忍少年と隠忍自重 011


「おいおいおい。お前、大丈夫か?」

忍が目を丸くして、覗き込んでくる相手の顔を見る。
誰かにぶつかった事を、今思い出したのだ。
太陽を直視している訳ではないが、少し空の白さが眩しくて目を細める。
その眩しさを隠すように、黒い物体が忍の視界を覆った。

「あ」

自分を見つめる精悍な顔つき。
表情がころころと変わりそうな、焦げ茶の眼―――閉じ込められた黒い瞳が、小さくなる。

「お前…」

動揺したように、少し声が上擦っているようにも聞こえた。
時が止まったように、長いこと忍は男の黒曜石の瞳を見ていたような気がした。

忍がとりあえず言わなければいけない事はたった一言だ。

「…。すみません」
「…。そりゃぁお互い様だな」

忍の謝罪に我に帰ったのか、男が投げ出された忍の手首をやんわりと掴むと、大人が子供を持ち上げるような容易さで、難なく引っ張り上げる。
直立不動の忍を、体格の良いその男が頭の先から爪の先まで見下ろし、どこも怪我がないと分かったのか、人懐っこそうな顔がニカリと笑った。

「怪我、無ぇみたいだな」

白い歯が眩しい男である。

「はい、おかげ様で。ありがとうございます」

忍が改めてそのぶつかった男を見れば、何やら追いかけてきた後輩とどうも同じ匂いがする。
きっと今回の出来事がなければ、忍は関わり合いたくないとばかりに避けて通ってしまうようなタイプだ。
―――というのも、乱れ切った、どこか見覚えのある制服と、アッシュ色に染めた短い髪をワックスで逆立てて、耳と口元に小さなピアスをつけている。
力強い眼の中には黒曜石が埋まり、男らしい―――という言葉が似合いそうな、野性的なイメージが自然とつく。

…喧嘩が好きそうだと、直感的に忍は思った。
しかし悪い雰囲気は無い。
終始この男に気を取らていた忍は背後からの不幸をすっかり忘れていた。
思い出した時には、肩を掴まれて振り向かされていた。

「やっと捕まえたぜ、先輩」

しかしそんなピンチは思わぬところで切り抜けることが出来た。

「おい。お前の知り合いか?」

まるで忍を知っているかのように、先ほどぶつかった男が忍に声をかけてきた。
しかも庇うように、男は柔らかく二の腕を掴んで忍を傍まで引き寄せる。
その堂々たる風に、追いかけてきた後輩の方が怯み、何か不穏な空気を感じ取ってか三人共少し逃げ腰になった。

「げっ。鬼ヶ原高校の制服」
「や、やばいって…」

忍は思わず相手の男の顔を見上げた。
そうだ。思い出した。

(鬼ヶ原高校の制服や……)

鬼ヶ原高校と言えば、この地域で最も治安が悪いと評判の高校の名前だ。
歴代の悪達は競って鬼ヶ原高校に入学するのだと、そんな定番まで生まれるほど、不良校として有名である。
そんな学校の生徒が何故こんな所にいるのか―――とは疑問が浮かばなかった。

「…」
「ん?どうした?」

見つめ返す男が少し面白そうに口角を釣り上げている。
軽くウインクされて、忍はようやく男の心の内を理解して、それに合わせて首を左右に振った。

「…いいえ。知らない人たちです」
「そうか。―――…おい、お前達、コイツに何か用か?」
「い…いや、その…」

「コイツ借りていきたいんだが、いいか?」

どうなんだ、と問いかける男は特に威圧を掛けたり、脅しを言ったりしなかった。
まるで知り合いにでも話しかけるような飄々とした様子で、だが、本能の様に人間としての『格』が違うと無意識の内に理解してしまう。
自分が有利だと自負する様子も、なかった。
それでも後輩達は分が悪いと分かってか―――急に大人しくなって互いの顔を見合わせた。
さながら獲物を強者に取られたハイエナのようだ。
無言ながら話し合いが終了したのか、後輩達は蚊が鳴くような小さい声で「どうぞ」と答え、未練がましそうに忍を睨みながら去って行った。
覚えてろよ―――と、そんな遠吠えさえ聞こえてきそうな視線だった。

ようやく彼らが去った途端、忍は安堵というよりも疲れにため息を零す。

「ったく。喧嘩を売って負ける前に逃げ出すとは男として情けねぇ奴らだな」
「ありがとうございました。助かりました」

腕を組んで半目で後輩たちの背を見送る男に、忍はぺこりと頭を下げた。
それにしても、本当に助かった。
忍が顔をあげると、男はすでに目の前にいなかった。
気配を感じて振り返ってみると、片ポケットに手を突っ込み、屈んで何かを掴んでいる。
見覚えのある『それ』は、黒ぶちの眼鏡。

「あ」

思わず目元にあるはずものを探して手が動いたが、その手は探し物を探り当てることなく宙を切った。
今気がついたが、忍は眼鏡をかけていない。
男と衝突した時に外れてしまったようだ。

「眼鏡は高いって聞いたぜ。大事にしろよ」
「…どうも」

男は指先で摘まんでいたそれを、忍の手の中に返す。
身なりは忍の第一印象を悪くするものではあったが、常識ある良い人だ。
それを改めて掛け直し、忍は再び腰を折った。―――むろん腰痛に響かない程度に。

「本当にありがとうございました」

それではと、そのまま綺麗に別れようとしたところで、男が声をかけてきた。

「おい」
「はい?」

「助けた鶴も立派にハタオリ織って爺さんと婆さんに恩返ししたんだ。鶴に出来て人間に出来ないはずがない。―――そうは思わねぇ?」
「…」

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