忍少年と一期一会 07


傷だらけの『犬』を拾った。

泥を落とせば毛並みの良い、けれど躾の出来ていない孤高な犬。

…いや。これは本当に犬なのか?
どちらかといえばそれは『獅子』と言った方が正しいのかもしれない。

「…」

忍は無言を保った。
人間、理解できない場面に遭遇すると、混乱を通り越して冷静になるようだ。

「…」

目の前には己が昨日男に着せた着物のあわせ部分。
若干それは着崩れて綺麗な胸板が覗いている。
何故身動きが取れなかったのか―――体に巻き付いたそれが男の腕だと知った。

自分を恋人の女だと勘違いしているのか―――さて、その手が尾てい骨付近に触れている事は無視しよう。

まるで抱き枕のように、片足で忍の両足を挟んでいるこの現状について考える。

―――どうしてこうなった?

この布団は病人に提供していたから、己は壁に寄り掛かって、夜中看護にあたっていたはずだ。
毛布に包まって寒さを凌いでいたが、その心地よい暖かさに少しだけと眠ったまでは覚えている―――だが一番重要な、その先が思い出せない。

「まったく思い出せん」

どうして男と一緒に布団の中で寝ているかについて、忍が記憶を繰るがそれらしい収穫は得られない。
自分から布団に入る事はまずないと考えて、ならば男に引きずり込まれた可能性を思案する。
だが、不思議なのは少しでも気配を感じれば目を覚ます自分が、まったく反応しなかった事だ。
ここまで考えて、ようやく一つの結論に到達した。

ああ、そうか。

―――忍は男をまったく警戒していなかったのだ

いくら大した害はないだろうと考えたからといって、気まで許してしまった。
その事に気づき、忍は苦そうな顔をして、小さくつぶやく。

「…失敗や」


昨夜の苦しみから解放されたのか、安定した呼吸回復が聞こえてくる。

きっと忍のつぶやきは、未だぐっすりと眠っている男には届いていないのだろう。

「…さてと」

無理やり首だけをねじって、今だ眠り続ける男の寝顔を見つめた。

鑑賞するに値する―――むしろ美術品を愛でるような眼差しで見てしまう整った顔立ち。
伏せた瞼から生える睫が、女性のように長い事を初めて知った。

「女子(おなご)がここにおったら、黄色い歓声が飛びそうやなぁ…」

まるで幼い子供のように見え、思わず笑んでしまう。
あれだけ暴れた獣が、ずいぶんと無防備な寝顔を見せてくれる、と。

しかし、こんな男が目を覚ましたら大変気まずい事この上ない。
原因は不明だが、とりあえずはこの状況を無かった事にするため、忍は起こさないようにと我が身を捻り、絡まる腕を両手で押し上げた。

「よいしょっ」

だが、怪我を負った利き手でしっかり忍を抱きこんでいるようで、持ち上げる以前に腰に絡まった手が外せない。
男の怪我に配慮して、力を抑え過ぎなのだろうか…そう思って忍は体を力ませて、脱走を試みた。

「…っ」

それでも重すぎだ。

悪い事は続くもので、男は寝返りを打って更に忍へ覆いかぶさる。
まるで忍の身体を離さないとばかりに、両足に相手の下半身が絡まった。

「ちょっと……!!」

まるで温もりを追って来たような執着に、忍は慌てた。
何か大きくて硬いものが太ももに当たっているような気がしたのだ。

―――いや、気がするんじゃない。当たってる。

生理現象とは言え、昨日の事故の事もあって、忍としてはかなり居た堪れない。

この際だから起こしてしまおうか。

しかし相手は、衰弱した病人なのだ。
丁重に扱うのが真心というものだろう。

…けれどこのままでは。

オロオロと困ったようにしていると、くつくつとお湯が煮立つような振動と低く笑う声が上から降ってきた。
それだけで忍は相手が『最初から』起きていた事を知るや否や、問答無用で男の体を引き剥がしたのだった。


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