忍少年と碧血丹心 091
「それじゃぁ、ゲーム開始と行きましょうか?『クロガネ』」
ざっくりと、コンクリート状の小石を踏み潰すような固い音。
『コウヤ』が一歩前進し、『クロガネ』に対して宣戦布告をするように腰を低く保ち、にたりと好戦的な笑みを浮かべていた。
その黒曜石に光る瞳が、昼間の猫の様に鋭く尖っているように見える。
恐らく『コウヤ』の武器は足技なのかもしれないと―――その独特な構えを見て、忍はそう思った。
無防備に見えるが、隙の欠片さえ見いだせず、さすがは喧嘩を上等として生きている男。
玄人として見てもあながち間違いではなさそうだ。
足のリーチが長いこともあり、おいそれと近づけば―――
忍は眼を細めた。
一瞬でも、どう対応しながら潰そうかと考えた自分を、心底嫌悪したのだ。
自分は彼らのように喧嘩上等でもないし、好戦的ではないはず。
―――ただ、体の髄にまで叩き込まれた闘争精神が疼くだけ
ふと思想に深けていた一瞬だった。
「…っ」
何かが落ちたような、痛々しいともいえる打撃音が響く。
見れば、『クロガネ』の脇腹に向かって『コウヤ』の足蹴りが当たっていた。
みしりと骨がきしむような音―――その一撃を、『不屈のクロガネ』ともあろう者が、避けられないはずがない。
確かに『クロガネ』は人より縦長ではあるが、急所とも言える脇腹においそれと打撃を食らうような少ない経験値ではないはずだ。
苦渋というよりはどこか困惑しているような『クロガネ』は歯を食いしばってその衝動に耐えて、横腹に食い込もうと力んでいる『コウヤ』の足を掴もうとする。
しかし相手も掴まれれば終わりだという事を知っているため、瞬時にしてその足を振り下ろすと、『コウヤ』もまた珍しいものでも見たように眼を丸くしていた。
『コウヤ』としては怒涛の闘牛の様に襲い来る『クロガネ』を苦手としている。
本能のように攻撃の位置を読み、相手の急所を突いてくる『クロガネ』の勘は恐ろしく鋭い。
しかし今は―――今は戸惑いを含んだ『クロガネ』の目に闘気は無く、ただ睨みだけを利かせている状態だ。
彼の強みであるはずの勘さえ無視して、あえて『クロガネ』がその打撃を甘んじて受け入れていると知って―――
「―――へぇ…。その姫さん、そんなに大事なの…?ナイト<騎士>も大変だねぇ」
心底人を馬鹿にして笑うような笑みを浮かべて、『コウヤ』はそう言った。
忍はそれだけで自分が『クロガネ』の重荷になっていると知り、険しく目を細める。
「…」
もしも避けて『コウヤ』の打撃が忍に当たってしまったら―――
もしも『クロガネ』が反撃して、少しでも離れてしまったら、忍は―――
ぎりっと、それこそ唇から血が出るほど歯を食いしばり、『クロガネ』は己の額に嫌な冷や汗さえ浮かんでいる事も知らないまま、怒鳴った。
「うるせぇ…!!掛かってくるなら掛かってきやがれ!!俺がまとめてぶっつぶしてやる!!」
「今のお前にそれが出来るの訳?―――無様だなぁ。それが『不屈のクロガネ』だなんて呼ばれる男の姿か?ああ、情けない情けない。お荷物抱えてそれ必死に守ってる姿なんて不似合いだ。お前は変わったなぁ。―――精々歯ぁ食い縛って、自分の無力に嘆けばいいと思うよ」
再び足技が、『クロガネ』の左右死角から襲いかかるのを、『クロガネ』は本能的に、己の腕で防御しながら守備を固めていた。
先ほどのように打撃を諸に受ければ、例え打たれ強い『クロガネ』とはいえ、何発も保たないからだ。
痺れるほどの衝撃が『クロガネ』の手に走り、それを流す様に『クロガネ』は歯を食いしばる。
「ほらほら。『クロガネ』。もっと遊ぼうよ」
「っく…!!」
「僕ちゃんを倒すんじゃないの?潰すんじゃないの?―――ねぇ、ナイト<騎士>さん。お姫様が不安そうだよ?」
「黙れ!!」
そうして、じょじょに忍から『クロガネ』が離れていくのは、『コウヤ』が故意を持って誘導しているからだ。
それに気付けないような『クロガネ』ではないが、彼は今とことん混乱していた。
―――優先すべきは忍を守る事
例え本能が最優先すべき警告を出すが、それを無視している。
いつもならば避けられる攻撃も、いつもなら受け止められる打撃も、いつもなら……
『クロガネ』にとって酷を言うようではあるが、忍は確かにお荷物でしかないのだ。
「…」
忍はただじっと観賞するように事を見守っていた。
『クロガネ』の背中に守られながら、それを表情一つ変える事無く、凝視している。
ふいにある程度『クロガネ』と忍の間に溝が生まれた途端、それを見計らって忍の真横から近づく男がいた。
息を殺して、気配を消して、獲物を捕えるように、枝のように細い忍の二の腕を取られる。
しかし、忍はそれにぴくりとも反応を示さない。
まるで掴まれた事にさえ気づいていないように、忍の表情が変わる事は無かった。
「捕まえたぞ」
獲物を一番に捕え、歓喜に満ちた男の声。
その声を聞き、暇さえ与えられなかった『クロガネ』が少し視線を後ろに流した途端、絶望したように眼を見開いた。
「しま……っ!!」
『コウヤ』がにやりと笑い、攻撃を少し緩めようとしたその刹那だった。
「―――触んなよ。下郎が」
さながら三日月のように―――口角を釣り上げ、怪しい微笑を零して。
しかし、忍の唇から零れた言葉の汚さは、優雅とも言える笑みを裏切っていた。
-91-
[back] [next]