忍少年と隠忍自重 054


◇ ◇ ◇

四人分の荒い息が、冷たい夜の空気に昇り、最後は溶けて消えていく。
使用されなくなった工場の合間合間を、見つかれば補導されそうな、まだ幼いとも言える体躯をした少年少女が、何かから逃れるようにして必死に走っていた。
先頭を走るのが、元<ゲン>。真ん中には、守られるように空<ソラ>がいて、後衛として律<リツ>がボロボロの健太を肩で支えて二人三脚で呼吸を合わせている。
素行が悪そうな印象よりも、所々破けた指定の制服と、顔や手足に浮かぶ青タンや腫れた痣―――そして脈を綴る赤い血や土色の汚れを見て、誰もが一度は振り返り、声をかけてしまいそうな憐憫さが勝って強い。

一体何があったのか。

誰がそんな酷い暴力を振るったのか。

―――眼に憤りの炎が灯っているのも知らぬまま、思わずそう尋ねてみたいほどだ。

四人の少年少女達は忍に逃がしてもらってからだいぶ経つものの、未だに工場地帯から抜けられずにいた。
それは、怪我と疲労があまりに酷すぎて、痛む体を気遣うあまり、走るスピードが衰えているのが原因だった。
更に精神的なストレスから肺活量が通常よりも増えている事も、四人の疲労を色濃くさせているのかもしれない。
背後から誰か追いかけてくるのではないかと、時々後ろを振り返っては、光を求めるようにただ我武者羅に逃げ続ける。
どの顔も恐怖で強張っていて、けれど泣く暇も無いほど必死な顔をしていた。
その時、ようやく工場を抜ける境界線を見つけて、元<ゲン>は声を上げる。

「道路だっ!!」

入り内と思われる大きな古びた門―――むろん鍵はとうに破壊されていて、鉄の車輪で動く左門だけが、一人分の隙間ほど開いていた。
長年放置されていた事もあり、動かすには滑りが悪く、鉄で作られた門は二人がかりでなければ動かす事は出来ない。
だから一人ずつ出るしかないと、そう判断した先頭を走る元<ゲン>が、空<ソラ>を優先しようと声をかけるために背後を振り返った瞬間だ。

「っ!!」

背後から追うように走って来たのは藤堂だった。
藤堂はきっと、自分達を捕まえるために追いかけて来たに違いないと、元<ゲン>は思っていた。
けれど実際、藤堂は忍に脅されたせいで半狂乱になっていて、既に元達の事などどうでも良かった。
ただ一刻も早くここから逃げ出したいだけ―――しかし、藤堂に散々な目に合わされて半・トラウマ的になっている後輩は、そんな事情を知らないものだから、青を通り越して顔を真っ白にさせる。

「なんで…!!」
「っ!!」

元<ゲン>の驚愕ぶりに、他の三人も同じように振り返って硬直した。
空<ソラ>に至っては、あまりに動揺しすぎて、足をもつれさせ、その場に思いっきり転んでしまった。
ずるりと、皮が剥けていそうなほど痛々しい音に、先頭を走っていた元<ゲン>は慌てて立ち止まり、叫んだ。

「空先輩…!!」
「大丈夫っすか!!」
「いやいやいややぁああ…!!」

律<リツ>も立ち止まって声をかけるが、藤堂の姿を見た途端、空<ソラ>は痛みに呻くより、大げさなほど首を左右に振りながら、両耳を塞ぎ、大粒の涙を零した。
腰が抜けたせいで立って走る事が出来ず、逃げられないと思って子供のように泣きだす。

