忍少年と隠忍自重 028


「どいつもこいつも薄気味が悪ぃ……」

長屋門から足早に出る『キング』はそう言って、忌々しそうに赤いネクタイに指を引っ掛ける。
髪先から足先まで整ったダークスーツ。きっちりと締め付けるように着こなしていたから、苦しくてしょうがないのだ。
ワックスもつけず、流しただけの黄金色の髪先は、風に合わせて流れる。
難事とも言うべき謁見が終わって、『キング』は珍しくげっそりとした様子だった。

―――またのお越しをお待ちしております

最後まで丁寧な見送りだった。
キングはいつの間にか浮かんでいた冷や汗を隠す様に、前髪をかき上げた。

「社交辞令であってほしいぜ……」

目の前には、待たせてある黒の高級車が主の帰りを待っていた。
運転席から出た扉付近に立っていた、スーツを纏った男が綺麗にお辞儀する。

「―――翔様。お疲れ様でした」
「さっさとここから出てくぞ。胸糞悪ぃ」

「……承知しました」

運転手によって開けられた後部座席に乗り、これからどうしようかと『キング』は考える。
ソファのように柔らかい座席に背中を預けた途端、どっと疲れが出てくる。
どうやらあの屋敷で実兄やその懐刀と対話した事は、思った以上に神経をすり減らしたようだ。
どこかで休みたいと思った時、ふと雑草まみれの庭園が見たいと思った。
それに、あっちに着く頃には彼も家にいる事だろう。

―――『あいつ』の所でも行くか……

忍の戸惑ったような顔。
それを思い出し、『キング』はうっすらと一人笑む。

運転手がハンドルに手をかけたところで、『キング』は行き先を告げた。


「―――お茶葉と和菓子だ。手土産を調達する」


◇ ◇ ◇


昼を過ぎ、夕方に向かって時間は流れていく。
空はあいにくの曇り―――それも、黒々とした塊がゆっくりとこちらに向かっているの見て、一雨来そだと思った。
校舎から出て、忍はいつもと同じように学校を囲うフェンスに沿って道を歩き出す。
しかし、昨日と全く同じ場所で、忍は立ち止る事になった。

「……」

ため息をつかなかったのは、まさに奇跡である。

(海藤、気ぃつけてても、棒に当たる時は当たるようや)

そこにいたのは、昨日と全く同じ面子―――三人の後輩達だった。
金髪が一人、茶髪が一人、黒髪が一人。
相変わらず見るからに悪印象を与えそうなほど、服装は乱れている。

しかし、昨日と状況は一つ違う。

後輩たちの、執念にも似た視線―――昨日の人を見くびるような眼とは全く類の異なる真剣な眼差し。
まるで人が違う三人は、忍の呼吸さえ逃すまいとじっとこちらを見ている。

(なんや……?)

妙にその空気がぴりぴりとしているのは果たして気のせいなのか―――
忍はてっきり昨日の報復にでもやってきたと思ったが、どうもそれだけではないように思える。

忍は無言のまま、後ろへ一歩下がった。

それだけで、三人に緊張が走り、余裕を無くした顔が怒りに染まる。
どんな事があっても、忍を逃すまいとする意志が、伺えた。

例え忍を殴り、気絶させてでも、なんとしてでも……―――そんな執着。

しかし連中の目的が、忍にはまったく分からなかったが。

いきなり一人が襲いかかって来た。

驚いた忍はやけくそを起こしたように走って来た金髪の男を、難なく地面に叩きつけた。
それは一体何が起こったのか―――それを予想させぬような手さばきで。

「……っ!!」

ただでさえ硬いコンクリートの地面だ。
叩き落とすようにして投げつけたため、金髪の少年は痛みに倒れこんだままである。
忍にしては荒々しい倒し方だった。

はっと息を飲むのは、残りの二人。
忍など、難なく捕まえられると思っていただけに、困惑していた。
なんせ昨日は自分達に背を向けて逃げた忍である。混乱するには十分だ。

弱いと思ったら強かったのか。
それともたまたまなのか。

二人は顔を見合わせた。
鋭く殺気立ち始めた忍の恐ろしいオーラを感じ取ったのかもしれない。

忍の方も、彼らの覚悟を感じ取っていた。

一体何が彼らをこんなにまで突き動かすかは定かではないが、油断すれば例え相手が素人とはいえ、やられると思っている。
だからこそ、こうやって本気で忍は構えの姿勢を取っていた。

察しの良い者たち、もしくはそれほど闘いに執着しない者ならばここは一旦引いてくれる所だ。
しかし、二人はそうしなかった。

―――わぁあああああ!!

