忍少年と一期一会 18
◇ ◇ ◇
欝蒼と茂る竹藪の細道―――闇夜に紛れて男が歩く。
切っていた携帯の電源を入れた時、着信履歴に同じ番号が立て続けに続いていることを確認して、目を細めた。
「―――…ああ。俺だ」
既に電池が少ない携帯の中で選んだ、馴染みのある番号に電話を掛ければ切羽詰ったような声が僅かに漏れていた。
しきりに声は何かを叫んでいるようだったが、男は何も言わない。
「―――音信不通だったのには色々訳があんだよ。……あーあー……後で説明する、そう怒鳴ってくれるなよ…。こちとらずっと寝っぱなしで、頭痛がするんだ」
音は幾分か静かになった。
途端に話題は変わり、男の表情もかすかに変化する。
「―――俺が返討ちにでもあったって思ってんのか?そりゃ心外だな。確かに銃器が出てきた時は呆気に取られたが、想定範囲内だ。むろん、連中には嫌というほど自分の血の色を見せてやったさ。これからの身の振舞い方について―――しっかり講習もしてきたつもりだ…」
歩みを止めた男が静かに口角を吊り上げた時、琥珀色の瞳には不気味な闇が浮かんでいた。
それは戦慄が走るような、ぞくりと寒気を感じるほどの悪感。
それを凝視する事は叶わず、恐らく顔を青ざめて視線を逸らす者達が大半だろう。
―――例えそれが、男を慕う者達であってもだ
相手がまた何か言っているのを聞きながら、男は何度かそっけなく相槌を打つ。
「なぁ、ユウジ」
歩みを進めながら、身を引き裂くような寒さの中で白息を吐き出す。
なに?―――と、怪訝そうに尋ねる相手に、男は言った。
「俺を『捨て犬』扱いする奴がいやがった。終いには迷子犬だ。それも躾のなっていない年中発情している駄目犬だと抜かしやがった。この俺に、だぞ。信じられるか…?」
途端に、思わず携帯を離してしまうほどの大爆笑が聞こえてきた。
脳を直接震わすような笑い声に、男は顔を顰める。
―――どうやら、相手様はだいぶお気に召したらしい。
しきりに笑ったかと思うと、声は小さくなっていったので、男は再び携帯に耳を近づける。
その顔は不機嫌そのもので、どこか子供がふて腐れているようにも見えた。
「お前帰ったら覚悟しろよ…」
何度も謝る相手だが、果たしてそれが本心かと言えば、今だ柳眉に皺を寄せるその男を見れば分かる事だ。
相手は何かを楽しそうに尋ねる。
「ああ、その通りだ。俺に媚びるどころか対等に扱おうとしやがった。たかが庶民の、どこにもでいる年下のませ餓鬼にだ。しかも人に足蹴り食らわせやがっただけじゃねぇ。俺の誘いさえ簡単に跳ね除けやがった。―――これを人生最大の屈辱と言わずになんて言うんだ」
―――でも、随分と楽しそうじゃないか
どこか歌でも歌うように、電話の相手が言った。
途端に、男は嬉しそうに口角を釣り上げて、昏い悪魔のような笑みを浮かべた。
「俺は『そいつ』に興味を抱いてる。すぐそばに置いて歩いて、誰もかもにこれは俺のだと誇示してぇ気分だ」
それは自嘲に似て。
相手はただ黙って男の心中を親身になって聞いていた。
この男が赤裸々に己の事を話すなど、付き合いの長い電話の相手からしてみれば稀に無い出来事だった。
「…なのにあいつは俺に興味の欠片も見せやしない。知ろうともしない。この俺を引きとめもしなかったんだ。…つまりそいつは俺に未練も何も無いって事だろ?黙って寝た振りしやがって、そのまま俺とおさらばするつもりだったんだぞ、あいつは。こんなムカツク事があるか?思わず俺から声を掛けちまったぐらい、俺はあいつが気になってるってのに。このままだと俺だけが一方的に―――それも当て逃げされた被害者みたく苦い思いを味わうのは我慢できねぇ…」
男は、あれほど熱心に口説いていたというのに、忍という雄に素気なく手を払われた事が、相当くやしかったのだろう。
特に、望まずとも人の視線を浴び、望む前に獲物が目の前に投げ出され、望む前になんでも手に入れてきたこの男にとって衝撃以外の何者でもなかった。
―――けれど、男は自分の不満を不満のままで終わらせるような男じゃない。
だから―――…
男は既に心を決めていた。
ユウジにそれを話すのは、準備の工程を踏んだに過ぎない。
「あいつは変な仁義を守って、俺ともう二度と会うつもりは無いようだが、そんな事、俺が許しはしないぞ。あいつが俺から逃げるってんなら―――あいつの日常を壊して、無理やり入り込んでやる。今に見てろ。俺を軽んじた罪は絶対に償わせる。俺無しじゃいられねぇぐらい骨抜きにするか、俺の存在を十分誇示して跪かす……」
そう高々と宣言する男はやはり楽しそうだった。
それはつまり、傷つけられた己のプライドを取り戻す逆襲劇。
―――これはゲームなのだ。
そんな言葉を聞いた会話の相手は思ったものだ。
―――こんな俺様に捕まるなど、なんて災難な子なのか、と
―――さぁ、狩りの始まりだ…
忍少年と一期一会<終>
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