忍少年と碧血丹心 073
◇ ◇ ◇
何故、何故この男が『ここ』にいる。
「…」
白い吐息が夜の闇に浮かんで消えていく。
荒い息を零しながら、殺気立った眼が怪しい光を瞳に宿し、弾圧するように忍を睥睨している。
身に纏う雰囲気は容易に近寄れない激昂を携えて、その金色の瞳に魅入られれば万人が金縛りにあうに違いない。
漆黒に染まった夜に溶け込むように、その男が身に纏うのは同じ黒。
冷たい風が吹けば、彼のワックスで整えられたはずの金髪はさらりと流れた。
しかし、季節にそぐわない額に浮かぶ汗を見て、何をそんなに急いでいたのかと聞きたくもなる。
瞬きさえする事無く視線が、ねっとりと自分の醜い姿に纏わり付いてくるのを自覚すると、今すぐ何もかもの記憶を無くすためにその頭を石で殴りつけたい衝動に駆られた。
眼を潰し、お前は何も見ていない、聞いていないと、あの耳元で根強く暗示を掛けてしまいたい。
まったくの他人と鉢合わせだったならば、ここまで自分も取り乱したりはしなかっただろうに。
だが、奴とて赤の他人なのだ。
矛盾している―――と言われれば、その通り。
恐らく、この男が関わるだけで、白が容易に黒へ成り代わるだけの影響を、彼は自分に与えているのかもしれない。
刻印を心に刻まれ、それが傷跡となって決して消えることが無いような印象を残していく。
悔しい話だが、それは認めざるおえない。
その男は敬慕と憧憬の眼差しを受けて来た、忍とはまったくの接点も無かったはずだが、何かの間違いで交わってしまい、そして知ってしまった強烈な雄だ。
―――気に止めないよう装っても振り切れないのだ。
それがこの男―――『キング』と呼ばれている『Pandra』の頭に君臨する、王者だった。
「あんた―――…」
空気に溶けてしまいそうなほど、儚く言葉が唇から溢れ出る。
それは瞬く間の白とも言える、白息に似ていた。
これが合図となった。
『キング』が乱入したタイミングを見計らったように、突然の濃厚な口付けを薩摩は忍に求めてきたのだ。
「っ!?」
『キング』にすっかり目線を奪われていた忍は再び薩摩に視点を合わせなければならない。
何故このタイミングにそれなのか―――ただ薩摩の意図が掴めずに眼を見開き、それを受け入れるより術はなかった。
「…っ!!」
呼吸をする自由さえ奪いそうな深さにむせ返りそうにもなった。
情熱的とも言える執着で、角度を変えて与えられるそれはまるで愛を誓い合った者同士の甘いものだ。
それを一瞬でも想像してしまった自分に絶望的な気持ちになり、立ちくらみにも似た眩暈がした。
よりにもよってこんな男にこんな痴態を見せるなど―――…
恥らうどころではない。
何度も何度も類稀ない雪辱感に耐えてきたが、ここまで強烈なものは無かった。
「―――っは…ぁっ!!」
糸を引きながら離れ、情けない事に、あまりにもの衝撃に怯んで何の反応も出来なかった。
一方、今だ忍の上を席にする薩摩が、男に視線を送りながら―――まるで相手を挑発するかのように忍の解れた髪に鼻を寄せる。
薩摩が髪を唇で啄ばんでは、頭皮にこそばゆい口付けを施す。
「…っぅ…」
放心状態だった所への不意打ちに、大きく肩を跳ね上げてしまった途端、力強い視線がその存在感を強調した。
―――『王様』が、怒っている…?
ぎらついた眼が今にも刃物を握り、殺さんばかりの視線だ。
怒り狂いたいのはこちらだというのに。
最後は下唇を啄んで引っ張って、リップ音を響かせながら―――ようやく、薩摩は視線で捉えていた忍を解放した。
「―――随分お早いご到着だな、『坊』」
「…」
取り澄ました猛々しいバリトンの声音。
静寂を遠慮なしにぶち破ったのは、忍を組み敷く鬼だった。
もしも周りに人がいれば本気でへそを曲げている『キング』の不機嫌加減に、ただ恐縮する事しか出来ないが、さすが薩摩という事だけはあって『キング』に対して、その態度を崩すことは無かった。
『キング』に友好を示しながら、だが忍をまるで自分のものだと牽制するように頬を片手で包まれて、薩摩の顔が近づく。
また奇妙な口付けをされると思い、忍は肩を竦めて耐えようとしたが、すでに薩摩の興味は今だ仁王立ちのままこちらを睨みつける『キング』に移っているようだ。
「早いとこ済ましちまおうと思ってたんだがな。…なぁに、気にすんな。直ぐ終わる」
そう言いながら薩摩は忍の陰部へ再び手を出そうとした。
太ももを厭らしく撫で回す仕草に、忍は暴れる。
「なっ!!なにしてんねん…!?」
「―――今更何いっちょまえに恥ずかしがってんだ」
心境的には虫が体の中に入り込んでしまったような衝撃だ。
「―――しかし待たせるのも癪だな。なんなら『坊』も遊んでみるか?」
薩摩が楽しそうにそう『キング』へ問いかけた瞬間、忍はかなづちで頭を殴られたような衝撃に襲われた。
「複数プレイが最近の趣向なんだろう…?俺としては熟れ時のうまいもんを共に楽しむのも悪くねぇ」
忍には薩摩の意味深い笑みと言葉の意味を理解できず、ただ唖然とした。
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