ゆくらくら恋ふ | ナノ
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15. らしからぬ

二つの硝子杯を持ってきて、ちょぽちょぽと直接酒を注ぐ。扉間がそれを口に運ぶ姿を眺めていると、何ともやるせない気持ちに突如として襲われた。こうして側でただ眺めていることすら、もう出来なくなってしまうのか。昨日今日のことで身体は疲れ果て、眠いのは確かなのに、こうして彼を部屋の中に入れてしまった。他の誰かだったなら容赦なく追い返しただろう。彼に未だ未練たっぷりの情けない女だ。自分自身を嘲るように口に弧を描きつつ、私もそっと酒を口に含む。

「このお酒…すごく美味しい…」

途端に口の中に溢れる、まるで果物のように芳醇な甘い香りに目を見開く。私が飲み屋でいつも頼むのとは違うものだ。ひょっとしてひょっとしなくとも、高いお酒なのではないか。こんな二人っきりの酒盛りで良いものを口にするだなんて思いもしなかった。申し訳なさに肩を竦めつつこの酒のことを尋ねてみるが、扉間は一言「気にするな」と。彼が一体何を考えて高価な酒片手に押しかけてきたのかもわからず、私はグラスを掴む指に力を込めた。

「どうだったんだ?」

考えあぐねているところに、扉間から声をかけられる。お酒の味がどうだったのかと尋ねているのかと思い、とても美味しいと今一度口にするが、扉間は若干呆れたように頭を振った。

「昨日今日のことだ」

自分の仕出かした勘違いに顔を熱くしながら苦笑いを浮かべる。恥ずかしい…が、扉間ももう少しわかりやすく言ってくれれば良かったのに。平素は決して口下手でない彼がどうにもわかりにくい話し方をするのは、既に酔っているせいなのか。珍しい彼の姿を目の当たりにしていると、何故だか気分が軽くなった。普段の隙のなさに比べれば、今の扉間の姿はいくらか人並みで、妙な親近感が湧いてくる。

「まあちょっとは緊張したけど、未来の旦那さまともいっぱい喋れたし、楽しかったよ」
「…初対面だったか…?」

何故か眉根を寄せる扉間の台詞に、わたしは笑みをこぼした。

「あれ、言ってなかったっけ?実は顔なじみなの。私も彼が婚約者だって知ったのは割と最近だったけど」
「…」
「向こうにいるときは修行に付き合ってあげたこともあるし」

まさか未来の結婚相手になるだなんて夢にも思わなかったけどね。そう付け足して微笑みのまま目を伏せる。あの人の顏をぼんやりと思い返しつつ、ちびりと酒を飲んだ。いくらか火照ってきた身体が心地よい。先刻までの陰鬱な心なんて今はひた隠しにしてしまいたい。蕩けるような気分にまどろむかのように、グラスを持つ扉間の指をなんとなしに見つめ続ける。

「ちょっとお調子者の気もあるけど、明るくて優しくて素敵な人なの。二つ年下だし、結構可愛いところもあるんだよ」

――そうだ、彼はとても素敵な男性なのだ。己に言い聞かせるように自分の台詞を何度も頭の中で繰り返す。何も心配することはない。あの人となら幸せな一生を過ごせるに違いないのだから――。美味しい酒のおかげで楽観的になっているうちに、どうにか不安をもみ消そうと躍起になっている自分に気づかないわけではないが、こうでもしないとあと一か月のうちに悩ましさで狂ってしまうのではないかと怖かった。一か月なんて一生においてほんのわずかな時間だろう。それさえ乗り切ればあとは周りに身を任せて、素敵な素敵なあの人と幸せに暮らせばいい。――しかし、目の前には扉間。長らく焦がれてきた幼馴染。ふと一瞬顏を上げた時に目の当たりにしてしまった、扉間の生真面目な視線。自然と震え始めた自分の手に気づき、慌ててグラスを床に置いた。私の顏から笑みはとっくに消えているのだろう。

「すっごく素敵な、男の人」

再び自分に言い聞かせるためにぽつりとつぶやく。扉間は何を言うでもなく、酒を飲むでもなく、ただ静かに私の台詞に耳を澄ましていた。そして二人の間に沈黙が漂い始める。いけない。せっかく美味しいお酒を飲んでいるのに、いい気分で酔っていたのに、この雰囲気では台無しだ。気まずさに畳の目に視線を這わせながら、へらへらと口元を緩める。

