忍少年と隠忍自重 050
時間が止まったように、誰も動かない中、忍がゆっくりと顔を上げる。
片手に握ったそれは男から奪った戦利品だ。
先ほどまでスタンガンを持っていた男は忍に敗れ、少し先の地面に仰向けで倒れている。
動き出す気配は全くない。
「てんめぇ…」
男の一人が忍の首元を掴もうと手を伸ばした刹那―――忍が突進するように男の懐に飛び込んだ。
同時に『バチッ』と一瞬弾けたような音が爆せる。
「ぎゃっ!」
これまでにない激痛を脇腹を伝って感じ、男は悲鳴を上げるが、忍はスタンガンの矛を脇腹に刺したままだ。
「がぁ…ぁ…!!」
びくびくと男の体が痙攣する。
男は無意識に、忍を剥がそうと震える手を伸ばすが、触れる前に手は力尽きたように落ちて、男の体も後ろへ崩れた。
最後に大きく痙攣したかと思うと、次の瞬間には嘘のように静かになった。
しんと静まり返る前に、既に忍は動いていた。
まるで相手に対応する時間さえ与えないと言うように、無駄のない動きで片手の武器を存分に振るった。
一人倒せば、また一人倒し―――そして律<リツ>を殴ろうとした男に向かって忍が鋭く突っ込んで行く。
むろんやられっぱなしの男たちではない。
応戦しようと構えるが、どんなに注意しても無駄だった。
目で追い、耳で聞き、隙を無くそうと注意していても、その素早さの前に体が付いていかない。
忍はまるで自身の体の一部の様に、スタンガンを巧みに操る。
スタンガンの力で男を怯ませては、悲鳴と共に地面に沈める。
「このっ!!」
「調子に乗るなよ!!」
憤りのまま二人がかりで忍に襲いかかれば、ひゅっと風が唸るほどの速さで、忍が片足を軸に、真横から足を振り上げて蹴りつける。
その際、片足にだけ重心がかかる、不安定な体勢になるはずなのに、驚くほど忍の体は絶妙なバランスを保っていた。
男の脇腹に、忍の蹴りが直撃して男がよろめく。
「ぐっ…!!」
その間に忍は空いた片手でスタンガンの光を弾かせて、周りに「近づくな」と無言の警告を発した。
「…!!」
目の前で見せるだけでも、スタンガンというのは人を怯ませるのには十分な武器だ。
その間に忍の視線が動いた。
「走れ!!」
怒号のような、忍の叫び。
向けられたのは、床に尻もちをついた元<ゲン>や、その前に助けられていた空<ソラ>や健太、律<リツ>だ。
茫然と地べたに座り込んだまま、ポカンと口を開いている。
その間にも―――忍は男から奪ったスタンガンの光を散らし、一人、また一人と確実に足技や微力の放電で沈めていく。
裁き方はやり放題と言った風で、すんなりと倒しているようだが、忍は相当息を切らせていて、決して余裕という訳ではない。
「っ!!」
証拠に反撃してくる男の拳に、忍の頬が掠める。
僅かに忍は顔を歪ませながら、それでも猪のような猛進で突っ込むと、男の首にスタンガンの威力を最大限でお見舞いした。
「ぐあっ!!」
肉が焦げたような―――不快な臭いが漂う。
一人が駄目になると、直ぐにそこには変わりの若者が入った。
「下手に近づくなよ!!アイツの餌食にされちまうぞ!!」
「おい!!なにモタモタしてんだ!!早く捕まえちまえよ!!」
まるで猛獣でも逃がした騒ぎようだった。
男達は余裕をなくしたような顔で、忍を捕えようと囲いこんでくる。
だが、容易に近づけば烈火のような忍から火傷を負わせられてしまい、簡単には捕まえらせてくれない。
「くっそ…っ。何が悲しくてこんなガキに―――」
男達は嫌でも忍を止める事に集中してしまう。
それは空<ソラ>達も同じ事で、瞬き一つ出来ず、身体も痺れたように動かない。
本来―――自分達がしなければいけない行動を忘れてしまうほど、放心する。
その間に、忍は確実に体力を削られていた。
息を切らせ、髪の先から汗が滴る。
―――このまま続けていれば、恐らく男達の数に負けて、忍は押しつぶされてしまうだろう。
