忍少年と碧血丹心 001

「…いいよ、別に」
「ほんと!?」

「―――ただしそれやった時点で俺は君を軽蔑するよ。…だって君のやっている事は『間違い』だ。―――第一、君のためにならない」

冷たく言い放つ言葉にむっとくる。
ただ、本当に宿題の存在を失念していて、緊急事態という事で解答用紙を写させてもらおうとしただけで…。
毎度毎度頼んでいるわけでもないし、そもそも頼むのは初めてで……。

(なんでここまで言われないといけないの?)

いつもなら、甘く囁きながら上目遣いをすれば、どんな男もころりと鼻を伸ばしながら喜んで差し出してくれるそれも、『その子』には通用しなかった。
確かに正当な事を言っているかもしれないけれど、結局は写された事が先生にばれてしまった場合、自分に害が及ぶのを恐れているだけではないか―――
そもそも、あと5分で提出しなければいけない宿題を、しかも己が最も苦手とする数学の問題を、どう仕上げろというのだ。

―――そして結局、提出できなかった……というより提出しなかった。

この煮えくり返るような怒りのせいで、やる気も起きなかったのだ。
それでも、普段の行いを良く見せているせいか、特に咎められる事も無かった。
少し具合が悪そうな顔をして「昨日から体調が優れなくて、寝込んでしまっていたのでできませんでした」と告げれば、周りはむしろ同情的な目で心配してくれる。

「しょうがない、特別提出期限を延ばしてやろう。今日の放課後までに仕上げるんだぞ」

強情な先生もころりと騙されてしまう。
内心で細く笑みながら、しかし、事態は解決しない事を考えてどうしようかと悩む。
結局、このプリントを完璧に仕上げて、提出しなければいけない定めなのだ。

これは義務。規則を守るという意味ではなく、より有能な雄を手に入れる手段のために『優等生』というブランドが必要だった。
でも、面倒くさい。やる気がでない。
誰かにこっそり答えを教えてもらおう。誰がいいか。

獲物は物静かで、誰にもそれを漏らさない、グループからはみ出てしまうような寂しい子。
それでいて頭の良い人。

それ以外だと、頼りにされていると勝手に勘違いし、まるで友人にでもなったつもりで調子に乗り始めるから駄目だ。
検討が付かず、思わず溜め息を零した時だった。

「…はい」
「…。…なに、これ」

授業中に、ふと隣の『その子』から折りたたんだ紙を手渡された。
そっぽを向くそいつを睨んでからそれを広げてみて、目を見開く。

「これって…」

そこには提出するはずだった問題の解説だけが手書きで載っていた。
ご丁寧にも、答えを明かさずに、だ。
その生ぬるさが気持ち悪くて、気に食わなくて、馬鹿にされている気分で、それを何重にも破ってやる。
いつも一人を楽しみ、他人と関わり合う姿を見た事が無い『その子』。
他人を見下し、自分が特別だと思っているナルシストだったから、このクラスでも一人ぼっちなんだ。
過去に苛めを受けていたらしいという話にも納得がいく。

だってあんなにも意地悪で屁理屈なんだから。

ムカついて腹が立って、自分の本性を露に、『その子』の目の前で、ゆっくりと紙を破っていく。

笑う。
笑ってやる。

怒っているであろう、傷ついてるのだろう『その子』を思って、嘲笑してやる。

けれど、『その子』は何も言わなかった。

ただそれを目視して、何事も無かったかのように、黒板を向くのだった。
―――根暗な印象しかないその男。
しかし、ふと彼の横顔を見て絶句した。

『その子』は…

笑っていた。

自嘲でもなく
冷笑でもなく
ただ穏やかに笑みを零していたのだ。

根暗な奴だったから、気持ち悪いと感じるはずなのに、眼鏡の奥―――黒に塗りつぶされた瞳の魅力を知って、それも出来ず。

何故笑っていたのか―――

それが気になって、衝動に駆られるまま、破ったその端切れに文字を綴り、先生の目を盗んで、それを強引に『その子』の机に差し出した。
そうして直ぐに返事が無言で手渡される。

その時にも、『その子』は穏やかに笑っていたのだ。
貪るようにしてそれを見れば、やはり『その子』の綺麗な字で。

”―――とても君らしいと思っただけだよ”

まるで最初から己の歪んだ内側など見透かしているとでも言うような言葉だ。
そして、少し視線を下にずらせば、小さくその続きが―――

”p.s. ついに本性を表したな―――わがまま姫”

それは優等生の仮面を被っていた自分からしてみれば絶句するしかなく。
確かに、そんな態度を取った事は事実だが、それをこんな風に指摘されるのとでは衝撃が違った。

まともに視線すら合わせられなくなる。顔も熱い。
なんなのだ、この羞恥は。

―――笑えない

今思っても、笑えなかった…。


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