12. さよあらし 私は一命を取り留めた。医療忍術こそ私の本領だ。四肢を縛られ逃れられないと悟った時点で一気にチャクラを練り上げ、クナイを引き抜いたその瞬間から内臓の治癒を始めた。酷い痛みの中で微細なチャクラコントロールを行うのは骨折りだったが、他人の傷を治すよりか自分の傷を治すほうが勝手が利くことも確か。うずまき一族の元で長年修行を積んだ賜物である。 とは言っても、柱間がうちはの男を仕留めてくれなければ時間切れで死んでいた可能性もあっただろう。さらに言えば、私があの時点で保有していたチャクラは残り少なく、内臓をあらかた治癒したところでチャクラ切れとなっていた。本来ならば見捨てられる程の大けがを負った私がわざわざクナイを引き抜くその意図は何なのか、あの場で桃華が汲み取ってくれなかったならば、すぐさま救護班の元へ運んでくれなかったならば、私はやはり野たれ死んでいたかもしれない。さまざまな幸運が重なり合って、繋ぎとめられたこの命。仲間には感謝してもしきれない。生きてて良かった。 しかし、あんな大けがを負ってすぐさま復帰できないのも事実だ。何の心配もないほど経過は良いが、左胸は未だ痛むし、心臓周辺に集まる経絡系も損傷してしまったがために新たなチャクラをうまく練れない。少なくとも今回の戦に復帰することはないだろう。消沈した気分にため息をつきながら、ひゅるひゅると障子の向こうで夜風が荒れているのを聞いていた。 「ミトさま…あの、すみません」 「あら、わざわざそんなことを気にする余裕があるなんて。大分回復したのね」 「まあ…割かし元気ですけど…」 申し訳なさに苦笑いを浮かべた私の肩へ、ミトさまはそっと襦袢をかけた。薬の副作用で妙に身体が火照り、汗で肌をべとつかせている私を見かねてか、ミトさまはこうして頻繁に身体を拭いてくれる。彼女のこの面倒見の良さはいったいどこからくるのだろう。聡明で思いやりに満ちあふれる、素晴らしい女性だ。ミトさまの忙しく動く手によっていつの間にか襦袢は着せられ、そっと布団に倒される。やわらかく支える手つきにどこか照れくささを感じて、隠れるように頭まで布団をかぶせた。静かな静かな夜。ミトさまが何も言わないので、ひょっこりと目元をのぞかせる。「本当に、ありがとうございます」と、たどたどしく口にすれば、彼女は上品に口元を綻ばせた。 「寝る前に飲む薬と水はここに置いておくからね」 「あ、はい」 「今晩は少し冷えるから、しっかり布団をかけて寝たほうがいいわ」 歳はそこまで離れていないはずなのに、妙にミトさまが偉大に見える。まるで母のような、甘い包容力。柱間は素敵なお嫁さんをもらったもんだ、としみじみ思っていれば、ミトさまは何の前触れもなく僅かに目を見開いた。何かあったのだろうか。何しろ身体がこんな状態なので、酷く心細い。潜めるような声でミトさまに尋ねるが、彼女は私に視線を向け、ふっと柔らかく微笑む。ますます訳が分からない。疑問は増すばかりだ。 「それじゃあコマチ、お休みなさい」 「えっな、なにがあったんですか、気になります…!」 「すぐわかるわ……ほら」 ミトさまの一言の直後、部屋の襖が突と開かれた。――その先に立っていた人物に、私はつい仰天する。 「扉間…」 ああなんで、扉間が。ミトさまは扉間の気配を感じとって目を見開き、私に笑いかけたのだろう。彼女の意図は飲みこめたが、ますます疑問が浮かぶ。私が戦線離脱して数日。未だうちは一族との戦は続いているはずだ。扉間を始め、千手一族の戦闘員は皆集落から離れ、戦場へと赴いている。戦の最中は休息だって向こうで取るのだから、わざわざ集落へ戻ってくることなど滅多にない。それなのに何故。