忍少年と碧血丹心 067
『大兄』
愛撫する感覚が、嫌でも脳裏の記憶へと結びつく。
『大兄。大兄。大兄…』
ああ―――…思い出したくも無いのに。
『―――大兄はかいらしい。ほんまに、兎みたいに、かいらしい…』
その声は甘い毒を持った、男に成り代わった少年の囁き。
今は過去に深けている場合なのではない。
『兎はかいらしいと愛で過ぎると死んでまうそうよ。―――大兄もかいらしい、かいらしいと愛でれば、どない風になるんやろ…?』
―――どうなるんやろうなぁ…?
真紅に染まった瞳に鋭さが増した。
険を深く含んだ忍の眼の射る先には、じっと見下ろしくる薩摩が無言のまま手を止めている。
「…」
「はぁ…はぁっ!!」
解れかけた長い髪を、頬や肩に引っ掛けている姿はなんとも艶やかなものだった。
腹まで剥きだしになった細い体の、薩摩の執着加減が伺える跡と、熱に触発されて香る忍の体臭が、男の欲情をそそる。
袴もほとんど穿いていないに等しく、きめ細かい太ももの白い肌にも赤い点が散らばっていた。
胸さえ膨らんでいれば、女にさえ間違えてしまいそうなほど。
桃色に染まった肌の、弾力さえ感じられる外見はとても男に見えなかった。
容易に壊れてしまいそうな、儚い印象さえ抱くその体―――しかしそれとは対照的に、内なるものは凛と気高い。
「く…ぅ…っ!!」
荒い息をつきながら、瞬きさえしないまま、屈するものかと睥睨する忍は薩摩に向かって鋏を向けていた。
それは直ぐ横にある料理の並んだテーブルから、忍が手を伸ばして掴んだものだった。
しかし、蛇の道を掻い潜ってきた薩摩にとって、たかが料理用の鋏などなんの脅威にもなりはしない。
ましてや力の無い子供が持っているとすれば尚の事。
ただこの細い手首を捻ればそれで終わりだ。
だが―――
薩摩はやれやれとでも言う様に首を左右に振り、少しばかり面倒臭そうに溜め息交じりの息を吐き出した。
忍がそんな鋏で薩摩に適うはずもないと分かっている。
だが、少しばかり目元をきつくしながら、忍は無言で薩摩を諌めていた。
天下の極道者が、こんな骨と皮だけの子供に不意を突かれた気分はどうだ―――
俺は何時だってお前の命を狙うことが出来る。
ただ喘ぐだけ啼いて、何も出来ない、しない『女』に成り下がったつもりなどない。
―――俺はお前に抵抗出来るのだ
今だ荒く息をつく忍の、先ほどのオロオロとしていた様子は見当たらない。
右に行こうか左に行こうか―――そんな風に迷う事を止めて、忍が選んだ道は自分で切り開いてみせた。
今だ嘗て寝込みを『女』などに襲われたことが無かった薩摩は激昂するどころか、少し面白そうに眼を細めた。
薩摩が軽く眼を細めて、けれどやはり口元には不可解な笑みが浮かんでいる。
刃物を向けられて尚、薩摩は顔色一つ変える事も無く、ただ抵抗の意思を強く見せ付ける忍に囁くように問いかけるのだ。
「―――どうする。このままその鋏で俺の首をかき切ってみるか…?」
「…」
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