忍少年と隠忍自重 006
◇ ◇ ◇
「シノさんっ!!こっちです!!」
顔をキラキラと輝かせて、両手を大きく左右に振る。
その姿はまるで大きな子供を見ているようだった。
校門の端に寄り、木々の影に隠れる程度の配慮はしてくれたようだが、その長身では木々の隙間から彼が見えて、隠れている意味がない。
その上大きな声をあげて合図をするものだから、忍は回れ右をしたくなったものだ。
それでも3日ぶりに見た大型犬は、そくさと忍の元まで駆け寄ってきた。
その無邪気な様に、怒りが消えて、呆れが濃くなる。
「シノさん、無事ですか!?さっきの男は誰です!?シノに襲いかかっているように見えましたが!!…いたっ」
「あほう!!くろすけ、誰が人の学校まで来る奴があるかっ」
頭には手が届かないので、その足を踏みつけて叱れば、当の本人は少しも反省した様子は見せなかった。
むしろ忍と一緒にいた海藤の存在に執着し、尚も忍に問い詰めようとする。
「シノさんっ!!本当にあの男は誰なんですか!!あのままシノさんを押し倒そうものなら、本気で乗り込んでやろうかと思いましたよ!!」
「止めてよ、怖いなあ。くろすけのそれは冗談に聞こえない」
「冗談!?―――とんでもありません。本気ですから」
「あのね…彼は親しいクラスメイトなんだって。害なんて無いから。じゃれ合ってただけだよ」
随分おかしな所を目撃されたものだ。
「ですが…」
それでも納得していないのか、どこか不満そうな顔である。
顔が整っているとは本当に有利なものだ。なんせ例え彼が眉間に深く皺を寄せようとも、それは見惚れるように様になる。
「もうその話は終わりだよ。それにしても…」
忍は彼の姿を一瞥した。
第2ボタンまで開けた白いカッターシャツの中に黒いTシャツを着込み、紺色のブレザーと灰色に近いズボン―――隣中学『百々島中学』の学生服を着崩しているが、何故だかそれが一種のファッションに見えてしまう。
長身であるし、モデル並みに足は長い。何かスポーツでもやっている事を思わせる、明朗とした美丈夫だ。
そして、首につけていた首輪のようなアクセサリーも、さすが学業ともなれば外すようで、男らしい喉仏が見えている。
忍はワックスで整えた、短い黒色の髪を睨む。
前に会った時、確か彼の髪の色は褐色がかった赤のように見えたのだが。
「くろすけ…君の髪は黒かったんだね」
「さすがに私生活まで髪は赤く出来ませんよ…」
宗助<クロガネ>は苦笑を溢した。
『pandra』の幹部生で『不屈のクロガネ』の異名で通っているのが、この『くろすけ』である。
くろすけ…というのは忍がつけたニックネームみたいなもので、『平沢 宗助』というのがクロガネの本名だ。
「シノさんも…その…」
宗助<クロガネ>の視線を辿って、忍は一度自分の格好を一瞥した。
それからメガネを押し上げて、宗助<クロガネ>に言った。
「みすぼらしい格好?」
「はい…―――いえ!!そんな事はありませんよ!!」
一度は頷きかえて、我に返ったように大きく左右に首を振り、宗助<クロガネ>は慌てて否定する。
「その…夜と、ずいぶん…違いますね」
「そりゃあ、違くなければ変装じゃないから。それにしてもよく俺だって分ったね。見破られない自信、あったんだけど」
忍は細く笑んでみせる。
その笑い方が本来見せる忍のそれと同じであったから、宗助<クロガネ>はほっと胸をなで下ろした。
「俺も『キング』から頂いた写真を見なければ分かりませんでした」
「写真?」
「ええ。クラスのアルバムも見せてもらいました。それはそれは、最初びっくりしましたよ。…でも実際に会ってみると案外分かるものですね」
「―――そのアルバム、どこで手に入れたの?っていう疑問は、とりあえず聞かないでおくよ…。あと写真もね」
忍は軽く肩を竦めた。
「ここは『珠子中学』だ。けど君はどう見ても『百々島中学』。…つまり隣町の学生じゃないの。何しに来たかは知らないけど、誰かに会うにしても、時間帯と場所っていうものがあるんじゃない?」
「いえ。特に用事とか、あったわけじゃないんです」
「じゃぁなんでまたこんなところに」
「シノさんの様子、ちょっと見に来ただけで…。だけど良かったです。3日間も下駄箱に靴が無くて。学校休んでたんですよね?」
「…まぁ」
そして、宗助<クロガネ>が自分の本名を知っていようとも、もう気にしない。(でなければ下駄箱で忍の状況を把握するなど不可能だ)
どうせばらしたのだってあの『王様』なのだろう。
王様―――という言葉と、その勝ち誇った笑みを思い浮かべた途端、忍の中に暗雲が渦巻いた。
急に俯いた忍の、陰りかかった表情を見て、宗助<クロガネ>が顔を曇らせる。
「どこか具合が悪かったんですか…?」
