忍少年と隠忍自重 029


『あんたを連れていかないと、空さんがもっとひどい目に合う』
『あんたを連れていかないと、空さんがもっと苦しい目に合う』
『あんたを連れていかないと―――』

空さんが、空さんが―――……

実際我が目で見た方が早いのかもしれないと、忍は思った。

それから予想通り、忍は怪しいと目を光らせていた黒いワゴン車に詰められた。

むろん三人の後輩達と共に―――

「お前ら、良くやった」
「「「…」」」

後輩たちは俯いた。
ほとんど生気が感じられず、まるで人の抜け殻のように放心している。

「どれどれ」

ハンドルを握っていた男は、後部座席に座る忍を見て、顔をしかめた。
上から下までじっくり眺めてから、軽く小馬鹿にするように鼻を鳴らす。

「お前が、『シラトリ シノブ』?」
「―――疑うんでしたら、学生証明書でも提示しましょうか?」

空が関与していると知り―――忍の気は立っていた。
挑むように忍が睨みつけると、その気迫に押されたのか、男は「ふぅん。悪趣味だな」などと呟いて前を向いた。

「まぁ、どうでもいいや。とにかく『シラトリ シノブ』さえ連れてくれば、それでいいんだ」


◇ ◇ ◇


薄暗い工場まで、ほとんど時間はかからなかった。
黙って忍を囲うように歩く後輩たちは、忍によって負わされた怪我で体をよろめかせる。
しかし、気合と根性だけで、必死になって忍を逃がすまいと目を光らせ続けていた。

―――もはや執念の賜物としかいいようがない。

先頭を陣取る男を、後輩たちは『藤堂』と呼んでいた。
その藤堂は、上機嫌で、寂れた工場地帯を我がもののように歩いている。
軽く鼻歌さえ歌う陽気ささえ見せた。

ちらりと、忍は視線だけで辺りを見渡す。

視界いっぱいに広がっている個々の工場―――しかし閉鎖された閑静な工場を見る限りでは、人気など期待できない。
しかもどんどん奥へ奥へ入っていくから、どんなに騒ぎ立てても、音は漏れる事が無いのだろう。


―――まさに、隠れ蓑に使うには打って付けの場所である。


「よっし、ついたぞ」

そこもやはり寂れた工場だった。
かつて白かったであろうペンキは酸化によって剥がれ、その古さを物語っているようだ。
重そうな扉を開くと、そこは暗闇が広がっていた。


「―――丁重に扱えよ、お前達。この『シラトリ シノブ』は貴重な金づるなんだからな」

後輩の一人が背中を押して、忍はそれに従った。
扉をくぐり抜けて、中をよく見ようと目を細める。
忍が入った途端、勢いよく扉は閉まった。
忍は一度閉じられた扉を一瞥してから、再び前を向く。

「そんじゃ、灯りつけようか」

どこからか、藤堂と呼ばれた男の声が聞こえた。
同時に、何かのスイッチが入り、今まで暗かった視界が明るくなる。

「『シラトリ シノブ』のご到着〜」

周りには、数えきれない―――数える事さえ億劫なほどの男達が端に寄って、忍を見ていた。
それぞれが残された機械やら大きな部品やらに座り、ある者は腕を組んで壁に寄りかかっている。
にやりと嫌らしい笑みを零して、まるで歓迎でもするように真ん中の通りを開けていた。

「…っ」

忍は、言葉を失った。
もはや、言葉なんて、出てこない。
もしも、この絡まった気持ちを言葉にするなら、たった一つだけ。

―――どうして……?

真ん中のはるか先―――反対側の壁の方に、細い体を震わせる少女が絶句したようにこちらを凝視していた。
冷たいであろう、床に裸体の状態で座り込み、ようやく与えられた毛布に体を包み込んでいる。
柱から何かロープに似た紐が伸びて、それは彼女の手首に繋がっていた。

ここからでも分かるほど、彼女の頬はこけていた。
目にも力はなく、4日前の華やかな印象を持った彼女の面影はどこにもない。
僅かに覗く白い肩―――それを見て、彼女の身に何が起こったのか、忍は理解した。

―――理解したのだ

そして少女が、小さく呟く。

―――ごめんなさい……と

彼女が何に対して謝っているのか。
誰に対して謝っているのか。

そんな状態になりながらも、何故謝っているのか―――

忍が誰にも分からないぐらい―――しかしギリッと音が出るほど歯を食いしばり、拳を握る。
フレームの奥の、偽りの黒に塗りつぶされた双眼に、触れるのも恐ろしいほどの、爛々とした『赤』が滲み出た。






後ろにいた後輩は周りに対して訴えた。

「約束通り、『シラトリ シノブ』を連れて来たんだ!!空先輩を解放してください!!」
「そうです!!俺達、ちゃんと仕事こなしたでしょう!?」
「金はいりません!!だから、とにかく空先輩と俺達を解放してください!!」

懸命に後輩たちは震える声で必死に訴えた。
しかし、一瞬だけその場に静けさが訪れたかと思うと、爆発したように笑い声に包まれる。

後輩達は絶句した。

揃いも揃って、この場で待機していた男達が大笑いを始めたのだから。
藤堂でさえ、堪え切れなかったように笑っていた。

何故笑われているのか、それがまったく分からない。
分からないが、腹の底でじくじくと何かが煮えくり始める。

「な、何がおかしいんだよ!」

金髪の少年が、叫んだ。
獣のような咆哮で、工場全体が震えあがる。
怒りを抑えようとして、それが出来なかったような怒号だ。
それを合図に、周りは幾分か静かになった。
しかし、未だ笑い続ける男達もいる。

