不稔


灰色のリビングは薄暗い。
部屋中の窓にはもれなく分厚いカーテンが掛かっており、日光の侵入を頑なに拒絶している。
部屋に備え付けられた電灯の類は全てコードから抜かれていた。
「吸血鬼か、って」
外出先から帰ってきたらこの状態。
オカルトの世界から抜け出してきたような姿はしていても、以前はこんなことをする人ではなかった。
またどこかの闇で震えているのだろうと見当をつけ、敢えて電灯は付けないまま歩を進める。
下手に室内に光を入れると、彼を怯えさせてしまうから。
「シュタイン、どこ?」
部屋の隅、倉庫の陰、浴槽の中、階段の下を、つぎはぎスリッパで歩き回る。
心当たりのある場所を探すが、建物の主の姿はなかった。
たまにカタリと物音がするので、どこかに居ることは居て、入れ違いが続いているようなのだが。
「ねぇ、シュタインってば」
ついさっき通った廊下の角から物音がして、彼の恐らくの所在を伝えたので、そちらに向かって声を投げかける。
すると数メートル先、廊下の床に真っ黒な影が伸びた。
「 ……ああ、おかえり」
一寸間をおいて、くぐもった声で影が答える。シュタインだった。
「ただいま」
影ばかりで姿を見せない彼の様子に少し違和感を覚えながらも、返事を返す。
シュタインは微動だにしなかった。影は依然曲がり角の向こうに直立したまま。
わたしがどこかの部屋に消えるのを待っているのだと思う。
微かに、しかし確かに、白く熱い水蒸気を吐くような、荒い息遣いが聞こえてくる。
「 夕飯なら もう食べたから」
声音までツギハギになってしまったんだろうか、シュタインの声は不安定でおかしな抑揚がついていて、胸の奥をざわざわさせた。
(夕飯ならもう食べたから)
だから自分に構うな、と言外に伝えている。
姿が見えないことが不安で少しだけ心に引っ掛かりを残したが、素直に従おうと思った。
声はいたって普段通りに、明るく、抑揚をつけて。
「…そう、分かった。リンゴまた買ったからいつものとこに置いておくね」
影から目を逸らして、灰色の中空を朗らかに見つめながら。
こうなってしまった彼を恐れているわけじゃない。
強がっても私に出来る事には限度があるから。
狂気の癒し方なんて私には分からない。
諦めているの。
「……」
シュタインが動くのを、待った。
わたしがこの廊下に立っている限り彼は瞬きもしないしできないことを知っている。
瞬きすらしないのはその途端にわたしを引き裂いてぐちゃぐちゃにしてしまう衝動を必死で抑えているからだということも分かっていた。
(それでもいいのに)
壊れて中身が飛び出るくらい、苦しむあなたに背を向け続けることに比べれば全くどうってことないのに。
「………だめかぁ」

後ろ手に閉めた扉の向こうで、ゆっくりと引きずるように足音が響いて遠ざかって、消えた。

ごめん、と聞こえた気がした。

(それはあなたの声か、いやわたしの)




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