何度瞬きを繰り返しても、目の前にいるのは紛うことなき扉間だった。ミトさまは音もなく立ち上がり、私に目配せをして部屋から出て行った。入れ替わるように扉間がやってきて、私の横になる布団の元に胡坐をかく。 「なんでいるの…?戦は?みんなは?」 「戦はまだ終わっていない。皆は向こうで寝ておる」 「じゃあ何で扉間がここにいるの?」 「さあな」 肝心の部分をはぐらかされてしまい、眉を顰める。胸の内で疑問が渦巻いているからじれったくてしょうがない。しかし私が食い下がったところで、やはり扉間は答えないだろう。わざわざ遠回しなことはしない、無駄なことを嫌う男である。はぐらすからには、それ相応の理由があるということ。不完全燃焼ではあるがモヤモヤと燻ぶる胸をグッと堪え、上半身を起こした。左胸の痛みに耐えてゆっくりと動く私の背へ、扉間は支えるように手を添える。薄い襦袢のせいか、彼の掌の熱が素肌によく伝わった。自然と熱くなる顔。 「傷の具合はどうだ」 「順調すぎるくらいだよ。痛みはするしチャクラはうまく練れないけど、だいぶ元気」 「…自己治癒をしていたと桃華から聞いたが」 「医療忍者だもん、自分の応急処置くらいできなくちゃ。だから経過も順調なんだし」 「そうか」 扉間は私の台詞を聞いて感心したように息を漏らした。医療忍術は私が扉間に勝る数少ない技だ。くだらない優越感を感じて嫌に顔を綻ばせる。行燈に照らされる薄暗い部屋の中、今一度扉間の姿に目を這わせた。鎧を外してはいるが、黒い服はところどころ白に汚れている。砂や土だろう。今日だって戦はあったはずだ、汚れているのも無理はない。しかし怪我人の部屋へ不衛生な恰好でくるとは、どうにも扉間らしくない不注意である。急ぎの用事でもあるのか。 「何か私に用…?」 特に訝しむ様子を見せるわけでもなく、素直にそう尋ねた。きっと彼だって戦いで疲れ切っているだろう。早めに用事を済ませて休んでもらいたい。しかしそんな私の気遣いも届かず、扉間は口を結んだまま。一体どういうことなの。こんな身体のせいで勘が著しく鈍っているので、あまり不明瞭なことばかりだと心細い。何か良からぬことでもあったのではないかと、不安に駆られ始める。 「コマチ」 ついに扉間が口を開いた。固唾を呑んで次の言葉を待ち構える。 「一対一で敵と戦っていながらこんなことになるとは、お前らしくもない」 てっきり悲報の類を伝えられるのかと思っていたので拍子抜けである。間抜けにも口をぽかんと開けながら瞬きを数回。いやしかし、急にこんなことを話し始める扉間の意図はわからないが、嫌な知らせでなくてよかった。安堵に背を丸め、乾いた喉に咳払いを一つした。 「気の緩みと言いますか、何と言いますか…」 「気の緩み?戦場でそんな言い訳が通じると思うのか」 半ば冗談のつもりで苦笑しつつ答えた私に、ふいと険しくなる扉間の表情。しまった――厳格な彼の前でうっかりでもこんなこと言うべきではなかった。冷や汗を流しつつも慌てて口を閉じ合わせるが、もちろん彼の眉間から皺は消えない。肩を竦めながらあれやこれやと言い訳に思いを巡らせる。 「その、ごめんなさい。確かに私たるんでた…」 「弛んでたなどと簡単な言葉で片付けるな。下手をすれば死んでいたんだぞ」 「ごめんなさい…。あの、最近色々あったから、戦に集中できてなかったのかもしれない。我ながら情けない、です」 「…色々とは、婚姻の話か」 ついに扉間から例の政略結婚の言葉が出てきたので、無意識に肩を強張らせる。親に叱られる幼子のように顔を伏せていた私だったが、そろりと再び視線を絡ませた。眼光は鋭く私の胸を射抜く。どうにも居た堪れない。身体が弱っているこの時に、婚姻の話など負担になることを考えたくなかったのが本音だ。