「あのね、渦潮の国ってすごく良いところなの。小さな島国だから、磯の香りがいっぱいで」
「…」
「ここからじゃ結構距離もあるし、船に乗らなきゃいけないのもアレだけど…。でも、良かったらいつでも遊びに来て!」
「…」
「海の幸が美味しいんだよ。扉間にも、絶対に食べてもらいたいくらい…」

なんとか明るく努めて言葉を紡ぐが、扉間は一向に口を開こうとしない。ただ黙って私を見ているだけである。ああ何故だかはさっぱりわからないが、台詞を続けば続ける程、目頭が熱くなってくる。喉には何かが詰まっているような心地。涙もろくなっているのも、お酒のせいなのか。そのうち口を開くことでさえ困難になってしまい、私はあわてて深く息を吸った。こうして扉間に話しかけることですら、もう滅多にできなくなってしまうんだ。こうやって扉間が私の話を聞いてくれるのも、今だけなんだ。そう思えば思うほど、この胸は悲しみで張り裂けそうになってしまう。しかしこの現実から目を背けることもできそうにない。自然と目尻に溜まる涙を隠すように、咄嗟に顏を伏せる。何度も何度も深呼吸を繰り返し、平静を保とうと努めた。

「やっと帰ってきたかと思えば、一年も経たずまたお前はいなくなる」

うつむきつつも扉間の言葉に目を見開く。どういう意味が込められた言葉なのだろうか。肩を強張らせながら彼の次の言葉を待つが、扉間はそれっきり、再び黙りこくってしまった。やっと涙が引いてきたころに、そろりと顔を上げる。酒のせいで微かに顔を赤らめている扉間をしばらく見つめ、今一度一生懸命に笑みを浮かべ、口を開いた。

「でも、一年もなかったけど、千手に戻れてすごく楽しかった」

締め切った部屋に漂う凝り固まった空気を振り払おうと、小さく頭を左右に振った。乾いた口から、か細い声音で紡いだ言葉を放つ。

「扉間とこうやってお酒飲んだり、修行したりできて楽しかったし…。何よりも、仲直りできて本当にうれしかったの」

目を閉じる。息を吸う。わずかの間噛み締めた唇で、弧を描く。

「今だから言えることだけど私ね、昔扉間のこと好きだったんだ…!だから、あんな風にお別れしたのが悲しかったから、こうやって仲直りできてそれだけで本当に…じゅうぶん」

冗談っぽい笑顔で顏を塗り固めて、私は目を細める。真面目な口調で告げるようなことではないことはわかっているからこそ、あくまでも軽く、するりと。後悔はしていない。扉間が幼いころの私の気持ちに気づいていた可能性は十分にある。さらに言えば千手の元に戻って初めの数か月、私はあんなにも大胆に彼へ迫っていたのだ。大人になった私の好意に、この賢い男が気づいていないわけがない。つまり「昔」だなんて苦し紛れの嘘である。それでも違う男性と婚約している今、自分の胸の内を正直にさらけ出すなんてきっと許されないのだ。酷く遠回しだが今やっと、十数年来の自分の気持ちを彼に伝えることができた、それだけでいい。嫌に気分は晴れ晴れとしている。つい我慢できずうっかり漏らしてしまったに等しい告白だったが、口に出して良かったと思う。これでもう思い残すこともない、気がする。喜びからなのか何なのか、再び涙が溢れ始めてしまったので私は急いで立ち上がった。

「何か熱くなってきちゃったし、ちょっと空気入れ替えよっか」

彼に背を向け、縁側へとつながる障子へと一歩進む。外の空気は大分寒いだろうが、恐ろしい程顏が火照っているし、冷ますには丁度良いだろう。とにかく今の自分の状態をどうにかしたい一心で、そそくさと障子に手を伸ばした。



――が。その時突然。

「ひ、……んぅっ」

一体何がどうなってしまったのかわからないが、口で息ができない。口を塞がれている。――扉間に口付けされている…?


