居眠り長時間(在学中)

 とても眠い。(馬鹿な。そんなこと、あるはずがないのに)ふぁ、と欠伸が出る。いつもなら、仮眠入れて三時間で行動できるはずなのに。うつらうつらと頭が揺れてしまう。提出が遅れている書類を仕上げている先輩が、こちらを不安そうに見上げてきた。
「おい、大丈夫か? かなり頭がぐらついてんぞ」
「うぅ」
 そちらに心配される謂われはない。そう口に出すよりも先に、頭がガクンとくる。「どぅわ!?」先輩が変な驚き方をして、こっちに身体を向けてきた。椅子ごとグルリ、正面から受け止めてくる。(あー)肩のアレ、額に突き刺さりそうだったからか。痛覚が働いた一瞬で頭が醒めるのを期待したことなのに。先輩の胸に頭を凭れさせられる形となり、全身の力が脱力する。(あっ、これ。懐かしい感じ)まるで、熟睡するような。そんな感覚に似ている。シーツや枕の柔らかさを堪能したくて、スリスリとリブ生地に擦りつける。ビクッ、と先輩の身体が跳ねた。(あー、コートを着ていても。下はタンクトップと下着なしだからか)トクントクン、と胸の跳ねる音も聞こえる。タンクトップの下は筋肉だ。布の柔らかさを期待したところで、身体に形を添わせてこない。フルフルと先輩の腕が震える。(あっ、ヤバい)ズルリと膝が椅子からずり落ちそうになったら、ガッシリと先輩が腕を回してきた。腰と背中を抱えられて、椅子の上に座らされる──いや、先輩の膝の上。あっ、靴履いてた。身体を丸めるのをやめる。
「んなに眠いなら、ちゃんと寝ておけよ」
「んっ、寝て、ない」
「どの口がいうかッ! 現に、こうして俺に抱き抱えられて寝てるじゃねぇか」
「ちが、かってに、やってることだし。せ、が」
 先輩が、と小さくいったら、ムッとする空気が頭の上で流れる。あ、怒ったな? これで離してくれるかもしれないし、頭も起きるかもしれない。そう期待したのに、一向に離してくれない。(なんで?)離脱するためにグリグリと先輩の胸に頭を押し付けていたら、ギュッと抱き締める力を強めた。だから、なんで。(そう強く抱きしめられると、余計に悪化するというのに)それを構わないといわんばかりに、先輩が離してくれそうにない。どうにか、重い瞼を持ち上げる。
「いたい」
「落ちそうになってるヤツが、いえる台詞か?」
「ベルトの棘が、痛いです」
「嘘つけ。ちゃんと気を遣ってるだろ」
「太腿や膝のところに、チクリときます」
「血が出るほどじゃねぇだろ」
「それはそうだけど」
 いや、鬱血も鬱血で大概悪いが? グッと腕で先輩を押し返す。胸を押したからか、先輩が力を弱める。これ幸いにと身体を起こしたけど、やっぱり眠気が襲ってきた。(うぅ。まさか、これほどとは)少しは睡眠時間、増やした方がいいかもしれない。先輩の胸にまた戻されて、睡眠をせざるを得ない。こんなに、筋肉質で硬いというのに。いったい、どこに安眠要素があるというのか。不明瞭である。
「クソッ、蛇の生殺しだぜ」
(なにが)
 蛇の頭を切って養命酒に漬けるおつもりで? そう聞きたいけど、眠気が勝る。(不眠症と、自覚はしていたものの)まさか、これほど溜め込んだ睡魔が来るなんて。そう身体の反応に白旗を上げながら、素直に従って寝落ちした。ドクンドクンと強く跳ねる胸の音がうるさい。落とさんといわんばかりに、抱き締めてくる腕の力も強い。
 ──そういうわけで、私が熟睡している間は仕事ができていなかった。勿論、原因は私である。遅れた仕事の分を手伝った。先輩は、ずっと同じ体勢でいて疲れたのか。今ではデスクに突っ伏して唸っている。(なんで唸ってるんだ、この人)そんなことを思ってたら、先輩が額をデスクに落とした状態で呼んでくる。「千芳」と。苗字は?
「お前、本当。あれ、やめろよ。俺がいったいどれだけ我慢をしたか」
「はぁ」
 超弩級のグダグダ不満垂れ流しモードに入りそうだったので、簡潔に話を打ち切る。それにしても『あれ』って。いったいなんのことだ? というか、名前呼び? 今まで苗字で私のことを呼んでいたのに?
 そういうもやもやを抱えつつ、仕事を続けた。あとは先輩だけの押印である。「あの、さっさと判子を押してください」「うるせぇ」拗ねるな、と咄嗟に出そうになった暴言を引っ込めた。うん、よくぞまぁ寸前で止めることができたな、自分。そうしみじみと感じつつ、先輩を起こした。ジト目で睨まれたが、その前に最後の仕事を終わらせてほしい。
 トン、トン、と判子を押す音が聞こえる。昼の時間がすっかり夜に落ちたことは、流石に悪気を感じた。
「その、今日のことはすみませんでした」
「謝罪の一つでチャラにできねぇ。今度、俺の用事に付き合え」
「はぁ、私にできることでしたら」
 色々と用事があっただろうし、私もあった。自分のせいで開けてしまった穴なわけだし。どう穴を取り返そうか。はぁ、と溜息を吐く。チラリと先輩を横目で見たら、耳が赤かった。(どうして)風邪かな? そうだとしたら、取り返しやすいかも。そう打算的なことを考えながら、先輩の書類が終わるのを待つ。あとは、スキャナするだけだ。
 犬牟田先輩へ遅れた言い訳も、同時に考える。現実逃避に、窓を見上げる。今夜は、月がキレイだ。ポンッ、と最後の判子が押される。
「ほらよ」
「ありがとうございます。おかげで」
 ようやく進みますよ、といおうとしたけど全然離してくれない。「先輩」「あ?」「あの」「なんだよ」つっけんどんだな。会話が一方的にしか進まない。
「このままだと、認定書が破れてしまうんですが?」
 力が拮抗しているから、今は大丈夫とはいえ。コラッ、無言になるな。こらっ! ギギギと先輩の力を見る。このままだと、無限に続きそうだ。なんか、そういう嫌な予感がする。
 パッと手を離す。書類が先輩の方へ戻って、私に渡される。「ほらよ」今度はちゃんと渡される。(なんだったんだ、今の)呆れつつ、全部の書類を貰い終えた。
「はぁ、どうも。では、持って行きますね。ありがとうございます」
 だから、その目はやめてほしいんですが。その、聞いてます? そう視線で尋ねてもダメそうだ。ヒラヒラと手を振り、先輩の執務室を出る。さて、早くスキャナしてデータに取り込まないと。眩む視界を押さえて、自分の仕事に戻った。時間は、限られている。寝ている暇などない。
 廊下を走った。


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