忍少年と碧血丹心 077

「忍!!」

突然と名前を呼ばれ、何故か一瞬肩を竦めてしまう。
これではまるで母親に悪戯がばれた子供みたいである。
押さえ込まれたそれだったが、いくら遮断しても溢れかえってしまうような怒気を含んだ翔の声はどこか薩摩に似たものを感じた。
それはきっと彼らが親戚だという事を知った故の偏見なのかもしれないが、そもそもその事実を知る前から忍にはどこか類点があるような気がしていたのだ。
反射的に見上げた時には忍の目には翔の両足しか見えていなかった。

「ぃっ…!!」

瞬きをする間もなく、右の腕に激痛が走り、思わず払うように腕を振ってしまった。
近づいてきた翔によって引き上げられようとしていた事に気が付いたのはその後である。

「てんめぇ…!!」

翔は拒否されたと思ったのか、その顔の険しさは薩摩さえ警戒するほどまでに歪んでいた。
それでも無言のまま、翔は引きずるように忍の乱れきった胸元の襟を掴むとそれを持ち上げて、無理やり立たせられた。

「な、なにを!!」
「足腰立たないお前を手伝ってやってんだ!!文句があるなら自分で立ちやがれ!!」

先ほどの衝撃がまだ体の芯に残っている忍の足元は覚束無く、ふらつく姿を見て再び翔は舌打ちをしてくれる。
ついつい忍はきっと睨みつけるように翔を見上げれば、奴も奴で忍を攻め入るような眼で睨み返してくるのだ。

「…」
「…」

最初に目線を逸らしたのは翔だった。
しかもまたもや不快そうな舌打である。
何か言いたい事があるようだが、しかしそれらを全て舌打ちで処理をしているようだ。

気づけばタバコの香りが漂い始めた。

「―――目障りだ。用が済んだならとっとと出て行け」

地の底を這い蹲るような声音で、薩摩が翔を睨み、衣類を整えながら、タバコを吹かせていた。
確かに、見れば最初とは比べ物にならないほどの禍々しいオーラが薩摩から溢れ出ているように見える。
今彼の部下達が薩摩を見れば顔を真っ青にする事は無くても、触れぬ神に祟りなしとばかりにそれぞれまともな理由で、この部屋を退室している事だろう。
現状を今だ理解できず、色々な感情に頭を悩ませている忍を引っ張るように翔が二の腕を再び掴んできたが、比較的柔らかくなったそれに忍は抵抗を止めた。
この究極の危機を救ってくれたことには変わりは無く、しかしそれが一生関わるものかと先ほど心に決めたばかりの相手とあって、素直に感謝の言葉が出てこない。

いや、今はそれだけの気を回せるどころではなかった。

「叔父貴―――こいつには手ぇ出してくれるなよ。これは俺のものだ」
「あんた…!!何企んで…!!」

「ぴーぴーうるせぇ。お前は黙ってろ」

ぴしゃりと、忍を戒めるように二の腕を掴む翔の握力が強くなる。
忍も、確かに今は口を出す場合ではないと悟り、不満そうに口を曲げながらも黙る事を決め込んだ。
薩摩は胡坐をかき、タバコを吹かせながら総毛立つような、獰猛な笑みを零す。

「馬鹿だなぁ。そいつは一生てめぇのもんになんざなりゃしねぇよ」
「そういう奴を堕とすのが楽しいんだろうが」
「…分かっちゃいねぇな。―――言い張るつもりなら、精々堕とす努力を続けるこったぁ」

―――そしててめぇは理解するだろうよ

僅かに、漆黒の片目が真剣を帯びて細まった。

「そいつはてめぇのものにはならない。そうだろう?―――忍」

何かを含んだ物言いに、忍は黙りこんだ。
肯定しているとしか言えないその態度を横目で見て、苛立ったように翔がまた舌打ちをした。

「行くぞ」

短くはっきりと―――翔がそう言うが早かったか、忍をしっかり繋いだまま、翔は障子へ向かってずかずかと歩き出す。

「ちょっ…!!」

間一髪、忍は翔のジャケットを片手で鷲掴み、それで乱れた胸元を隠しながら、不可抵抗なのだと自分の中で言い訳しながら、荒々しく片手で開けて、出て行く翔に続いたのだった。
これに続かなければ、この『鬼』から逃げ出す好機は二度と訪れないと―――そう分かっていたから、ほとんど逃げ出すような感覚だ。

忍は薩摩に聞かなければならない事があったが―――しかし、その暇さえ与えられる事無く、その部屋を後にしたのだった。


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