忍少年と碧血丹心 098
◇ ◇ ◇
この高さから身の危険を冒してまで、荷物を抱えて降りたクロガネの行動に、誰もが驚いたまま固まっていた。
しかし、ただ一人―――確かにその無謀さに驚きはしたが、まったく別の意味でクロガネに対して目を見張っている男がいる。
「驚いた…」
二人が一層下の道路に出た所を見送って―――
『horn』を支える柱の一つとも言える『コウヤ』は、素直にその顔を驚きに染めていた。
ぽつりとつぶやいたその言葉も、思わずと口から洩れたものだった。
なんせ、戦いの最中―――敵に背を向けるなどした事がないその男が、何の迷いもなく動いたのだ。
あまりにもありえない出来事に『コウヤ』は茫然とする。
「一体どうなってるんだよ…」
あの。あの好戦的なクロガネが、敵に背を向けて逃げ出した―――
彼が最も嫌う、『棄権』をして逃げ出したのだ。
それが、『コウヤ』にはとても信じられない。信じたくない。
クロガネは一度戦いだせばどちらかが倒れるまで戦う。
どちらが強者か、それを分からせるまで徹底的に暴れてくれるのだ。
ドロー(相打ち)などもっての外―――闘いを始めたらまさに狂ったように人が変わり、本能のまま力を振舞う。
物が壊れようと、誰かが巻き添えを食らおうと関係ない。
それがクロガネの戦い方である。
荒ぶれたクロガネの強さを誰よりも知っている『コウヤ』は、そんな彼に強く惹かれているところがあった。
彼こそが、将来共に『horn』を盛り上げていくのだと、過去のコウヤは信じて疑っていなかった。
―――あの、男が現れるまでは…
「…え?なにさ…、そんなにあの子が大事って事…?」
今回―――クロガネの嵐がこうも簡単に止まってしまうなど、彼とは付き合いの長い『コウヤ』としては、とても信じられない事だった。
それほど、『キング』の愛人が大事なのだろうか。
それとも―――『キング』のものだからこそ、彼は大事に扱おうとするのだろうか。
どちらにしても、『コウヤ』は面白くなかった。
キングのどこに、そこまでの忠誠心を見せる価値があるのかとさえ思え、過去のクロガネを思うと、その低落に反吐が出る思いさえあった。
クロガネは戦えなくなった忍を守るためにプライドを捨てた。
クロガネにとってどれほどこの行為が屈辱だった事だろう。
しかしそれに同情するよりも、それを選んだクロガネに、絶望にさえ似た気持ちを『コウヤ』は抱いた。
「へぇ…。お前がそこまで堕ちてたなんて知らなかったなぁ…」
「『コウヤ』さん。どうします?」
不意に、男に声をかけられた。
『コウヤ』の考えている事など最初からわかっているとでも言う様に、心底この状況を楽しむような嫌な笑みを浮かべた男達が既に自分のバイクに乗って、いつでも追いかけられる準備を済ませていた。
そんなものは決まっている―――
『コウヤ』はにっこりと、それこそ高揚の笑みを口元で作った。
「―――狩れ」
その一言と共に、白い煙をまき散らして男達の歓声は走りだした。
その足で、どこまで逃げ切れるのか―――それが見物だ。
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