忍少年と隠忍自重 016


薄い紫色の着物と、白銀の羽織を着込んで、忍は一階へ降りた。
すっかり黒電話の件を忘れていた忍はこれからお茶でも飲もうかと居間に来たところで、思わず足を止める。

「…」

背後に、熱いほどの気配を感じた。
おぞましいとも言える、全身の産毛が逆立つような警告。
耳元で、低く唸るような声がそっと囁いた。

「―――よう。遅かったじゃないか」
「あんたどこの『メリーちゃん』ですか。心臓に悪い…」

まさか自分以外の人がいるとは思わなかった忍は、少し煩くなった胸元に片手を当てて、ほっと息をつく。
相手が「メリーちゃん?」などと呟いた事はこの際無視しておこう。
忍は厳かに尋ねた。

「―――どうやって入ったんです」

男の腕が背後から伸び、忍の眼に銀色の鍵をぶら下げる。
身に覚えのない合鍵の存在を見つめ、忍は眉間に皺を寄せた。

「…それは?」
「つい最近作ったもんだ」

「いつの間に…」

不法侵入とかそんな法律で戒めても効果が無さそうだ。

「―――何しに来たんです」

忍は距離を取って、改めて『キング』を見上げた。
本日は学校帰りでそのまま直行してきたらしく、月桂学園の制服を自分流にアレンジして着こなしている。
忍の不機嫌な様子さえ気付かないふりをして、『キング』は両腕を組んで居間の方を顎で示した。

「お前に返してやる」

居間に見覚えのあるものを見つけて、それに眼を止める。

「…」

それは忍が『あの晩』着ていた着物や袴だった。
すべて綺麗に畳まれて、ちゃぶ台に置かれている。
それを彼がわざわざ持ってきたのか。

忍の脳裏に嫌でもあの濃厚な時間が浮かんでしまう。
『鬼』に押し倒され、そして後ろの男に押し倒され、窮地に立たされたあの忌々しき記憶。

―――忍に嫌がらせをするため、わざと持ってきたのかもしれない。

『キング』は勝手に居間の卓まで歩くと、座布団の上にどかりと座り込んだ。
完全に帰る意思を見せない様子に、忍は対抗心を煮やしたまま挑むようにその反対側へと正座する。
『キング』は突然と本題を切りだしてきた。

「―――お前、俺の愛人らしいじゃねぇか」
「…らしいですね」

「何か言いたい事は?」
「俺になんと言ってほしいんです?」

「…」
「噂がどうあれ、真実は違います。それで十分ですよ」

「どうせお前のことだ。噂は噂だと気にもとめちゃいねぇんだろうよ」
「ええ、そうですね」

「―――なんなら、俺の隣を歩いてみるか?忍」

嫌味さえ含んだ『キング』の笑み―――それは傲慢でありながら、彼らしいものだ。

「好奇心旺盛な連中の目に晒されながら、俺の隣を歩いてみろ」
「…」

「お前にしてみれば、単なる噂でしかないんだろう?なんならいつも見たく、お前は堂々歩けるはずだ」
「―――帰って下さい」

「今日の夜あたりに街の中心にでも出てみるか?さぞかしお前は嫉妬と羨望の眼差しを受けるんだろうな」
「帰って下さい」

「あの愛人はどんな顔で、声で、男に組み敷かれるんだろうか。一体どこの誰で、名前は、年は―――」
「帰れ!!」

忍の怒号が轟いた。

「―――もう我慢ならん。あんたに関わって、ろくな事が起こらへんわ。うちにあんた何したんか―――そこんとこよう思いだしてもらわんと困りますわ。人に恥かかせて、馬鹿にしおって、それでも堂々うちの前に顔出せる、あんたの面の厚さには驚きましたわ」
「お前もよくもあれだけの醜態をさらして俺に堂々としてられるな」

怒りに忍が拳を振り上げて、『キング』の頬に強烈な一撃を食らわせる。
『キング』は反撃をしなかった。

その一撃を、受け入れたのだ。

素直に忍の怒りを受け止めた『キング』に、不信感が積り、それが忍の怒りを少し冷ましてしまう。

不気味だったのだ。

「いってぇな」

甘んじて自分の拳を受け入れ、そして口元に浮かんでいる『キング』の笑みが…。
だが、その眼が、真剣だったから。

殴った拳は、思ったより痛む。
忍は庇うように、空いた手で握り拳を覆う。

「分からないんですか?ならこの際はっきり言いましょう―――俺は、あなたと関わり合いたくない」
「…」

「あなたは良い意味でも悪い意味でも人に影響を与える。例外ではなく、それは俺もきっとそうなのでしょう。…ですがそれに巻き込まれるのは、もう嫌なんです。これ以上俺の生活に入り込まないでください」
「…」

「もう貸し借りは無いんですから、俺とあなたとの間には、もう何もないはずです」
「―――はん」

ふいに『キング』は冷笑を浮かべる。
金色の瞳が、何故か光っているように見えた。

「お前は、俺に一度たりとも恩を売った覚えはないはずだ」
「…は?」

忍が訝しげに顔をしかめた。

「―――だがな、俺も一度たりともお前に恩を売ったつもりはねぇ。…例え口でどうこう言ってようがな」
「…」

「俺たちは最初から損得の関係じゃなかったって事だ。これがどういう事か、お前は分かっていない」

忍は眼を丸くした。
忍には、未だまったく『キング』の言いたい事が分かっていない。
得体が知れないから忍は睨んでいるというのに、『キング』は笑んだ。

皮肉でも無く、嘲笑う訳ではなく、自嘲でもない。
それに心底納得したと、満足するように。

「俺達は望んで関わり合ったんだよ…」

この俺が望み、そして―――

「お前が、望んでな」

忍が、目を見開いた。


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