忍少年と一期一会 04
「―――せっしょーな <可哀想な>人やなぁ…」
忍の、独り言のような小さな呟きを拾い、男はぴたりと手を止めた。
この不利な中で余裕を匂わせる態度に、違和感を覚え、警戒したようだ。
ふいに、束縛されていない手で片目を押さえ、忍は目元を気にする。
「ああ…。あんさんのせいでコンタクト外れてしもうたわ」
まるで今の状況を理解していないような、涼しげな声音は当初よりもはっきりと、そしてどこか色艶が出ていた。
しかも、時世の違いを思わせるような、古風にして独特な言葉遣い。
京都の言葉、か。
「…」
勘ぐるように逡巡しているのか、どこか空ろ気味に男がじっと忍を見下ろす。
そこで息を詰めたように、相手が呼吸を飲み込んだ。
男は無言で忍の両腕を掴んで、強引に顔を見合わせる。
漆黒であったはずの忍の目―――しかしコンタクトを外した片目は轟と燃え上がる紅蓮の炎を宿していたのだ。
「お…前…」
「―――何です。この目の色が珍しいですか…?」
挑発をしかけるように、少し悪戯を含んだ優艶な笑みに、こくりと、男は知らずの内に息を呑んだ。
この世の者とは思えないその瞳の色。それはルビーの色とは違う。
けれど何かの宝石を埋め込んだように、どこかその眼には惹きつける魅力が確かにある。
男が忍に釘付けになったのはそれだけではない。
実は男が忍の顔をまともに見るのはこれが初めてだったのだ。
最初こそ長く伸びきった前髪と銀淵の目がねがあったために、その容姿に着目する事は無かったのだが、男は夢から覚めたような視線で忍を上から下まで凝視した。
若干、信じられない―――とでも言っているような眼で、だ。
引き千切りかけたブラウスは第三ボタンまで飛び跳ねて、象牙のように白い肌が目映く覗いている。
何者にも侵されていない首筋は女性のように艶やかで、しっかりと窪みが浮き出ている鎖骨は貧弱の印象よりも儚さを含んだ危なげな印象が濃く出ていた。
少し熱気に包まれた空間の中で暴れていた忍の肌は汗ばんでいるせいもあってか、頬に漆黒の髪が絡まっている。
時折―――苦しげに呼吸を吐き出す薄い唇。
少し桃色に染まった頬。
聖女を犯そうとしている様な―――いけない事をしているような気分になる。
けれどそれとは相反して、しっかりとこちらを見つめる両眼は、誘惑して陥れる悪魔のように、油断できない緊迫感を与えた。
左右の色こそ違うが、何者にも屈しない瞳の鋭さが、ぞくりと男の征服感を刺激する。
これを泣かせ、喘がせて、懇願させてみせれば、どんな表情を見せてくれるのか、と。
しばらく惚けていた相手もようやく『らしさ』を取り戻すと、恍惚たる笑みを再び唇に乗せて、気だるそうながらどこか嬉げに顔を近づけた。
「へぇ―――…。結構な上玉じゃないか」
「―――同じ男にそれを言われても嬉しくないんですけど…」
毅然たる風で、忍はどこか不機嫌そうに眉を寄せて言った。
どうやら己を性対象として認知した、嘗め回すような欲情に濡れた目が忍には居心地が悪い。
男の両肩を押しながら、忍は憮然と口をへの字に曲げる。
「重たいんで、早くどいてもらえませんか…?」
「冗談…。嫌よ嫌よも好きの内だろ?これだけ誘われて引き下がるなんて男の名が廃る。それにしばらく禁欲生活をしてたもんでな、溜まってるんだ」
「勝手に助けたのは俺ですが、それにしても恩を仇返しとは、随分身勝手な方ですね…人としての礼儀を期待するのは間違いでしょうか?―――しかも誘っているなんて心外ですよ」
「なんならじっくり聞かせてもらおうか。―――何故俺を助けたりした…?一体何が目的だ…?お前は俺なりの礼儀を期待してるんだろう?だったら望みのものをくれてやるよ。―――お前は俺に何を求める…?」
「訳がわからない…。目的?望み?―――あなたを助けるのに理由がなければならないんですか?」
「はっ―――俺を助けた理由が、無いわけがない。…さっさとお前の心の内を明かせよ。俺はそうやって下心必死に隠して偽善ぶる野郎が大嫌いなんだ。『いいんですいいんです』とお世辞で断りながら、腹ん中で『欲しい欲しい』と縋りつく馬鹿より、それ相応の見返りを堂々求められた方がまだ気持ちがいい」
「―――…ふぅん。まるであなたはどんな望みも叶えられるかのような物言いをしますね。それなら遠慮なく、言ってみましょうか。実は貴方にお願いが一つあるんですよ」
「…なんだ?」
ようやく言う気になったか―――男の心の声が聞こえたようで、忍はふっと笑みを零す。
しかし、その笑みは直ぐに崩れた。
「―――どけ」
男が純粋な驚きで瞳孔を揺らした。
「重い。狭い。そんでもって暑苦しいわ」
根競べをするかのように、両肩を押し上げる忍の一方、相手の男はその力をねじ伏せるように体を押し倒していく。
相手の男は楽しそうに口角を吊りあげた。
「どういうつもりなん…?うちの望み、叶えてくれはるのと違いますか?」
「悪ぃな。残念ながら俺の力を持ってしても、お前の望みは叶えてやれそうにない」
「…あんた、何考えとる……?」
男が肩を揺らして、また喉の奥で笑いを噛みしめる。
必死に忍は体を揺らして逃れようとするが、重い鉄の下敷きになったように動けない。
先ほど熱に魘され、倒れていた男の強さとは思えなかった。
男が忍の頬に首筋に、唇を落とす。
何度も何度も焦らす様にそれを繰り返し、楽しんでいる。
慌てる忍で―――男は嬉々と遊んでいた。
しかも今は忍の唇を熱い眼で見つめて―――今男が何をしようとしているのか、忍は直ぐに察した。
男の唇が落ちそうになるのを、手で男の髪を掴んで押し、阻止する。
「…っ」
「いてぇな。髪掴むなよ」
男の方が力があまりに強い。
熱い吐息が、顔全体掛かり、いよいよ男に唇を再び奪われそうになる。
しかし―――
「たいがいにしぃ!!」
雲行きが怪しくなっていく行為に、これ以上の『事故』が起こってはいけないと、ついに忍の反撃が始まった。
-4-
[back] [next]