いきなり温かい何か――扉間の腕に後ろから包まれて、かと思えば、身体の向きを変えられて、それで、それで――。今の自分の状況ですらわかろうとしてくれない程に、真っ白になって機能を失う頭。扉間に痛いほど力強く抱きしめられ、口付けされている。彼は私の口を封じるかのようにその唇を重ねあわせ、それから間もなく性急に舌を挿し入れる。いとも簡単に私の頼りない舌はからめ取られてしまった。

あまりの出来事に抵抗することすら忘れていた私は、ただ大人しく扉間の口付けを受け入れるしかできない。見開いた目の渇きに痛みを感じてようやく我に返った頃、反射的に精いっぱいの力で彼の身体を押し返そうとするがびくともしなかった。色気のない声を喉から絞り出しても、扉間は依然として口付けを続けている。彼はただひたすらに私の唇を、舌をもてあそんでいた。舐めて、吸って、擦って、なぶって――久しぶりの感触。いつぶりだろう。そうだ。残暑の頃、政略結婚の話を聞かされるわずか数時間前、その時以来だ。雑務の合間を盗み二人っきりの部屋の中で、溢れる激情のまま口を貪り、貪られていたあの時振りの感触だ。

身体から次第に力が消えていく。彼の口付けにほだされている自分がわかる。あんなに大好きだった人との口付けに、これ以上抗える気がしない。来月には婚約者との生活を始めるというのに、今更こんなこと許されないと頭では分かっている。わかってはいるが、それでも心から漏れ出す愛おしさをどうすることもできなかった。当然、政略結婚が決まってからは自制していたし、同じように扉間も全く私に触れなくなっていた。本当はもっともっと扉間とじゃれていたかったのである。中途半端な終わりを迎えた関係だからこそ、拒めない。また扉間と口付けることができるなんて思わなかった。――今日だけ。きっとこれで最後。扉間だって誰かにばらしたりしないだろうし、私も絶対に秘密にするから、大丈夫。自分に都合よく言い訳を投げかけて、ぼんやりと目を閉じる。

私は拒むでもなく、かと言って罪悪感のせいで自分から求めることもできず、ただじっと静かに扉間の口付けを受け入れ続けた。私に抵抗の意志がないことを悟ったのか、扉間は塞ぐような口付けをやめて、しとどに濡れた唇を味わうような啄みを始めた。くすぐったくて、心地いい。意識がおぼろになっていく。立ち続ける力もなくしその場に崩れれば扉間も追うようにしゃがみこむ。罪悪感で胸はいっぱいだが、そんな自分を咎める理性すら今の私にはない。私は朦朧とした意識の中で、彼が唇を離した一瞬の隙に口を開いた。

「とびらま…」

意味はない。ただ名前を呼んだだけだ。しかし目と鼻の先にいる彼は大きく目を見開き、息をのんだ。その喉が鳴る。

――扉間は私の襦袢の衿に手を差し込んだ。

「…ひっ」

私の首元に顏を埋めて唇を滑らせる彼は、素早い手つきで衿を左右に開く。獣のような荒々しさに思わず息を止め、やがて直に乳房に触れたその掌の温度に私はついに恍惚から目を覚ました。

――今扉間は何をしているんだ。そして私はどうしていたんだ。

今までの、そして今この瞬間の扉間と自分の行動を顧みれば、目の前は真っ暗闇に包まれた。とりかえしのつかないことを、してしまった。背筋は粟立ち、血の気が引いていく。体温も冷ややかになっていく。乳房を熱っぽく揉まれるその感触に、指先まで蝕まれるような得も言われぬ恐怖を覚えた。

「や、だっ…やめて…」

今一度彼の身体を押し返そうと力を込めるが、やはりびくともしないかった。それどころか扉間は私の身体を押し倒し、動きを封じるかのようにその上へ馬乗りになる。太ももの辺りに感じた熱い硬さ。それが彼のズボン越しの性器だと気づいてしまい、身体は戦慄き始める。熱い指先が胸の先端を摘んで弄りまわしながらも、彼は首元への口付けをやめようとしない。先刻までの蕩けるような心地よさは疾うに消え失せていた。頭の中を埋め尽くすのは、罪悪感と後悔だけ。何故私は彼の口付けにもっと抵抗しなかったのだろう、黙って受け入れてしまっていたのだろう。婚約者がいるのに、今更違う男と肉体関係を持つだなんて許されるはずがない。わたしが口付けの時点で十分に抵抗しなかったから、こんなことになってしまったんだ。

そもそも何故扉間は今更私を抱こうとしているのか。酒のせいなのか。二人っきりで幾度となくじゃれ合っていたあの頃でさえ扉間は私に口付けより先のことをしようとしなかったのに、今更酔いにほだされてこんなこと。あと一か月でここを発ち、違う男性と結ばれようとしている女を手籠めにしてどうなると言うのだ。


