思い切った行動(卒暁後)

 ドンッ! と突然猿投山がテーブルを叩く。突然のことに千芳は驚いた。なぜこのような行動に出たのか? 理由はわからない。皆目見当つかなかった。千芳の注視が猿投山へ向かうと、突然机を叩いた本人が、ゆっくりと顔を上げる。故意に脅かそうとしたり悪戯でやった、ような気配は感じない。ただ、真剣に思いつめた顔だけがあった。先の机を叩いた行為も、出ない答えを打開しようとした故のことだろう。グッと眉間に皺を寄せたまま、口を開いた。
「千芳」
「は、はい」
 思わず敬語になる。距離を取ったことを感じ取ったのか、猿投山は間髪入れずいった。
「デートしねぇか?」
「は、はいぃ?」
 予想外の質問に、千芳は思わず聞き返した。あそこまで思い悩んだように見せて、『デート』だと? 猿投山の考えがサッパリ読めない。呆れ果てる千芳に猿投山は顔を顰めたが、グッと堪える。「なんだよ」と聞き返したい気持ちを堪えて、理由を話そうとした。
「なんか、その。ほら、わかれよ」
「わかりませんよ。理由も話されず、いきなり結論からいうなんて。前後の事態を把握しているならともかく」
 早口で反論をいわれる。猿投山は千芳ほどの口の回りやすさは持っていない。嫌味と思われるほど執拗な理詰めをする犬牟田ほどの回転力も持ち合わせてはいない。猿投山の口からは、咄嗟に反論が出なかった。「ぐぅ」と唸る間に、恐る恐る千芳が近付く。猿投山の様子を見つつ、距離を詰める。腕を伸ばせる距離に入っても、猿投山は動こうとしない。手を繋げる距離になっても、猿投山は動かない。目と鼻の先、ハグができる距離になっても、猿投山は動かなかった。『剥ぐ』ではない。千芳は踵を少し上げ、猿投山に腕を伸ばす。顔を触り、しかめっ面にする筋肉を解した。
「というか、デートなんて。出かけるにもお金が」
「『なんて』っていうなよ。金のことは、今は気にするな」
「気にしますよ。なんだって、どこから捻出するとかそういう。せめて、するなら近場で」
「それだとデートにならねぇだろうが」
 あぁいえばこういう。今日の猿投山は反論しがちだ。千芳はジト目になる。(いつもは『近場でいい』っていったら、そうなるのに)肯定の意志一つすら見せない。なにやら固い意思があるように見える。そこがわからないと、崩せない。千芳は尋ねた。
「なら、どうして近場は駄目だと?」
 否定してきた箇所を聞き返すと、猿投山が黙る。耳まで赤くなり「その」と小声で返してきた。気持ち後退ろうとする。猿投山の顔を覆った両手が、指先で猿投山の頬を撫でた。千芳は動かずにいるのだから、猿投山が自発的にしたということになる。──心理的急所か──。千芳は続ける。
「近場だけでも充分じゃないですか。徒歩で歩くだけでも充分だし」
「いっ、いや! それだと、と、新鮮味がねぇだろ!?」
「新鮮味?」
「そ、そう! そうだ!!」
 これで王手を決めれるとばかりに、猿投山がぐいぐいと押してくる。ゴリ押し、力押しだ。千芳のオウム返しに手応えを感じたようだ。しかし、実際は千芳は猿投山の思うようにかかってはいない。猿投山の反応を見て、続ける。
「と、いうことは?」
「あ、あぁ!」
(どこに腕を組む要素があるんだ、腕を)
 グイッと開いた距離を縮めた千芳に対し、猿投山は胸を張る。仁王立ちに近い。そんなに、先ほどゴリ押しした主張に自信があるのか。千芳は見当違いなことを思いながら続ける。
「新鮮味、トキメキさえ感じられれば、近場でもいいんですね? 普段寄らないところとか、そういう」
「とっ!?」
「あら、違うんですか?」
『トキメキ』というデートに対する重要な単語を口に出すと、あからさまに猿投山が狼狽える。ボッと顔を赤くして、目を逸らす。「あー」と目を泳がせたあと、ポリポリと頬を掻いた。
