所の一族に嫁入りすること考えた時、彼と再会して喜びに溺れていたこの数か月間は何もかも無駄だったと思い込んでいた。――違う。無駄ではなかったのである。わだかまり残るまま離れ離れになった幼馴染と再会し、仲直りすることができたではないか。昔と同じ接し方でいることを許してくれたし、お酒だって一緒に飲めた。扉間と唇同士を重ね合わせたりなんかして、恋人気分でいることもできたのだ。沢山の幸せな思い出。それでいい。これで十分なのだ。

「ありがとう…とびらま、」

扉間だって私が嫁に行かねばならないという現実を受け止めている。せめて私が生きていてくれれば良いと、そう思ってくれている。ならば私も受け止めようではないか。彼と過ごせたこの幾月を、過去の大切な思い出として胸にしまい込み、別の男の元へ嫁ぎ、一族と一族を繋ぐ架け橋になって生きていく。千手一族のため、平和のため。憧れの彼ができるのだから、私もできなくてはならない。義務を果たしてみせる。

我慢できず口から零れた感謝の言葉は、微かに震えていた。それでも涙を見せまいと笑顔を浮かべる。重ねていた扉間の手から更なる温度を感じ取れるように、自分の掌を尚一層密着させた。暗闇の中でも月明かりでよく見える扉間の顔は、珍しくも微笑んでいる。

「ねえ、喧嘩になったあの日さ、私のことが心配でわざわざ戦場からお見舞いに来てくれたの…?」

わたしが密やかにそう尋ねると、扉間は途端に眉根を寄せた。ばつの悪そうな表情でしばらくの間沈黙を続けた彼は、そそくさと寝返りを打ち、私へ背を向ける。都合が悪いんなら自分の部屋に帰ればいいのに。それでも起き上がろうとしない扉間が嫌におもしろくて、私はもぞもぞと彼へと近づいた。扉間の温かな背中へ静かに手を置く。ふわりと清潔感溢れる匂いが鼻をくすぐり、高揚する気分。

「一昨日の木の葉のプレゼントも、私と仲直りしたかったからくれたの…?」
「…」
「寝ちゃった?」

まあ十中八九狸寝入りだと思うが。依然としてだんまりを決め込んでいる扉間が愛おしくてたまらない。しかし彼と過ごせる時間は、きっともう長くないのかもしれない。愉快な心持のなかに隠れた切なさを見つけ出し、わずかに目を伏せた。ああ私ばかりがいつまでも初恋を引きずっていてはいけない。私がいなくとも扉間はいつか違う女性を愛し、結ばれ、子を成すことができるだろう。私こそ気丈に振る舞わなくては。物寂しさをなんとか押し殺し、にんまりと微笑みながら扉間の背中を突っつきまわす。それでも反応を示そうとしない扉間。ゆっくりと上半身を起こした私は、彼の身体も冷えぬようにとのっそり布団の位置を整える。

「おやすみ、とびらま…」

せめてこれくらいは許されるだろうかと彼の背中に頬を摺り寄せる。二人分の温もりを布団に包まれながら、私は泣きなくなるほどの幸せにまどろみ続けた。