良い香り(在学中)

 千芳が近くを通りかかる。ふと、そのときに違和感を感じた。猿投山が動き出す。千芳の後ろに近付き、スッと頭に顔を寄せる。
「なんですか」
「いや、なんっつーか」
 髪に鼻が当たった感触に、千芳が視線と質問だけをやる。それに、猿投山は言葉を迷わせた。視線を左にやり、上へ動かす。気になる事項と千芳の機嫌を損ねない要素の共通点を探したあと、口を開いた。
「シャンプー、変えたか?」
「へっ」
 ポカンと千芳が口を開けた。一番当たり障りのない質問だったはずである──この反応に、猿投山がキョトンと目を丸くした。互いに話がすれ違う。先に気付いたのは千芳だった。
「あぁ」
 一つ頷く。猿投山は何かしらを含む別の意味で尋ねたわけではないらしい。肩の力を抜いて、千芳は答えた。
「変えましたよ。気分転換に」
「ふぅん」
「簡単に気分も上がりますし。ヘアケアもできて一石二鳥です」
「なんつーか」
 説明を続ける千芳に、突然水を差す。本人としては、どうでもいいらしい。その態度に、千芳がムッとする。猿投山は自分の顎を撫でて背を屈めたまま、口に出した。
「花弁を纏ったみたいだな」
「はっ?」
 今度は千芳の方である。発言の意図を飲み込めず、言葉に詰まった。戸惑う千芳を前にして、猿投山は続ける。
「ほら、花弁って生きてんだろ? それと似たようなもんだなって」
「あ、あぁ。良い匂い、ですもんね」
「おう。すげぇ」
 スンッと猿投山の鼻が再度千芳の髪へ近付く。
「食っちまいてぇくらいだ」
 その発言に、サッと千芳が身を引いた。これを面白く思わないのが猿投山である。すかさず顔を顰めて、反論をした。
「んなに引くこたぁねぇだろ!?」
「いや、急にそんなこといわれても。時と場合を考えてくださいよ」
「チッ、褒めてるってぇのに」
「場所が不適格だと、素直に受け取れません」
「ほーう?」
 次はギロリと目が光る。浮かんだ企みを口へ出す前に、千芳が覆いかぶさるように伝えてきた。
「なに?」
「いや、なにも」
 断定的な口調に、なにもいえなくなる。強い詰問に、猿投山は尻込みをした。それに千芳は腕を組む。肩を竦ませて、鼻から深く息を吐いた。明らかに呆れている。ふくれっ面の千芳に、猿投山は考えもせずいった。
「別に、気分で変えてもいいんじゃねぇのか」
「はい?」
「な、んでもねぇよ」
 呟きが千芳に届き、発言の意図を聞き返される。なにも考えなかった身だ。理由を問われても、なんとも答えられない。猿投山は視線を逸らす。それで会話が終わった。
 千芳が去る。それを名残惜しく見つつも、自分の仕事へ戻る。
 後日、千芳が気分により整髪料やボディーソープを使っているとの噂が立った。どうやら、通るたびに良い香りがするものだから、自然と噂が生まれたらしい。その内容を、たまたま猿投山が聞く。そして今度会ったら、前のものに戻すよう伝えようと心に決めた。
(俺の前でありゃぁ、いいものを)
 そんな願望も胸中で零した。


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