「いや。そうじゃない。―――ああ、そうだ。送られてきた湿布、使わせてもらってるよ」
宗助<クロガネ>の顔が強張った。
何故宗助<クロガネ>が気まずそうにしたかを悟り、忍は悪戯を思いついた子供のような笑みを零す。
「―――怒ってないよ。別に王様に告げ口をしたぐらい」
宗助<クロガネ>も、必要だと思って言ったのだろうし、悪気など断じてないという確信が、あの晩で身をもって立証されている。
忍の、毒気のない穏やかな口元を見て、忍が本当に怒っていないと分かったようだ。
体を硬直させていた宗助<クロガネ>の石化は解かれた。
「良かった…。あの晩は少し冷えていたので、風邪でも引いたのかと。腰の具合はどうですか?」
「酷いもんだよ。それで動けるようになるまで3日さ」
「すみません。やっぱり俺、押しかけ女房してでも忍さんの面倒を…」
「やめてよ。俺は介護受けるような老人じゃないんだから」
「す、すみません!!そんなつもりじゃ…!!」
「くろすけは謝ってばかりだね」
「…すみません」
「ほら、まただ」
忍の口元は相変わらず緩んでいる。
宗助<クロガネ>に対して、苛めて遊んでいるようだった。
―――すみません、と宗助<クロガネ>は困ったように柳眉を下げて笑った。
「こんな風に偶然でも出会えて、なにより元気そうで安心しました」
自分が女であれば、その言葉に歓喜の声をあげて、「心配してくれて嬉しいわ」と抱擁の一つでもしただろうに。
しばらく目を瞬かせた忍は、無言のまま再び溜息をこぼした。
正直、忍は困っていたのだ。
いや、心底困っているのではなく、困惑に近いかもしれない。
「くろすけ、3日前ずっとこの学校に来てたの…?俺の下駄箱覗くために?」
「…すみません。ストーカーぽい事したって自覚はあるんですけど…。けどもうしません」
遠まわしに肯定しているようなものだった。
「―――信じられない。自分の生活があるだろう?学校とか」
「学校あまり行かないんです。どうせ行っても屋上でサボるだけですから」
「馬鹿っ!!学校はちゃんと行け!!授業も受けろ!!」
いきなりの忍の怒声に、宗助<クロガネ>は驚いたように目を瞬かせた。
忍も怒鳴った自分が気まずいとばかりに、わざとらしく一度咳ばらいをする。
「ほら、もう帰った帰った」
「えぇ!?もう帰らないとダメですか!?」
「こんなところ見つかったら俺は言い訳が出来ないから。ここに来たのも、くろすけを追い出すためだよ」
「…ちょっとそれはショックです」
「君のため俺のため」
とぼとぼと背を向けて帰ろうとした所を―――何を思ったのか、忍は自分の懐から何かを掴むと、そのさびしい後姿を呼びとめた。
「くろすけ」
宗助<クロガネ>が振り返ると同時に、忍は彼の片手を取って、その掌に何かを握らせた。
宗助<クロガネ>の手は、忍が思っている以上に冷たかった。
「―――出過ぎた事言うつもりはないんだけどさ、学校はきちんと行った方がいいと思うよ。せめて出席だけでも……」
宗助<クロガネ>の掌に乗せられたのは小さなカイロだった。
忍の懐でだいぶ熱くなっているそれは掌を中心にじんわりと体を温める。
それをじっと凝視しながら宗助<クロガネ>は黙り込んだ。
じゃあね―――と言おうと、ふと見上げてみると、宗助<クロガネ>の眼が何故だかキラキラと眩しいくらい輝いているように見える。
「…。なに?」
「シノさん…っ!!」
「っ!?」
がばりと急に正面から抱きしめられ、忍は面食らった。
残念ながら男にしては華奢な忍の体は、包み込まれるようにして、宗助<クロガネ>の包容に収まった。
「ちょっ!?くろすけ!!」
「―――ありがとうございます。大事に使います」
耳元でそう囁かれる吐息は、男の色気が存分に出ている。
それにぞくりと背筋が伸びた。
なんて威力。これが異性だったら間違いなく骨抜きだ。
「ちょっと!」
飛び跳ねるようにして忍は逃れようと身を捩じった。
しかし引き剥がそうにも、ものすごい包容力の前に指先が掠って落ちるだけだ。
なんて馬鹿力!!と、忍は唸った。
一方、宗助<クロガネ>の感動は、それはそれは大きかった。
怒らせた―――と思った矢先のさりげない優しさは、思った以上に心を乱してくれたようだ。
なんせ、忍にはどこか近寄りがたいオーラがある。
他人と関わることをあまり好まない、孤高のイメージが強かったのだ。
どこまでも無関心で、無頓着。冷たい―――は言い過ぎかもしれないが、冷淡な印象があった。
しかし、宗助<クロガネ>は初めて忍から『温もり』というものを感じ取ったのだ。
大げさかもしれないが、忍が自分のために何かしてくれた―――それが、宗助<クロガネ>には嬉しかった。
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