忍少年と一期一会 05


わざと手の力を緩めた途端、力の均等が崩れて男の唇が勢いよく忍のそれと触れ合った。
まさか忍の方が引くと考えていなかった男は、予想外の展開に目を白黒にさせる。
男だけではない、忍もこの事態を想定していなかった。

「!?」

効果音があれば間違いなく「ぶちゅり」が適切な、なんとも不格好な接吻だった。
忍にしても男にしても、こんなのは接吻でもなんでもないと否定するだろう。
不慣れなカップルでもここまで酷い形は無い。

「!!」

しかしそれも一瞬。
相手の力が緩んだ隙に、一気に両手で相手の肩を押し上げて、押し倒す気持ちで反対側へ体当たりを仕掛けた。

「おおっと」

意表をつかれた相手は驚きながらも、条件反射が大変よろしいのか、片腕をついて、どうにか後ろに倒れるような無様な事にはならなかった。

けれどそれでも構わない。

用は隙が出来ればいい。


半身を勢いで立ち上がらせた忍は、渾身の力を振り絞って拳を男の頬に叩きつけようとすれば、喧嘩慣れした相手の片腕がそれを掴んで食い止める。

一瞬勝ち誇ったような笑みを浮かべた相手だったが、生憎忍にはまだ片腕が残っていた。

「うちは左っぺら利きや!!」
「っ!?」

骨が折れるような、強烈な音と共に、せっかく腫れ上がっていなかった男の右頬に渾身の一撃を叩き込んだのであった。
吹っ飛ぶような事は無くとも、忍の一撃は相当応えたようで、忍の腹の上で男は微動だしなくなる。
頭痛さえ感じていたところへ脳を揺さぶられる衝撃に、耐え切れなったのかもしれない。

男は小さく呻いた。

「…ってぇなぁ…!!」


忍はさっさと男を無慈悲に畳へ押しやり、痺れた体をゆらりと起こした。
思った以上に痛んだ左手の痺れをほぐす様に手首を左右に振りながら、刺激しないようにと配慮するように、ゆっくり下がる。
けれど内心では心臓がバクバクと緊急の警告を出していた。
それこそ本気で―――大の男が白目を剥いて失神するほどの力を込めたというのに、男は衰弱している身で頭痛程度で済んでいるのだ。
しかも黄金の左拳を繰り出した時、男はそれにも反応を示していた。
体に鉛をつけた男は、避けるタイミングを掴み損ねたに過ぎない。

もしもこれで彼が絶好だったなら、果たしてどんな事になっていただろう。

この男…出来る…!!

それが忍の言える言葉なのかは不明であるが…。

男は頭を抑えたまま、その場に崩れて荒く息を繰り返していた。
本当は熱と怠さに魘され、苦しいはずだと言うのに、疑心の眼差しを忍に向けては、時折耐え切れずに顔を畳みに押し付ける。
立つ事も出来ないほど衰弱している相手。

―――よくもまぁその状態でここまで動けたものだ、というのが忍の感想だ。

忍は息を深々とついて思いっきり息を吸ってから、罵声を飛ばした。

「うち困らせるんがお礼かて?人を阿保にしはるのも大概にしなはれ!!なんでもお礼どしたいちゅうなら、うちが安心してあんさん追い出せるよう、そのえげつない風邪を早う治しぃ!!」
「まだ善人ぶるつもりか、偽善者…!!」

「ああ…ああ…っ!!アホらし!!拾った犬の世話してなんが悪い!!」

男が愕然と目を見開いた。
言われた言葉を理解しようとしたけれど、上手くいかない―――そんな様子で呆然と動きを止めていた。

「―――は」

荒く鼻息をつき、睨み付けてくる忍を終始無言でじっくり凝視した後、男は初めて警戒心を解いて、薄く微笑を零した。

先ほどの、どの笑みとも違う…

それは忍が見た初めて見た男の『緩み』だった。

「俺が、『犬』か……」
「―――犬は犬でも迷子犬や。しかも躾けのなってへん阿呆犬。言葉の分からん駄目犬や!!世話ばっか掛けよって…!!早う寝て治せぇ!!そんでうっとこかえんな<帰れ>!!」

布団を僅かに動かして、抵抗しない男を両手で転がした。
乱れた掛け布団を強引に引っ張り、有無も言えない男を寝かせる。
男はもうなされるがままだった。もはやそれどころではなく、本気で具合の悪かった男は素直に従ってくれた。
しかし決して男が気を許した訳ではない。
ただ、今は一時休戦という協定を、無言の了解としたに過ぎないのだ。
目を閉じて柳眉に皺を寄せ、一直線に閉じた唇から時折苦しげな呻き声が漏れる。

今夜は本格的に熱が上がるだろう。

明日が休みで良かったと思いながら、忍は台所へ向うついでにと、先ほどとは打って変わって穏やかに尋ねた。

「―――もう叫び過ぎて喉カラカラや…。そんであんさん、うち今からはしり行ってくるん。なんか欲しいもんありますか?」

基本的に、病人や弱者に忍は優しいのだ。本来は。
その変化にもちろん男も思わずキョトンとした無防備な表情を忍に晒した―――がそれも直ぐに引き締まって、唸るように呟いた。

「…『はしり』?なんだそれは」

掠れた声でそうぼやく相手に、忍もまた男と同じく一瞬きょとんとした様子を見せた。
それから少し戸惑ったように沈黙した後、「ああ…」と息をつく。

「―――すみませんね…。これから台所行ってくるんです。欲しいものありますか…?」

「…。水」
「そうですか。それと勝手ながら、お粥作りますよ。食べないと体力戻りませんから。ああ、それよりも水でしたか」

白が黒に一瞬で変わるが如く、その口調ぶりは元に戻っていた。
先ほど見せた艶やかな色も今は欠片も無い。
忍は障子を開けてから、男の方へ首を捻る。

「安静にしていてくださいね」

障子は静かに閉まり、廊下をゆっくりと歩く忍の足音を聞きながら、男はようやく眠りについた。

それは男にとって3日ぶりの睡眠だった事を忍は知らない。

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