男達を代表して、藤堂が噴き出すのを我慢しながら、答えた。

「お前ら最高……!!まさか、ここまで純情だったとはねぇ。なんかお前達の空回りがもう面白くって面白くって……クハハッ!!」
「か、空回りって……」
「―――だぁれが連れてくれば解放するって言ったよ?俺達、だれもそんな約束してねぇよ。―――なぁ?」

最後は周りの仲間達に投げかけて―――藤堂は再び笑いだした。
一瞬、金髪の少年―――健太は何を言われたのか分からなかった。

だから、その顔にはすっぽり感情が抜けてしまっていた。
それは健太だけではない。
他の二名も、同じように放心している。

ただ、信じられない―――信じたくないと、瞳を大きく揺らしていた。

「なんで……なんでだよ!!」

健太は堪え切れず、泣き叫ぶようにして藤堂に掴みかかった。
しかし所詮は子供と大人の差―――特に健太は先ほど忍に痛めつけられて、自由があまり効かない。
その状態で藤堂の胸倉をつかみ、何度も揺さぶる。

「―――おい。怪我したくなかったら大人しくしてろよ」

冷たい冷気のような声で。
藤堂は逆に胸倉をつかむ健太の手首を掴んで、後ろへ投げ捨てた。

「「健太っ!!」」

他の二人が、投げ出されたまま動かない健太の元へ駆け寄る。
きっと藤堂を睨みつけたまま、何もできずに唇を噛みしめた。

「ちく……しょっ!!」

投げ出された衝撃で、もろに地面に顔をぶつけてしまった健太は、鼻についた血を無造作に拭う。
尚も挑もうとする意志を見せる健太に、二人が止めた。

「健太、止めとけって……!!」
「そうだ……!!お前、怪我してんじゃねぇかよ……!!」

「うるせぇ!!」

健太は、一喝してから無理をして立ちあがった。
見ている方がハラハラしてしまうような、生まれたばかりの小鹿が立ち上がるようにふら付きながら、自分の足で立つ。

藤堂は相変わらず冷たい眼で三人を見ていた。
面倒だとでも言うように、嫌そうに顔をしかめている。
ついには耳の穴に人差し指を突っ込んで、「お熱い友情で、感動的だねぇ」と馬鹿にしたように最後は呟いた。

それに、誰よりもぶち切れたのは健太だった。
誰よりも短気な健太は、再び拳を作って藤堂に殴りかかる。

「うぉおおお!!」

その殺気だった眼には、既に理性の欠片も見当たらない。

しかし、現実は残酷である。
例え気持ちで負けていなくても、相手が悪い。
健太が襲いかかってくると、藤堂はついに手を出した。

「おらよ」
「ぐぁっ!!」

藤堂は指輪がじゃらじゃらとついた握り拳で、思いっきり健太を殴ったのだ。
紐が切れた人形のように、健太の体は吹っ飛ぶ。
健太の口から、血が落ちる。
二人が、悲鳴を上げた。

「弱い奴は礼儀云々弁えて、だまってりゃいいんだよ」

殴られた勢いで、地面に崩れた健太に、藤堂は無残にも片足を上げて、その肩を蹴りつけた。

「ぐあぁああ!!」

不運にも、そこは忍に襲いかかった時に故障していた箇所だった。
それだけに、痛みは全身に駆け巡る。
恐怖からなのか、痛みからなのか、健太は体を震わせて、自分を守るように縮こまった。
庇うように肩を掴んだ手に向かって、再び藤堂が蹴りあげた。

「逆らえばどうなるか、お前らも良く見ときな」

その顔には、犯罪者の笑みが浮かんでいた。
健太はまた悲鳴を上げる。
それを周りの男達は楽しいゲームでも見るように鑑賞していた。

「もう、もうやめてくれよ!!」

何度も蹴りつける藤堂に、ついに二人が庇いにかかった。

両手を広げて壁になろうとする少年が一人。
もう一人は、健太に覆いかぶさるようにして庇っていた。
それを見て、藤堂は更に笑みを深めた。
弱い者たちが群がって、自分に恐怖を抱く姿を見るのは、藤堂にとってこれ以上にない興奮だった。
自分は強いと、優越感に浸れるからである。

「そこどけよ」

藤堂はそう警告をしながらも、両手を広げる少年に向かって殴ろうとした、その時だった。
藤堂は誰かに肩を何度か叩かれ、鬱陶しそうに振り返る。

「なんだ―――」

なんだよ、と最後まで言う事は出来なかった。

突然の、藤堂の頬に何かが食い込んだ。

殴られたのだ。

どうにか両足を踏ん張って耐えようとしたが、それよりも早く脇腹に何かが食い込む。
込み上げる痛み。
胃の中身が上に向かって逆流する。

「かはっ」

それこそ目が飛び出そうなほど藤堂は眼を見開いた。
未だ自分の身になのが起こっているかを察することが出来ない。
そのまま地面に叩きつけられた藤堂は、投げ出された手の先に誰かが立っているのを辛うじて見る。

そのまま視線を上げると、連れてきた『シラトリ シノブ』がそこにいた。


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