忍少年と碧血丹心 056

「それじゃぁ、俺は別件の仕事が入ったからお暇するよ〜。シノ君、また会おうねぇ〜!!」

降り立った忍と龍郎を残して、祥はワゴン車に残ったまま、それに乗って颯爽と去って行った。
しかもその去り際、祥はまるで親しい友人と別れるかのように、窓から身を乗り出して、名残惜しげにぶんぶんと両手を振ってきた。

「…」
「…」

ワゴン車のエンジン音が遠ざかっていくのを聞きながら、車の背中を見送っていた忍が思わず呟く。

「…あの人を見ていると、なんだか誘拐されている現状を忘れそうになります…」
「アイツ悪い事してるって自覚ねぇかんなぁ…。ナンパに成功して上機嫌ってとこか…」

車のナンバープレートが読めなくなった所で、ふと忍は振り返った。

空洞の竹が石に叩きつけられるような、涼しげな音が響く。
しかし今は秋が終わり、冬の始まりへと突入しているため、どこか季節外れとさえ感じた。
手入れの施された池と庭園を左手に、右手には馴染み深い木材の長廊下と障子の続く部屋―――その全てが良質な屋敷を想像させる。

連れて来られたのは『鈴蘭』という名の高級日本料亭だった。

繁華街のような派手さは無かったが、趣のあるその雰因気は日本人には覚えが無くても郷愁を感じる事だろう。
普段は一般客で賑わっているはずの料亭だったが、今や『組』の息が掛かっていせいか静寂で少しばかり重々しささえ感じる。
なんせこの建物の周囲を守るかのように、見るからに怪しい黒いスーツを着た男達がサングラス越しの殺気さえ滲ませて警備に当たっていたほどだ。

もしも何も知らずに訪れた客は血相を変えて、即座に回れ右をしたくなるような威圧感が覆っていた。
男達の誰もが一度忍達に眼を向けるが、彼らは害を及ぼす存在と認知すれば、興味さえないのか―――ただ目礼を寄越すだけだった。

「―――こちらです」

その土地の周りをたとえ極道者に取り囲まれたと知っていても、そして本来ならば営業外の時間帯であろうと、年若い美貌の女将は平然と胸を張って、客に等しい忍達を出迎えた。
桃色の着物を引きずりながら、背中を見せて道標となるよう歩き出す。

先に動き始めたのは忍だ。

既に心に決めているような、迷いの無い進みを背後から見ていた龍郎もその後を追った。
毅然とした態度で堂々と歩みを進める今の忍には、どこか近寄りがたい印象さえ滲み出していた。
音を立てて歩く龍郎の一方、木材の廊下を歩くのには長けていると言わんばかりに足音さえ立てず、綺麗に背筋を伸ばして歩く忍。

どうやら彼の体には自然と作法が身に付いていると分かる。
忍は己を庶民だと、茶化すように言っていたが、それが真相なのかと言えばそれもまた疑問だ。
母屋から渡り廊下を通り、離れへと到着すると、女将が裾を抑えながら優雅に座りこみ、障子越しに小さく声をかけている。

「―――」

まだ何かを話しているようだったが、忍は構わず女将の隣に立つと、障子を押し開けた。
途端に湿気さえ含んだ熱気が部屋から溢れて、外の冷気と溶け込んでいく。
ずんと、その場の空気も薄くなり、体が重くなるような威圧感は果たして気のせいなのか―――

「お客様!?」
「おいっ…!!」

その障子の先に誰がいるのか―――それをよく理解している周りが見ても分かるぐらいにまで顔色を変えた。
忍を除く二人は固まったままだ。

そこは10畳以上はあるであろう和室だった。
どうやらまだ張り替えたばかりなのか―――独特の青々しい香りが仄かにする。
食膳に並べられた豪華な食事には一切手はつけられてなく、代わりに乳色の酒器だけが何本が既に空けられていた。
日本酒の香りだけでそれが上質であると分かるそれが、タバコの臭いを勝って香ってくる。

しかし匂ってくるのはそれだけではない。

忍の目先は誰かに囚われていた。
厳しそうな顔つきで忍が無言で睥睨するその先―――くすりと笑う女の艶やかな声が漏れ、そして溜め息交じりの、少し楽しそうな低い声が静寂に染まった空間を弾く。

「―――やっと来ましたか。私を待たせるなど、精々あなたぐらいですよ―――御前殿」
「…茶化しは止めて下さい『薩摩』さん。俺はもうそんな身分ではありません」

険悪な、刺々しいとも言える声音がぶつかり合った。


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