忍少年と隠忍自重 051
忍は元<ゲン>の姿を見て、呼吸を一瞬忘れるほど驚いたが、みるみる内に怒りが湧き上がった。
「あ
んの馬鹿もんが…!!」
忍は思わずその衝動のまま、八つ当たりをするように男をグーで殴り飛ばした。
鈍い音と若者の押し殺した悲鳴が鈍く響く。
力任せに拳で殴る事に慣れていない忍は、殴った痛みに顔を顰める。
―――せっかく逃げるチャンスを作ったと言うのに!!
忍は、元<ゲン>の咄嗟の行動を理解出来なかった。
むざむざ巻き込まれようとする意味が、分からなかった。
空<ソラ>や律<リツ>達はちゃんと逃げれたというのに、この少年はわざわざ…わざわざ自分を助けるためだけに戻ってきたとでもいうのか!!
男達もまさか戻ってくるとは思っていなかったのか―――驚いたた様子で眼を丸くしていたが、好都合な事だと笑みを浮かべた。
忍は眉間に谷間を作り、歯を食いしばる。
『人質』を第一に配慮しながら、我が身を守るリスクを、元<ゲン>はまったく分かっていない。
「ち、近づくな!!殺すぞ!!」
「はっ。やってみろよ餓鬼が―――」
元<ゲン>は懸命に木の棒を振り回して対抗するが、相手は大人数だ。―――それにまだ体の作りが完成されていない子供が、成熟した大人に敵う訳が無い。
「ほらほら―――どうしたよ…?足震えてんぞ?」
「殺すんだろう?できるんだったらやってみろよ」
「そんな根性も無ぇくせに」
「うるせぇよ!!」
元<ゲン>がその挑発に顔を真っ赤にしながら、男達を木の棒で追い払う。
だが、男達はそんな元<ゲン>の姿を楽しむように、元<ゲン>の周りを囲いながら、言葉による攻撃を続けいていた。
近づきすぎず、けれど遠すぎないよう、距離を保ちながら…。
その様はまるで、今にも力尽きそうな獲物とその死を待ちかねて群がるハゲワシでも見ているような光景だった。
棒を振るい続け、極度の緊張状態にいて、更には怪我を負った元<ゲン>は興奮状態に息を荒くする。
次第に、その動きが鈍くなると、男達は勝機を確信した。
「―――襲いかかってこねぇなら、こっちから行ってやるよ!!」
男の一人もまた、元<ゲン>と同じように武器を調達してきた。
ただし、それは頑丈な鉄のパイプであり、もしもそれで襲いかかられたりでもしたら、元<ゲン>の持つ棒など一振りで折られてしまうだろう。
それは無論、元<ゲン>でも理解出来る事だ。
簡単に敗北という言葉が脳裏に流れ込んだ元<ゲン>は、迫りくる危機に顔を強張らせた。
「っ!!」
「おらよ!!」
冷たい鉄の武器が振り下ろされる。
―――駄目だ…
「…っ」
衝撃に目を瞑り、木の棒を構えたまま硬直する元<ゲン>。
逃げるという考えも出来ず、恐怖に強張った体も咄嗟の反応が出来ない。
空気が唸るほど素早く振り下ろされる。
だが、そのパイプが元の脳天に直撃する前に、急遽男の低いうめき声とけたたましい音が工場に響く。
「…?」
目を瞑っていた元が恐る恐る目を開けて、そしてその光景に目を見開く。
「…てんめぇ…」
片腕を片手で抑えて、片膝をつき、元に襲いかかった男は悔しそうに睨みつける。
その視線の先にいたのは、忍だった。
構えた状態で、忍もまた男を冷たい眼で見下している。
男が持っていたパイプはあらぬ方へ転がっていて、元<ゲン>にはその訳が分からなかった。
―――分からなかったが、忍が助けてくれたという事は理解していた。
「あんた…」
枯れた喉を震わせて、独り言のように元は呟く。
それに反応したのか―――忍があからさまに怒気を含んだ眼で、元を睥睨する。
ギラギラと光る赤い目。それは元の体をまたもや硬直させた。
「そこどきぃ…!!邪魔や!!」
「!!」
―――邪魔
そうはっきりと言われて、元<ゲン>は分かるぐらい狼狽していた。
「けど…っ」
その間にも、忍は手足を休めることなく、襲い掛かってくる男達を相手に戦っていた。
体を捻り、足を振り上げ、手を器用に使って打撃し、男を沈める。