まだ完治していない左胸がずくずくと痛む気がした。 「婚姻…の話も、確かに原因かもしれないけど、」 「そんなことに気をとられてどうするのだ」 ――そんなこと――。 みぞおちの辺りで何かが漏れ始める。酷く不快な感覚。視界が狭まっていく。激情が身体中でたぎる。 私は唇を噛みしめながら彼を睨みつけた。扉間は僅かに目を見張ったが、たじろぎなどはしない。 「そんなこと、だなんて言わないでよ。私にとっては重大な話なのに」 「そのような一時の気の迷いで易々と死んだらどうする」 扉間を見つめ続けるごとに激しい怒りが湧き出してくる。何でわかってくれないの。あんなにも、こんなにも私は思い悩んでいるのに、それを「そんなこと」の一言で終わらせてほしくない。縁側に繋がる障子がガタガタとうるさく音を立て始めた。そう言えば今日は風が強かったか。すきま風は火照る私の身体を吹き透かすが、その熱が冷める様子は一向になかった。 「私の一生を左右する話なの…!」 「命を失ってしまっては元も子もないだろう」 「扉間は自分のことじゃないからそんなこと言えるんでしょ。知らない人のとこに嫁いで一生その人と暮らす辛さなんて、どうせわからないくせに」 「コマチ…!」 訴えるような声で私の名前を呼ぶ彼。聞いてやるもんか。扉間は残酷だ。こんなにも扉間のことが愛おしいのに。扉間だって応えてくれるように沢山の口付けを振らせてくれたのに。彼は私の気持ちを何一つ分かってくれやしない。いくら扉間が公私混同を嫌う人だとしても、他人にまで押しつけられたら困る。私は彼と違って簡単に感情を割り切れるような性分ではない。まして実際に嫁ぐのは彼でなくこの私だ。扉間は私がいなくなってそれっきりかもしれないが、私は好きでもない人と一生を添い遂げねばならない義務がある。一族のため、狂おしい程の苦悩。それを「そんなこと」「一時の気の迷い」で片付けるなんて酷い。ねえ何で、何でわかってくれないの――。 言ってやりたいことは沢山あるはずなのに、吹き上がる怒りのせいで声がうまく出せない。喉に何かが詰まっているようでじれったい。私は痛む身体も気に留めず、そそくさと横になり布団をかぶった。扉間に背を向けて、激しい憤りに堪えるように強く目を瞑る。 「扉間は…扉間には、違う女の子がいるからいいわよ」 「…?」 「でも、私は…でも、」 これ以上口に出してはいけないと悟り、慌てて口を真一文字に結ぶ。これではさすがに嫌味だ。扉間は私以外の女性も愛せるんだから気楽で羨ましい、だなんて何と醜い。何とおこがましい。彼に向けられていた怒りの矛先が、次第に自分へと向かう。自己嫌悪という苦悶は私の身体を否応なく震わせた。布団の中の異常な熱さに参りかけているが、これを蹴飛ばして身体を晒すわけにはいかない。 「もう帰ってよ…」 「…」 「帰ってよ…」 それから一拍置き、背後から扉間が立ち上がる気配を感じた。「お休み」とひそやかな声がかけられたかと思えば、すぐさま襖は閉じられる。緊迫した雰囲気の漂っていた部屋から、途端に何もかもが消え去ったのだ。身体からは未だ多量の汗が噴き出している。それが薬で火照っているせいなのか、興奮しているせいなのか、はたまた後悔からなのか――。いいや、扉間は私に酷いことを言ったんだ。私の恋心を無下にするようなことを言ったんだ。自分の非から汚くも逃れるように、今一度強く目を瞑った。眠気は全くないが、寝て何もかもを忘れてしまいたい。 しかし私の意志に反して、幾度となく扉間の姿が瞼の裏に映り込む。ずっと昔から恋焦がれてきた、愛おしい愛おしい幼馴染。 ――左胸が痛い。その晩はまともに眠れることもなく、小鳥のさえずる朝になってしまった。 (mainにもどる) |