――私の婚姻に、反対してくれなかったのに。

――すがるような気持ちで向けた視線に、ただ黙って諭したくせに。


目の端に涙が滲み、そしてこぼれた。こめかみの辺りを伝って落ちていく。扉間の唇は首元から移り、今は私の耳へ愛撫をしていた。あまりにも不気味で不愉快な感触に、凍てつかせるような悪寒が走る。ぺちゃぺちゃと間近で鳴る下品な音を鼓膜に聞きながら微量のチャクラを練り上げ、一瞬戸惑い、そしてそっと彼の背中に利き手を置いた。

「…っ」

扉間はビクンと身体を跳ね上げてうなり声を漏らした。純粋な筋力では、男である彼にどうしたって敵わないだろう。こんな方法取りたくはなかったが彼の背中から内臓へチャクラを流し込み、痛みを与えた。そもそも大した量のチャクラではないし、間違っても後遺症なんて残らない程度の攻撃。しかし身体の内側の痛みに微かに彼がひるんだ隙を見て、私は渾身の力でその身体を突き放した。容易く私の上から退き、畳に手をつく情けない姿の扉間。生き物は性交の最中特に無防備になると言うが、私の攻撃をいとも簡単に食らうなんて、全く彼らしくない。いつもの扉間ではない。まさか変化の術で化けた別人なのかと思い、彼の体内のチャクラを感知してみる。いっそのこと他の誰かであったらどれだけ良いか。しかし紛うことなき扉間本人のチャクラに、私の張りつめた心の糸がピンと切れた。

「酔った勢いでこんな強姦紛いのことするなんて…」
「…」
「見損なった」

「強姦紛い」だなんて、口付けにしっかりとした抵抗をできなかった自分が言えることではない。だがしかし卑怯とは分かっていても彼を責め立てなければ、この腫れ上がるような遣る瀬無さに押しつぶされてしまいそうだった。畳に尻をついたまま後ずさると、右手に先刻まで扉間が使っていたグラスが当たる。あっけなく倒れたそれは、中に残っていた酒を静かに畳にぶちまけた。壁に進路を阻まれて、部屋の隅で身体を守るように背を丸める。夜気に晒されていた乳房を心許なく身体に巻きついたままの襦袢で慌てて隠し、苦悶から堪えるように力強く歯を食いしばった。扉間は見開いた目で瞬きを数回した後、ハッと目覚めたようにその場に居直す。男の性の色が消えた彼の表情を目の当たりにしても、身体の震えは止まりそうもない。それが恐怖からなのか怒りからなのか、悲しみからなのか。扉間が顏をしかめ心配そうな面持ちで私に手を伸ばせば、この身体は尚更竦みあがる。

「近寄らないで!」

拒絶の言葉。まさか彼にこんな言葉を投げかける日が来るとは思いもしなかった。伸ばした手をゆっくりと下ろした彼の、まるで私を気に掛けるかのような視線に苛立ちがこみあげた。

「出てって」
「…コマチ」
「いいから出てって!私に近寄らないで!」
「すまないコマチ」
「出てってよ!!」

扉間の顏を見ることすらいとわしく、顏を伏せたまま喚き散らした。私の名前を呼ぶその声も、もう聴きたくない。嵐のような激しい憤りに、ただただひたすら「出てけ」と金切声で叫ぶ私の姿は、扉間の目にどのように映っているのだろうか――。どうしよもないことを頭の隅にちらつかせ、それでも尚狂ったように拒絶の言葉を口にし続けていれば、いつの間にやら扉間の姿は部屋から消えていた。私が望んで部屋から追い出したはずなのにいざ実際いなくなってしまうと、まるで無責任にも逃げられたようなそんな被害妄想に突如として襲われる。激しい心臓の音がひどく耳障りである。胸が詰まっていて息すら満足にできない。苦しい。苦しくて堪らない。

猛毒のように身体中を蝕む憤り。臓腑の煮えくり返るかのような感触に、私はやけになって拳で何度も畳を殴った。腹が立ってしょうがない。一瞬でも彼を受け入れようとしてしまった自分の浅ましさも酷く許し難い。何よりも今更になって私を抱こうとした扉間が憎い。酒に浮かされたせいで到底彼らしくないこんな過ちを犯したことはわかる。わかるけれど、扉間は酒と性欲それだけのために手当り次第に女性を手籠めするような男でないことも知っている。だからこんなことしたのは、きっと。


――私に対して未練があると、言っているようなものじゃないか。