彼女が熱中症で倒れたときの話(卒暁後)

 猿投山こんにゃく本舗の出した支店のこんにゃくは、安い。直接店で製造して卸しているものだから、新鮮度が違う。それにこんにゃく惣菜のレパトリーも多いときた。(おばさんの手間を少なくするには、便利なんだよなぁ。それに安いし)ついでに知り合いもいる。流子はマコと一緒に、猿投山こんにゃく本舗の店に入った。開けっ放しの扉を潜る。焼き尽くす日差しと違い、体を冷やす冷風が自分たちを包む。「ひゃぁー!」と感嘆の声をあげて、マコがバタリと倒れかけた。全身が脱力する。その溶けかける横で、流子は口を開けた。
「千芳ー、こんにゃく買いにきたぜー」
 流子だって暑い。エアコンの風にずっと当たりたいが、買い物にきたという名目がある。それに、もしかしたら麦茶の一つも出してくれるかもしれない。「あちぃ」と襟首を抓んで、パタパタ風を送る。店の中を進み、エアコンの前で止まる。そこで千芳の到来を待っていると、違う人物が出てきた。猿投山である。
 バタバタと工房から音がしたとしたら、ヘアバンドで髪を上げた猿投山が登場する。
「なんだ、纏か」
「そりゃこっちの台詞だ! お前、千芳じゃないだろ」
「ったりめぇだ。んで? 注文ってのはどっちだ?」
「あれ? 千芳ちゃんは? 今日休み?」
 買い物タイムに入ったと聞いて、マコがピョンと起き出す。ヒョコっと流子の横から顔を出して、猿投山に尋ねた。写真だけを貼った値札の前で、猿投山が振り向く。キョトンとしていた。それから、困ったように眉を下げる。
「あー、熱中症で倒れちまった。ここんところ続いた猛暑日のせいでな。とりあえず、キツそうだから休ませたってわけだ」
「ふーん」
「ヒェッ、それって大変なヤツじゃん!? やだやだ、千芳ちゃんが茹で上がっちゃうよぉ!!」
「茹で上がってねぇよ!」
「っつか」
 わたわたと心配するマコを余所に、流子が冷静に指摘する。猿投山の顔や首に、汗が垂れていた。
「ちゃんと工房の中もエアコン効いてんのかよ。それでぶっ倒れたんじゃねぇの?」
「る、るっせぇ! ちゃんとかけとるわ!! 気ぃ使ったっつーか、トドメがあれになったというか」
「じゃぁ、とっとと片付けろよ! 中に!! すげぇ熱放ってたぞ」
「あれでバーベキューもできそうだったよ! 今度お肉焼く?」
「焼かねぇよ! いや、そうだが、えぇい! さっさと注文しろ!!」
「こっちに当たるな!」
 マコの調子に狂わされ、無理矢理話を変えようとする。図星と知り、悟られまいと声を荒げる。それに流子は不服を申し立てたあと、素直に注文をいった。
「えーっと、あれとこれな」
「糸こんにゃくもいるよ! 今夜はね、コロッケの中にこんにゃくを入れるからね!」
「おっ、いいじゃねぇか! 満艦飾ンとこのコロッケは美味かったからなぁ。また機会があったら食べたいくらいだぜ」
「千芳ちゃんも?」
「おう。この前いってたぜ。まぁ、今は食えねぇとは思うが」
「だったら、差し入れに持ってくよ! 元気になったときに食べればいいと思うし!」
「ん? だとしたら、千芳が店に立ったときに渡しゃぁいいか?」
「とにかく、今は食えるにしても病み上がりだ。わりぃが、今日渡したら全部俺の腹ン中に収まるぜ?」
「うーん、難しい。でも! ちゃんと食べないとダメだよ!?」
「わーかるってぇの。とりあえず食わせて出かけたからな、今日」
「ふーん」
 腕を頭の後ろに組み、胸を少し反らす。流子は目を細めて、軽く頷いた。──てきぱきとコンニャクを用意しながら、スラスラと質問に答える。なぜか千芳のこととなると、隠す様子がない。外に放置した蓋つきアイスケースと違う──。(多分、隠すとなりゃぁ千芳にとって都合が悪くなるからかねぇ)実際、そういうケースで仲違いして別れるケースも多いとテレビで見た。それらのことを考慮して、ポツリと所感を述べた。
「愛してんだねぇ、中々。仲がよろしいこったで」
「うっ、うるせぇ!! ニヤニヤ笑ってんじゃねぇよ! 勘違いしてんじゃねぇぞ!? こ、男として当然のことだろ!?」
「うわっ、多い、多い! こんなに注文してないよぉ!?」
「揶揄ってるつもりなら、その勝負!! しっかりと買おうじゃねぇか!」
