忍少年と碧血丹心 055
「なんせ会う人が全国規模『薩摩組』の若組長―――極道のトップに立つ男となれば、誰だって冷静でいられなくなるもんよ」
「…」
「…まぁ、なんか君と『あの人』との関係はそれだけじゃないような気もするけどさ」
全国規模に傘下の友好団体を蜘蛛状の繋がりで束ね、把握できないような数の組員を纏める男こそが、龍郎と祥に指示を与えた張本人である。
『薩摩組』は歴史が古く、そして警察と距離を置く事に徹底した指定暴力団だ。
賭博、高利貸し、麻薬取引、売春と非道な仕事も警察の監視の目さえ掻い潜って活動して来てきたが、最近では足を洗おうとしてか―――合法的商売に手を出したらしい。
非合法的活動が多かった『薩摩組』が、偽名とはいえ社会の流れに沿った活動を始めたのは、何の障害も難関も無く、すんなりと世襲した『その男』が起点だった。
ここまで聞かされれば、『薩摩組』に一陣の風を呼んだその新会長に好印象を与えるようではあるが、しかし、『その男』をよく知る忍は、どうしても苦虫を潰すような顔になってしまう。
―――『鬼』と呼ばれ、それを背負う隻眼の男
幸運のお零れに預かってその地位を手に入れたのではなく、裏舞台での血塗れた修羅場を掻い潜ってきたからこそ勝ち取ったものであるという事を、知らない者はいない。
今やどこかの『取締役』という肩書きを背負って堂々表舞台に登場しているようだが、目的のためならば人を殺すことさえ厭わない―――むしろそれを一種の遊戯のように楽しむ狂者だ。
抗争や出入りを好み、我こそはと陣頭に立つその男の修羅ぶりには一派すら慄然するほどである。
ぐっと唇を噛み締め、握りこぶしを固くさせる忍は難しそうに眉を寄せて俯いた。
肘を窓辺について、体勢を崩していた龍郎はそんな忍の様子をじっと眺めていたかと思うと、ふと息をつく。
「―――さすがの君でも『あの人』の前じゃ萎縮しちゃうか…」
弾かれたように忍は顔を上げて龍郎を見る。
「…」
「な、なんだ…っ!?なんか俺変な事言った…?」
「―――いいえ…ただ…ちょっとムカっと来ました」
「はっ!?」
目を剥く龍郎に対して、見る見るうちに忍の顔には『らしさ』が戻り始めていた。
一種の暗雲をなぎ払ったような忍はまるで我に返ったような反応で、優艶に細く笑んだのである。
―――しかしながら確かに。忍は少し不快とばかりに目元をきつくしていたが…。
「…本来俺には怒る権利があるはずです。それを何故俺が『あの人』に対して遠慮しなければいけないのかっていう話です。人を問答無用で拉致ろうとしただけでなく、間接的ストーカー行為をされた鬱憤を本人に直接言ってやらなければ虫の居所が収まりません!!―――そうです!!何故俺がびびらなきゃいけないんですか!!そうは思いませんか!?例え相手が百戦錬磨の鬼だとしても退く事なんて間違っているんです!!」
「…そう思うのは勝手だけどさ。喧嘩する相手は慎重に選ばないと。俺は君を無事に家へ帰したいんだ…。お願いだから、変な事はしないでくれよな?―――いや、本当に頼むからさ…」
今からを思うと我が事のように胃が痛むのだと、龍郎が素直にそう言えば忍は子供らしく珍しいものでも見たように目を丸くして再び龍郎を見つめた。
「…」
「こ、今度は何だよ…?」
忍に見つめられるだけでどうも居心地が悪くなってしょうがないとばかりに、龍郎は頬杖を崩して警戒するように顔を顰めた。
「いえ。―――ただ…もしかして、俺って心配されているんですか?」
「心配して何がいけないんだ。―――君は未成年だろう?明日も学校があって早く家へ帰りたいだろうに。それにこれから怖い思いをさせちまうと思うと、俺も良心が痛むさ」
少し憤慨する龍郎に完全な子供扱いをされて、忍は戸惑うように目を何度も瞬かせた。
ふともう一度瞬きをしてから、忍は意外そうに関心していた。
「―――龍郎さんは俺が思っていたような悪い人ではないんですね…」
「…あのなぁ…。俺はいい兄さんなんだって、本来は」
「ええ。ご職業はともかく―――あなたはいい人です。龍郎さんみたいな方、俺はとても好きになれそうだ」
ひっそりと浮かべた忍の笑みを一身に浴びて、龍は直ぐに気恥ずかしげに目を反らした。
まるで太陽を一見してしまったような、迅速さだ。
そうしなければそのまま引き寄せられそうな気がした事など、龍郎の口からは決して言えない事である。
忍としては、すっかりビビってしまった自分の本来のあり方を思い出せた事に良しとし、今では不敵な横顔を晒していた。
「あ〜あ…。龍の奴」などと祥が呟いていたが、それも神速とも言える祥のタイピング裁きの前にかき消される様に無くなった。
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