構えもなっていない拳を振り上げて、左右両方から忍に襲いかかる。
忍は背負っていたリュックを右に向かって投げつけた。

「うわっ」

突然重たいリュックが襲ってきて、茶髪の少年はそれに衝突して怯んだ。

「元<ゲン>!!」

黒髪の少年が、茶髪の少年の名を叫ぶ。
その隙に、忍はもう片方の―――黒髪の少年に向かって走り出す。
まさか向こうから襲ってくるとは思っていなかった黒髪の少年はぎょっとしたように目を見開いた。

「なぁあ!?」

怯んだせいもあり、握った拳に力がなくなってスピードが遅くなっている。
忍はそれを好機と睨んで、咄嗟にその手首を掴み、そのまま背負い投げモドキをして投げ飛ばした。

「あぐっ」

もろに地面に叩きつけられ、黒髪の少年は悲鳴を上げた。
その目じりには痛みによる涙さえ浮かんでいる。
忍は戦闘不能になった事も確かめないまま、もう一人―――元と呼ばれた茶髪の少年に襲いかかる。

「……っ!!」

リュックと体当たりをして、すっかり勢いを無くした元に、足を引っ掛けて転ばせて、それでも挑もうとするのを問答無用で叩きのめした。


コンクリート上の地面には、三人の少年達が呻いて転がっていた。
もしもこれを第三者が見たりでもしたら、一体何があったのかと目を見張るばかり。

なんせ、文系の優等生に見える少年が、不良に見える三人もの少年達を冷たく見下ろしているのだ。
やらなければ、やられるような気迫を彼らから感じて、忍も加減が出来なかった。
それは人の強さの問題ではない。

後ろ髪を捕まれるような想いを抱いたまま、忍は本能に従うように踵を返した、その時だ。
足に何かががっしりとからみつく。

「待ってくれ!!お願いだ!!」

それは今にも泣きそうな声で、である。
まるで張りつめていたものがぷっつりと切れたように、彼らの雰因気が弱弱しくなる。
忍はそれに、思わず振り返った。
地面を這いつくばりながらも、弱った体を一生懸命立たせようとしている後輩達。
その眼だけが、当初と同じくして強く光っていた。

「お願いだ、何も聞かずに、俺達と一緒に来てくれ」
「頼むよ。本当に、昨日の事は詫びる。―――詫びます」
「お願いします。お願いします、先輩……!!」

――― 一緒に、来てほしい

しかし、どう考えても一緒に行っても良い事なんてないように思える。
得をするどころか、損さえしそうだ。
ふと近くに停まっている黒いワゴン車を見て、忍は眼を細めた。

危険な匂いが、した。

忍はどうするが最良かを考えた。
ここで彼らを見捨てて、後味が悪くなるのも嫌だし、だからと言って付いていってろくでもない事件に巻き込まれるのもごめんだ。
龍郎から警告も受けたばかりであるし、何よりもう二度と事件には巻き込まれまいと、心で誓っていた決意を破る事になる。

正直、自分の事だけでも精一杯なのだ。

忍が無言を続けることに、苛立ったようだ。
金髪の少年が、強く―――強く忍の足首を尚も掴む。

そこには決して逃がすものか――という意思が見受けられた。

「なんでだよ、なんで、こうやって頼んでるのに……!!」
「……」
「お前のせいなんだぞ……っ!!お前のせいで、『空』<ソラ>さんは―――」

その一言に顔色を変えたのは忍だ。

―――空<ソラ>……??

瞬時にして、忍の中で何かが駆け巡った。

もう4日間も、無断で休んでいる事。
しかも親御さんさえ、彼女を探している。

そして、今は誰もが忍を探しているという事。
空は、表の忍と裏の忍を知っているという事。

それはまさか―――坂下 空<サカシタ ソラ>の事ではあるまいな?

そんな小さなパズルのピースがはまり合うなんて事は―――

嫌な予感に拍車をかけるように―――金髪の少年は怒りの声で尚も叫んだ。
それに涙声さえ、滲んでいた。

「お前のせいでな、空さんが一体どんな目にあってんのか―――あんたにはそれが分からないのかよ!!お前のせいで、お前のせいで空さんはなぁ!!」

「―――その話、詳しく話してもらえないかな……」

忍は足首を掴んでくる少年の手を、逆に掴んだ。
視線を合わせるように、忍が屈みこんで少年の顔を覗き込む。
目じりに涙をためていた、少年の顔は驚きに染まっている。
しっかりと、忍はその目を見て、もう一度言った。

「空さんが、どうしたの……?」

なるべく動揺の声を抑えて―――しかし器から水が漏れてしまうように、それも叶わない。

くしゃりと、金髪の少年は顔を歪ませた。
泣きそうになりながらも、必死で忍のコートを両手でつかむ。
その手は、震えていた。

「―――あんたを連れてくれば、空さんは解放されるんだ……!」

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