それは忍にも分かっていたようで、悔しがるように顔を顰めさせる。
ふと、忍と元<ゲン>の目が合う。
―――というよりも、忍があからさまに元<ゲン>を睨んだ。
「何やっとる!!邪魔者ははよう退散しぃ!!!!!!!!」
ぴりぴりと、空気が振動するほどの怒号だった。
元<ゲン>はもちろんの事―――律<リツ>や空<ソラ>でさえ肩を竦めて、本能的に走り出してしまうほどだ。
律<リツ>が慌てて健太に手を貸し、空<ソラ>は投げ出された忍のコートだけはしっかりと胸に抱え、足元をふら付かせながら出口に向かってのろのろと走り出す。
「そうはいくかよ!!」
せせ笑う男が空<ソラ>に狙いを定めて、捕えようと狙う。
だが―――それを簡単に許す忍でもない。
忍は電池が切れたスタンガンを男に向かって投げつけた。
「って」
それをもろ後頭部に受けた男が、思わず忍の方へ振り返った。
だが、その時にはもう―――忍は走り出していて、男の直ぐ目の前にいた。
それでもその男は慌てなかった。
それどころか、チャンスだと太刀打ちをする姿勢だ。
スタンガンを握っていない忍など―――たやすいこと。
そう思った者が一体この時どれほどいただろうか―――
怒涛のように突っ込んでくる忍に、男が高速の拳を繰り出せば、その内の一発が忍の首筋を掠めいた。
その反動で僅かに忍の動きが怯んだが、止まったわけではない。
長い前髪に隠された双眼が、男を真っ直ぐと射抜く。
黒々と塗りつぶされた瞳が、きゅっと線のように細まった。
「この…っ」
男がまた忍に殴りかかろうとした瞬間、忍が指先を纏め、それを素早く首筋を打った。
「っう…!!」
たったそれだけなのに、男が茫然と後ろへ下がったかと思うと、落ちる様に真後ろへ倒れる。
男達には、忍が何をしたのか理解できなかった。
不思議な事に、これは一度だけの現象ではなかった。
同じようにして、忍が男の脇腹、額、こめかみ―――そこらを叩くと、矢を受けた様に男は無造作に倒れる。
一人。
二人。
三人。
スタンガンをまだ隠し持っていて、それを使っているのではないかと思うほどの威力である。
分からない。
―――忍の『力』の正体が、男達には分からなかった。
ただ分かるのは、忍は【急所】というものが分かっているようで、そこを狙ってきているようだった。
「てんめぇ!」
また別の男が殴りかかる。
だが、忍は容易に宙に跳躍して、片足を振りまわす。
身長は平均的だが、比率的に忍の足は長く、容易に忍のつま先は男のこめかみを殴りつけた。
ガードを怠った男は勢いを押し殺す事が出来ず、満足な悲鳴も上げられないまま地面に沈む。
まるで忍の全身が、武器のようだ。
―――下手に近づけない
男達の中で、誰かが歯ぎしりをする。
それは悔しいからではない。―――敵わないのではないかと、それを無意識に認めた己が許せないだけだ。
だが、忍も万能ではない。
息を切らせて、険しい顔からは疲労困憊だという事が直ぐに分かる。
長期戦が祟ってか、ついに忍の背中に男が振り下ろした棒が当たった。
「っ!!」
忍が短く悲鳴を上げる。
それに怯んだ隙に、頬を思いっきり殴られる。
忍は歯を食いしばって、衝動を耐えるが、なにぶん線の様に細い忍の体だ。
人形のように、頼りなくよろめく。
形勢を整えさせてなるものか―――男達が忍に恨み分の牙を剥き、反撃しようとした時だった。
「っ!!」
忍の悲鳴じゃない太いうめき声。
忍が驚いて見れば、それは逃げたはずの元<ゲン>が、木の棒を持ってそこに立っていた。
健太に負けないぐらい顔をたらこのように膨れさせながら、体をびくびく震わせて―――だが、手に握ったその棒で、忍の後頭部を狙っていた男を殴り倒したのだ。
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