「んなわけねぇだろ。顔が真っ赤だぜぇ? お猿さんよ」
「でぇい! 貴様に構ってる暇などない! 纏流子!! さっさとそのこんにゃくを持って、店から出ろ!!」
「えっ、でもお代金は!? 猿投山せんぱーい!」
「いらねぇよ! 持ってけドロボー!!」
 そう一頻り叫んで、猿投山は勢いよく工房の扉を閉めた。バタンッ! と大きく音が鳴り響く。流子はニヤニヤと笑い、マコはオロオロする。カウンターに、大量のこんにゃくが入った袋が残されていた。どれも注文した量よりも多く、頼んでないものまで入っている。こんにゃくのお得袋だ。
 困ったように、マコは流子を見た。
「どうしよう、流子ちゃん。これ、千芳ちゃんにいった方がいいかなぁ?」
「の、方がいいんじゃね? 絶対あとで怒るぜ? 千芳のヤツ。ついでに千芳の様子も見ようぜ。報告するついでに」
「なっ!?」
 ガラッ! と勢いよく工房の扉が開く。先のマグマが噴火するが如く烈火に火照った顔とは違い、コキュートスのように顔が青褪めていた。サァッと血の気の引いた猿投山が、二人の背中を確認する。既に店の外に向かっていた。
「いっ、いうんじゃねぇ! 余計な口出しをするな!!」
「むーりだぜ。もう貰っちまったもーん。お前ンとこの商品。しっかりと千芳にいわせてもらうぜ!」
「猿投山こんにゃく本舗からタダで貰ったって!」
「やっ」
 ──今までこのことで、何度も千芳を怒らせたことがある。その度に困らせた顔をして、呆れながらもどうにか採算をつけれるよう、苦労をさせたことがあった。その度に、呆れられて捨てられるんじゃないかという不安が胸中を占める──。
 そのことを二度と味わいたくない猿投山は、ダッシュで扉に向かう。既に流子とマコは、店の外にいた。テクテクと真夏日の中を歩く。この死者を出した蜃気楼の季節とは反対に、猿投山の顔は真冬日のように青くなっていた。声を張り上げる。必死の「やめろぉ!」と叫んだ声に、流子はヒラヒラと手を振った。
 ヒラヒラと、なにも振り返ることもなく。その背中は無情だ。猿投山の訴えを無視して、千芳にいうつもりである。自明の理だが、他人の口から伝わるより、本人の口から伝えられた方がまだダメージが浅い。
 猿投山は慌てて、千芳に電話をかけた。ワンコールの後で、千芳が出る。
『はい? もしも』
「すまねぇ! 千芳!! この通りだ! 許してくれ!!」
『はぁ? えっ、どうい』
「わりぃ! とにかく、纏と満艦飾がきたらそういうことだ! この通り!! 許してくれ、千芳!」
『えっ、待って。全然話が飲み込めない』
「なんっつーか、その。話すと長くなっちまうんだが」
 電話越しだからこそ、相手の表情が見えない。今、どう思ってるのかすらわからない。不安と恥ずかしさとで、半泣きになる。言葉をつっかえながら話し出す猿投山に、千芳は一抹の不安を抱いた。
 どうにか、流子とマコが店へ訪れたときの話に入る。コンニャクを携えた流子とマコが、アパートの階段を上る。真実を二人の口から聞くまで、あと数分のことだった。外の外気に当たった千芳の顔が火照る。二人の口から話を聞き終えると、溜息を吐く。耳から外した電話から、必死に釈明する猿投山の声が漏れた。声を張り上げている。ニヤニヤと笑う流子と弁明する猿投山の声に挟まれて、千芳は頭を抱えた。
(恥ずかしい)
 眉間の皺をほぐしながら、ポツリといった。
「人が悪い」
「でも、聞かないよりはマシだろう?」
「そうかも。なにか、飲んでく?」
「おう、お言葉に甘えて。そうさせていただくぜ」
「やったぁ! 涼しい部屋だぁ」
『勝手に上がってんじゃねぇぞ!?』
 電話越しに、猿投山が怒鳴った。それに千芳は目を閉じる。この照れ隠しへ耳を当てる。猿投山の声がより聞こえた。
「話は、あとで聞きますので。今は、仕事に集中してください」
『なっ!?』
 言い方一つで青褪める猿投山の不安を余所に、千芳は通話を切った。ポケットにスマートフォンを戻す。それから、部屋に上がった二人のために、麦茶の用意をした。
 ガチャっと扉が閉まる。チェーンだけをかけて、千芳は台所へと消えていった。


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