「っつーと。考えてることは同じ、ってことだな?」
「はぁ? なに考えてるんですか、どこを見ていってます? 私のは、ただの確認です」
「はっ? だったら、どうやってわかったんだよ」
「そりゃぁ」
 相手の目を見るというより、見ていればわかる。殊更猿投山だと、見ているだけでバレバレだ。だが、それを全部いうとなにやら誤解を受ける。千芳は一部だけ伝えた。
「先輩が、とてもわかりやすいからですよ」
 これに猿投山は有頂天になった。「ヘヘッ」と顔を赤らめながら、鼻の下を擦っている。
「照れるじゃねぇか」
「どこに照れる要素があるんです。ちょっと?」
「それだけ俺のことを見てくれてるってことだろ? 照れるじゃねぇか」
「少ない語彙力でも、もう少し説明をお願いできません?」
「照れ隠しだろ? わかるぜ。なんだって、俺の奥義開眼した眼に見れないものなどないからな!!」
「はいはい、ナマコ?」
「ま・な・こ、だッ!! どこをどうしたら棘皮動物に属する体表が柔軟な体壁に覆われており体内に細かい骨片が散らばっているものの食用として捕獲されてるナマコ、別名漢字だと『海の鼠』とも書くナマコと聞き間違えるんだ!?」
「詳しいですね」
「コンニャクと似てるっていわれて調べたからな!? いや、今はナマコについて論じてる場合じゃねぇ! こっ、コンニャクとナマコの違いを説明するのも後だ!!」
「はいはい」
「ナマコじゃねぇぞ? こんにゃくは」
「わかってますよ」
 というか海の生物と陸の植物との違いがあるだろうに。正直ナマコは生物として苦手なため、食用のものも口にしたことがない。生きている原型を保ったまま食べるのは、勇気がいる。と、立て続けに考えたためか千芳の顔が青褪める。自然と視線を床に落とし、口を手で押さえていた。(ナマコが特にないところで助かった)本能字学園においてナマコの『ナ』の字もなかったことに感謝した。もし遭遇していたら、弱味の一つを握られたことに等しい。そう考えている千芳に構わず、猿投山は続けた。
「近場の海に行くにしても、無許可は禁じられているからな。そいつを獲るこたぁできねぇ」
「一旦海洋生物から離れましょうか?」
 言い換えた千芳に猿投山の熱が一旦引く。ジィっと見てきた瞳に、千芳はたじろいだ。
「な、なんですか」
「いや、苦手なのかと思ってよ」
「な、なにいってるんですか」
 語尾が弱い。強い否定形でもない。ジィ―っと猿投山が千芳を見る。奥義開眼前に会得した心眼通を利用されては堪ったものじゃない。慌てて矛先を変えた。
「でっ! なんですか? ナマコ漁だとでもいうんですか。それともナマコを買って実践練習でもするんですかっ!? いっておきますが、食べませんからね?」
 唇を尖らせた千芳に、猿投山は不審に思う。千芳は憤った。
「なんですかッ!?」
「苦手なんだな?」
「食べないだけです! いわれなければ、食べますが」
「ナマコだって?」
「そ、それ以上口に出したら怒りますよ!」
 ここまで攻撃性を見せて、悟ったのか。猿投山は背筋を伸ばし、肩の上で両掌を見せた。『降参』のポーズである。これ以上踏み込まない、との意思表示だ。フーフーッと肩で息をした千芳が落ち着く。
「で、なんでしたっけ? デートの話? それがどうしました?」
「まぁ、そうなんだけどよ。なんっつーか」
 戻った本題に対し、猿投山は然程の興味を抱かない。最初の勇気を振り絞った一言はなんなのか。千芳は訝しく思う。その疑わしい眼差しを気にも留めず、猿投山は千芳の手を握った。
「もう少し、仲を深めたいと思ってよ」
「なっ、なにいってんですか! 馬鹿じゃないですか!?」
「馬鹿な頭なりに考えて、『デート』っていったんだぜ?」
 あぁいえばこういう。時間稼ぎとして出た罵倒も逆に使われた。グッと千芳は奥歯を噛み締める。意識しなくても、顔と頭に熱が集まっていた。
