忍少年と碧血丹心 060
◇ ◇ ◇
嘗め回すように纏わりつく視線は正直居心地の良いものではなかった。
忍が接待をするように酒器を両手で持ち、薩摩の盃に酒を注ぐ一瞬さえも彼は見逃すことはなく。
薩摩の真横にまで接近したのはこれが忍にとって初めての事だった。
事情後の彼の身体は風呂後のようにほってりとしていて、近くにいるだけで熱いぐらいだ。
注がれた酒を呷るその様もまた恐ろしく絵になるような男である。
「―――うまい」
「…」
どんな意図があって忍を監視し、連れてこられたのか―――それは今だ分からないが、少なくとも薩摩の機嫌が飛び切り良い事だけは分かった。
まるで勝ち戦をした武将のようである。
ふと、何を思ったのか―――薩摩は忍に盃を掲げた。
「酌膳だけじゃぁ物足りねぇ。付き合え」
「―――俺は未成年です」
「『奴』の酒は上手そうに飲んでいやがったのになぁ。この酒は飲めねぇってか」
頑なに否定を示すように、忍は僅かに眼を伏せて黙った。
薩摩はそんな忍のそっけない態度に呆れたのか―――「やれやれ」などと肩を竦めて空になった盃をテーブルに置く。
忍は今だ、乳色の酒器を両手で掴んだまま、正座する太ももの上に置くように持っていた。
「―――あの家を逃げ出したのは狂気に病んだ『ご主人様』に耐えかねて、か。それとも兄狂いの弟がついに何かてめぇに仕出かしたか…」
「さぁて…」
「どちらにしろ、『奴ら』に今この居場所がばれるのは不味い訳だ…」
「―――何をおっしゃりたいんですか」
弾かれたように顔を上げた忍。
その目は決して脅しには屈しまいとばかりに、睥睨する忍の双眼が爛々と焔を煮やしていた。
しかし相手からしてみれば可愛らしい子猫にでも威嚇されているぐらいにしか感じていないのだろう。
まるで嘗め回すように、薩摩の一眼が忍の視線と衝突した―――が、やはり忍には彼の視線を受け止めるので精一杯のようだ。
凝視されてるだけで冷や汗が滝のように生じるのを忍は自覚した。
まるで首を絞められているような錯覚さえ、その目線から感じるのだ。
「俺を脅したって、あなたには何の利益はありませんよ。なんせ俺は家も一族も身分も…何もかも捨てて逃げ出した身ですから」
「しかしそう思っているのはてめぇだけだ…」
「―――どういう事です」
「何故俺がこんな糞餓鬼の尻追いかけ回してると思っている。暇を持て余している『奴』と違って俺は忙しいんだ。その忙しさの合い間を縫っててめぇを探し出して眼ぇ光らせてんのは、少なくとも俺の都合じゃねぇ」
「…」
「まったく、てめぇのご主人様は人使いが荒くて困るなァ。天下の極道様も、『神』の前じゃぁ無力に等しいんだと嘆きたくなるってもんだ…」
忍は俯いた。
彼が示す人物を思う度、忍は動揺を押し隠す事が出来ない。
指先で酒器を遊ばせるのは、忍の落ち着けない心情を明確に表現しているようだった。
「…俺を探しているのは、『あの方』なんですか…」
「それ以外に誰がいる。―――…不快だが、俺をこんな風に動かせるのは精々『奴』ぐらいよ。てめぇが逃げ出すように出ていってから、『奴』は手のつけ様がないぐらい荒れたもんだ。人を刺すは、仕事はボイコットするわ、使用人の女を妊娠させるわ。―――まったく、はた迷惑な男だ」
「…」
「今ここでてめぇを奴の檻籠に放り投げちまえば、俺の仕事も減るだろう」
ならば何故自分を見つけ次第、直ぐに連れ戻さなかったのか―――。
居場所を分かっていながら監視を続けていたのも、それも『あの方』の意思なのか。
どちらにしろ、それは忍にとって想定内の話だった。
―――ただ、まさか2年近くもこんな平凡な生活を送れるとは思ってもいなかった…
「―――連れて行くつもりならばそうすればいい。俺は元より覚悟の上で『外』に出たんですから」
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