元に襲いかかる全ての攻撃は、忍が盾になって受け止めてくれていた。
―――だが、それが分かっていながら、元<ゲン>は未だにここに留まっていた
それはもう、どうしていいのか分からなかったのだ。
何も考えず、戻って来たまでは良かった。
しかし、いざこの現状を見て、どうするのが最良なのか、それが判断できず、悩んでいた。
「あんた一人じゃ―――……」
守られてしまうほど、自分が足手まといだと言う事は元も自覚していた。
しかし、未だに忍がやられてしまうのではないかと、それを気にしてしまい、このまま見捨てる事が、どうしても出来なかったのだ。
―――例え口では、なんと言っていようとも。
そしてこんな状況であるにもかかわらず、元は忍の鮮やかな赤い双眼に酷く驚き、それを気にして、まじまじと無意識の内に見てしまう。
その戸惑いの視線を知って、忍は大いに苛立っていた。
自分の事で精いっぱいなのに、他人に心を砕く余裕があるわけない。
ひび割れた眼鏡は使い物にならない事。
(だから取った)
乾ききったコンタクトが痛くて取り外した事。
(だから捨てた)
もともと、目は赤い事。
(だからなんだ)
自分は本当に大丈夫である事。
(だから逃げろと言ったのに!!)
―――こんな状況で、そんな事をいちいち説明してられるわけがない。
「空<ソラ>はんはどうした!?律<リツ>は?健太は?」
忍は元<ゲン>に視線を向けないままだったが、彼の無計画さを非難して、顔を険しくさせていた。
同時に男が振り上げた棒を、上手いこと手で払いのける事で忍は避ける。
「うちはおまえにみんなを頼んだはずや!!よくも…よくも自分の役目放棄しおって…!!」
忍の激しい怒りは唸るような声ににじみ出ていた。
元<ゲン>ははっと初めてその事実に気付いたような顔をした。
「余所見する暇があるなんざ余裕じゃねぇか!!」
手を緩めてしまった忍の横から男が再び殴りかかった。
「今大事な話をしとる最中や!!」
すかさず忍が『水月』と呼ばれる腹の溝を打撃した。
そこを打撃されれば、大体が汚物を口からぶちまけるか、そのまま失神するかである。
忍の場合は力は無いが、瞬発力がある。
その一瞬の馬力に、男は口から何かを出す暇も与えられないまま、地面に崩れ落とされた。
「元<ゲン>!!今ここで出来ん事をやろうとするより、おまえは自分の出来る事をしっかりやりぃ!!」
「…」
「はよ走れ!!」
元<ゲン>は鬼神のような忍の形相や、殴り合い蹴り合いを見て恐れをなしたのか。
それとも、忍の邪魔にしかならないとようやく悟ったのか。
―――もしかすれば、忍の言うとおりだと思ったのだろうか―――元<ゲン>はよろめきながらも走り出した。
幸運だったのが、誰も元<ゲン>を捕まえようとしない事だった。
みんな怒涛の牛のように暴れる忍を鎮めようと、目を血走りさせて注目している。
元<ゲン>がついに出口から出たのを目の端にいれた途端、忍は手を止めた。
「いい加減にしやがれ!!」
立て続けに襲ってきた相手は刃物を振りかざし、忍がどうにか避けるが制服の一部を裂かれた。
我武者羅にナイフを振り回す相手に、忍は後ろへ下がる事で回避する。
「っ」
しかし次の攻撃はよけきれず、二の腕を熱いほどの痛みが走り、忍は顔を顰める。
「へへっ。いつまで避けられるかな…」
ナイフの刃を忍に見せつけて、男は残虐に笑った。
再びひゅっと音がするほど素早く刃が振り下ろされて、忍は咄嗟に地面に転ぶ事で回避した。
その時、手元に当たった『それ』を見て、忍の表情が変わった。
「…」
「―――さぁて、これ以上暴れないようにアキレス腱でも切っちゃおうかなぁ?」
「それよりも早くコイツをぶちのめしてやろうぜ!!」
殴られたり蹴られたりと、散々な目に合っていた男達は既に怒り心頭だった。
顔を真っ赤にさせて、余裕の色さえない。
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