「いやぁあ…!!怖い…!!助けて助けて助けてぇ…!!」

もはやパニック状態に陥り、自分の殻に閉じこもる。
藤堂に性的暴力を受けた傷はそれだけ深いのだろう。

「…っ」

次第に近づいてくる藤堂と身動きが取れない空の姿を見て、元<ゲン>も同じく動揺しながらも迷う様に瞳孔を揺らし、一度ぎゅっと眼を閉じた。

元<ゲン>は藤堂が恐ろしかった。

喧嘩は強い方だと自負し、その通りだと思っていた健太がこんなにもボコボコになり、更には忍を助けようと勇気を出して飛び出しても、結局助けられて逃げてきた。
泣きたいほど痛い思いをして、死ぬほど怖い目にあって、本当なら我武者羅に誰かの助けを求めて泣きつきたい。
今にも張りつめた細い神経がぷっつりと切れそうで、きっと切れたら発狂する。
元<ゲン>は自分が今日ほど弱い存在だと思った事はない。
弱くて無力で、どうしようもない駄目人間の役立たず。―――自分がクズな存在だと分かっていたけれど、こんなにも強く自己嫌悪に陥った事はない。
今だってただ逃げる事しか出来ないのに。

逃げる事で、精一杯なのに…。

怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い―――怖い!!

今すぐ背を向けて逃げ出してしまいたい。

だが―――

『おまえは自分の出来る事をしっかりやりぃ!!』

脳裏に過ったのは、絶望的な状況の中で一人君臨していた謎多き先輩。
優等生のような根暗のような、印象に残らない普通な学生だったのに、まるで点火したように色を変えた。
『キング』の人質として価値ある人。
炎を灯したような力強い瞳に、圧倒された。(なんてキレイだったんだろう)

任された。

空先輩を、健太達を。

無事に逃げれるようにと、助けてくれた。
きっと今でも一人で闘っているのだろう。
だったら、自分だって―――そこまで覚悟したけれど。

怖ぇよと内心で呟いて、元は瞑っていた眼をしっかりと開け、震えが止まらない拳をぎゅっと握った。

「…っ」

怖ぇ。逃げてぇ。

バクバクと体内から飛び出さんばかりに鼓動する心臓。呼吸も自然と深くなり、冷や汗がどっと湧き出る。
元<ゲン>は持って来た木の棒をしっかりと構えると、列の尾へと回った。

「元<ゲン>!?」
「―――律!!健太と空先輩連れて先に行け!!」
「だ、だけど!!」
「早く!!」

どんどん近づいてくる藤堂に向かって、元<ゲン>の方から立ち向かった。

「だぁあああっ!!」

木の棒を振り上げて、藤堂に奇襲をかける。
だが藤堂も元の姿を確認するなり、拳を振り上げた。―――何故か馬鹿にしたような笑みではなく、余裕のない強張った表情で、藤堂は叫んだ。

「邪魔すんじゃねぇええ…!!」

元<ゲン>達は、藤堂が忍に脅しをかけられ、錯乱状態に陥ってる事を知らない。
だからこんなにも動揺しているのだが、自分達の事で精いっぱいの元<ゲン>はそれにも気付かなかった。

「―――がぁ…っ!!」

ガツンと、思いっきり元は藤堂に殴られた。
成長途中の体は、簡単に吹っ飛び、地面に叩きつけられる。
それでも元<ゲン>は立ちあがり、ぺっと地面に血を吐きつけて、鼻血を強引に二の腕で拭うと棒を構えた。

今はまだ、負けてたまるか…!!

体はボロボロで子羊のように震えながら、目だけは力が衰えていない。―――そこには決死の覚悟が伺えた。
しかし、元<ゲン>と藤堂では、一対一のハンデある闘いとはいえ、喧嘩慣れをした藤堂にはどうしても勝てず、ただ一方的に殴られ続ける。
元<ゲン>もまた、この勝負が負けると分かっていたが、それでも立ち上がりさえすれば空達を逃がす時間稼ぎが出来ると思っていた。
既に武器となるはずだった棒は、役目を果たす前に地面に転がっている。

それでも必死に元<ゲン>は戦った。

―――こんなに必死になった事があるのかと思うほど死に物狂いで。

恐怖を上回る勇気というものを、生まれて初めて感じていた。
もしかしたら恐怖を通り越して、その感覚がマヒしたのかもしれない。

しかしやはり現実は厳しい。

勝てる様な奇跡なんて起こらず、元<ゲン>の体は段々使い物にならなくなってくる。
自分が立っているのかさえ分からず、腫れあがった瞼で視界も狭くなった頃、勝利を確信した藤堂が息も荒くして、にたりと笑った。

「さっさとどきやがれ!!」

痛みのあまり、元は避ける事も出来なかった。


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