忍少年と隠忍自重 066
「―――力づくで奪ってみなよ、『王様』」
それを聞いた『キング』が、ためらいなくコツリと音を立てて一歩進んだ瞬間、朝倉の静止させる声が飛んだ。
「おっと…でも近づかないでくれるかな」
「…」
「俺は結構ビビりでさ、君が俺に近づくと怖くて怖くて―――怖さのあまり間違って忍クン傷つけちゃうかもよ」
忍の喉元を指先で撫でながら、猫なで声で朝倉は嗤う。そして周りも笑った。
『キング』はただ無言だった。笑う連中に一度も視線を向けないまま、忍を一瞥する。
馬鹿にされているはずなのに、何故か『キング』がその挑発に反応している様子はなかった。
孤高の獅子とまで呼ばれている男の事だ。プライドが誰よりも高い彼は、格下と認知している男たちを存在しないものと考えているかもしれない。
『キング』からしてみれば、鴉が啼く声など気にならないのだろう。驚くほど無反応だった。
ただ少し大袈裟に肩をすくめてみせて、それから朝倉を睨んだ。
「おいおい。俺が来たらそいつくれるんじゃなかったのか?」
「―――あははっ。そうだね、約束だもんね。それじゃ…」
ニヒヒッ―――朝倉は不気味な笑いを零した。
「それじゃぁ、代わりに君の右腕、折らせてくれないかな」
「……」
「っ!!」
「俺は君に殴られるんじゃないかと思って、それが怖いんだよ。痛いのはあいにく嫌いでね。だから、君の利き手が使えなくなれば、俺は殴られなくて済むってさ、ようやく安心できる」
忍は馬鹿な事だと歯を食いしばる。
そんな馬鹿けた条件―――それで頷く馬鹿が一体どこにいる!!
しかし、そう思っているはずなのに、忍は心底焦っていた。
『キング』はしばらく沈黙し、考える素振りを見せていたが、やがて決心したように返事をした。
「いいだろう」
「馬鹿が!!」
工場全体に忍の咆哮が響く。
「お前、お前、お前!!!なに考えとる!!なにうなずいとる!!」
「ちょっと暴れないでよ、忍クン」
「…っ」
朝倉が、暴れだす忍を抱きしめる。
「しゃあねぇだろうが―――今のお前はかよわい人質なんだ。従うより他ねぇだろう」
「はっ、お前はいつからそないに優しい男になりおった!?―――いつから!!!!!」
これほどまで本気で怒ったのも、忍にとっては久しい事だった。
『キング』にはめられた時でさえ、これほどの怒りは感じなかった。
忍は混乱していた。混乱して混乱して、取り乱している。
こんな馬鹿げた一方的な取引に、『キング』が頷いた理由なんて、どう悩んでも一つにしかたどり着かない。
何故そこまでして、助けようとするのか―――忍は戸惑っていた。
自分達の間には何も特別な絆があるわけではないのに。
「さて、王様の判断を聞かせてもらっていいかな?」
「―――背に腹は代えられねぇ…じゃねぇが、なぁに。しばらく生活が不自由になるぐらい許容範囲だ。……だが、てめぇ。俺だって苦いもん飲み込んでやるんだ、間違ってもそいつに傷一つつけんじゃねぇぞ…痕もつけんな」
朝倉が、すっと目を細めた。
その目に、ここに来て初めて敵意が混ざり、不穏な空気を一瞬纏う―――が本当にそれは瞬く間に消えてなくなる。
朝倉は嫌がる忍の頬に顔を擦り寄せ、『キング』を挑発するように笑んだ。
「……うん、俺だって『この人』を傷つるのは本意じゃないよ」
「てめぇ……ソイツに馴れ馴れしく触ってんじゃねぇぞ……」
「おお怖い怖い」
グルグルと喉を鳴らして威嚇する『キング』に、朝倉はくっつけた頬を離した。
ほっと息をつく忍だったが、『キング』が右腕を横に伸ばすのを見て、ぎょっとする。
まともに、この狂った条件を『キング』は飲み込もうとしているのだ。
「それじゃ―――お約束通り、その右腕、いただくよ」
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