忍少年と碧血丹心 052
「―――俺らは、君をそのワゴン車に強引に突っ込んで、それで誘拐するよう『とある人』に命じられているんだ」
沈黙。
その沈黙を破ったのは、後ろから響くバイブ音だった。
一斉に二人分の視線が祥へ向く。
「あ、ごめん。空気壊した。―――げげ、ちょっと失礼するよぉ〜…」
緊急の相手だったのか―――その携帯に飛びつくようにして祥はポケットから銀色の携帯を取り出すとその場を離れて行った。
それを見送った後、しばらく自失していた忍は己を指差して、龍郎に恐る恐る確認を取った。
「―――俺を?」
「そう」
「一体何のために?」
「あのなぁ。俺らはたかが下っ端の組員だぞ?そこまでは知らないって…」
緊迫した空気を壊すように、疲れたようにため息を零し、龍郎は腰を曲げて、肩をだらりと弛緩させる。
忍からしてみれば、混乱してしまう事態だ。
自分に会いたがる人間など、居るはずが無い…と。
浅い人間関係しか築いていない忍には、嫌な予感という名の想像が容易に出来てしまい、しかしその憂慮を表に出す事は無かった。
それでも動揺が押し隠せない。―――焔が揺らめくように、瞳が小刻みに揺れている。
最後は意を決したように一息呼吸を吐き出すと、覚悟を決めたような忍の眼が凛と前を見据えた。
「―――…なら、龍郎さんが知っていそうな事をお尋ねします」
忍は声音はどこか強張っていた。
「―――そう命じたのは『どなた』でしょう?」
その角度を変えたせいか―――僅かに、忍の緋色の炎が轟と燃え上がったように見える。
「いや、そればっかしは…許容範囲内超えちゃってるかなーなんて…」
答えられないと龍郎が口を噤めば、忍は促すように龍郎に詰め寄った。
身長さがあり、距離は離れているが、どうしても顔を逸らしたくなるような忍の威圧が、体に穴が開いてしまいそうなほど突き刺さってくる。
「一体誰ですか…?―――俺の知っている人なんでしょうか?」
言い逃れは許さないとばかりの強烈なその視線は、見られるだけで火傷を負いそうである。
一歩引く龍郎に対して、一歩足を踏み出す忍。
弾圧をかけよるように、忍が詰問を続けようとした時だ。
ふと人気と視線を感じて視点を降ろせば、銀色の携帯が差し出されていた。
その手を追う様に視線を上げると、祥が気まずそうに『それ』を手渡そうとしている。
「なんですか…?」
「携帯だよ〜」
「いや、それは分かるんですけど…」
携帯と祥とを交互に見つめた後、ようやく合点がいったのか―――忍は腫れ物を扱うように恐る恐る受け取った。
「出ればいいんですか?」
「そうそう。電話の主が俺達に命じたその人だからさぁ〜。出て損は無いと思うよー…」
聊か疲れきっている祥の様子。
いや、先ほど前はあれほど元気だった彼が何故これほど―――まるで全力疾走で駆け抜けた後のような情けない顔をしているのか。
ようやく忍から開放された龍郎がほうと安堵の息をつく姿を背に、忍が携帯に耳をつける。
「もしも―――」
≪『死神』から開放された気分はどうだ―――『御前殿』…≫
忍の呼吸が、一瞬止まった。
人を軽侮するような、低く笑いを含んだ男の声に、忍はぴくりと体を硬直させる。
見てはいけないものを見てしまったかのように、目を見開く忍の瞳孔は小さく、そして大きく震えていた。
「あ…んた…」
≪分かってんだろう?今すぐそいつらと一緒に車に乗れよ。―――言っとくが、てめぇに否定権なんて与えてねぇ。あるのは【yes】だけだ≫
そうだろう―――?
低く囁くその声は相手の吐息さえ混じっていて。
電話越しだというのに、忍は耳朶を舐め上げられ、鼓膜を犯されている気分になった。
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