「まぁ、ここから食っちまうのもいいかと思ったわけよ」
「ばっ、馬鹿ですかッ!?」
「おーおー、いわれなくとも自覚してらぁ! で、どうすんだよ。いいのか?」
 え? と聞きながら猿投山が近付いてくる。頭がショートした千芳は、咄嗟にギュッと目を瞑った。肩に力を入れて、倒れないよう気を付ける。鼻と鼻の先が擦れ合う。「ひぃ」と千芳から小さく悲鳴が出た。キュッと脇を締めて、身体を丸めようとする。猿投山の手が宙で止まる。千芳の肩を掴もうとして、迷った。
「据え膳ってぇのは、結構きついんだよな」
 ボソッと呟いた実情に、千芳の羞恥心がMAXになる。これではあれだ、最後までやる気ではないか!? 混乱して猿投山の肩を突き飛ばす。瞬時に自ら身を引いて、衝撃を抑えた。両手で顔を覆い隠す千芳に背丈を合わせ、覗き込もうとする。
「結構、我慢してるんだぜ?」
「ま、まだ、こゅ、っ、ぅう」
 いうのも恥ずかしいのか、途中で舌を噛む。前歯で挟んではないだろう。脳がショートを起こして、舌が回らなくなっただけだ。「はぁ」と溜息を吐きたい気持ちを堪える。据え膳何晩目になるかもわからない。猿投山は行動に出た。
「じゃ、キスくらいさせろ」
「さっ、させろってなんですか! 野蛮人! あほっ!」
「現代人への悪口になるのか? それ。アホっていわれても痛くも痒くもねぇよ」
「ばっ」
 片手が引き剥がされた状態で、千芳は視線だけを猿投山に向ける。顔を横に背け、残った片手で左側を隠しながら罵倒を捻り出した。
「ばか」
 その震えた声色と赤く染めた顔色に濡れた瞳。合致するシチュエーションは一つしかない。グッと猿投山は理性と戦った。理性が「やっちまった方が早い」といい、本能が「今がチャンスなんじゃね?」と囁きかける。どちらも推薦していたが、後がどうなる。今出たら、非常に危うい。ゴウンゴウンと欲望と打算の天秤が揺れる。どっちも答えが出ないものだから、ガックリと項垂れた。猿投山の両手が千芳の肩を掴み、重く首を下げる。まるで頭を垂らした稲穂のようだ。弱々しく、猿投山は呟く。
「駄目なのかよ」
 飼い主に見放された犬のように肩を落とし、泣きそうな声で呟く。その問いに、千芳は明確に答えを出すことはできなかった。
 おろおろと視線を揺らしながら、胸を握り締める。心臓の鼓動を押さえる手を、もう一方の手で覆って押さえつけた。声を絞り出そうとするが、緊張で絞り切れない。ようやく口が動いても、蚊の鳴くような声だった。
「う、うず」
 そう小さな声でも、猿投山にとっては充分だったらしい。バッと顔を上げる。その勢いに物怖じながらも、千芳は離れようとしなかった。ただ、次の行動に移せない。ギュッと目を閉じる。視覚情報を封じた中で考えを整理しようとするものの、ガン見する猿投山の圧が強くなるだけだ。直視できない。千芳は泣きそうな声で頼んだ。
「ちょ、ちょっと目を瞑って」
 先の辛辣な態度から一転してこのようなお願い事をするとは、何事か。「ちょっと黙ってもらえませんか」「少し向こうを向いてもらえます?」などという棘などない。照れ隠しの反動なり好意の反動で生じた棘が抜けていた。
「お、おう」
 思わず猿投山も素直に応じる。千芳の両肩を掴んだまま、目を閉じた。両目の瞼を下ろす。千芳が身体を少しだけ動かし、下の方から猿投山の顔を覗き込もうとした。しかしながら、猿投山はしっかりと目を閉じている。開けるつもりは毛頭もない。
 それで信頼したのか、千芳が行動に移る。ギュッと目を瞑り、背筋を伸ばした。
 踵を浮かして、背伸びをした状態で、チュッと唇を付ける。それで猿投山は弾け飛んだ。


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