サイリウムを振りたい先輩

 カタカタとパソコンに数字を打ち込む。月末調整を楽したエクセルのおかげで、今日の売り上げもすぐに出た。
 赤字だ。
「先輩、今日もあんまりです。もう少し生産量を減らすか、宣伝をした方がいいかと?」
「馬鹿いうんじゃねぇ。ウチの猿投山コンニャクは天下一品なんだぞ!? 売れねぇわけがねぇ……!!」
「確かに、今日の分を見たら先日作った分は売れましたけど、今日の朝残ってる分があるし」
「ん!? このコンニャクは商品としてはもうダメだな……。おい、千芳。食うか?」
「食べます。あーん」
 先輩から差し出されたコンニャクを一口で食べる。もぐもぐと咀嚼すれば、ちょっとあんまりな味がした。くしゃくしゃだ。
「うーん……。今日は揚げ物にしときます? そうだ! アク抜きのやり方を書いたチラシでも作ります? それだと新規のお客さんも」
 提案を投げようと思ったら、先輩の顔が近づく。
 思わずお盆で遮った。
「……なんだよ」
「いや。今は、その、恥ずかしい、し」
「ンだよ。感謝の気持ちを伝えようとしただけだってのに」
「え、っと、その。あの、コンニャク食べたばっかですから。今」
「別に構わねぇよ。大歓迎だぜ」
「わ、私は……。こま、る……ん、です」
「敬語をやめたら、考えてやるぜ」
 お盆のガードを下げて、先輩が鼻にキスをする。
「う……。善処、する」
「おう。そうしてくれるとこっちもありがたいぜ」
「もう先輩と後輩の関係じゃないんだしよ」といって、先輩が腰を引き寄せてキスをする。
 だから、そういうのが恥ずかしいんだよなぁ。
 先輩の頭にズレた手拭いを直して、そう思った。
「あの」
「ん? なんだ?」
「その、早くしないとコンニャクの賞味期限が近くなりますよ?」
 精一杯の事実を告げれば、満足そうな先輩の顔は一転してキョトンとなり、真っ青な顔で慌て始めた。
「ヤベッ! ウチの看板娘が痛んじまう!!」
「そうですよー」
 ほっ。よかったー。
 急ぐ先輩の後ろを歩きながら、私も出したコンニャクを仕舞いにかかった。

 * * * * * *

『猿投コンニャク』は私と先輩のいるコンニャク専門店だ。といっても料理して出すものじゃなくて、店で作って出すものだけど。全国的にコンニャクを出す猿投山こんにゃく本舗と違い、こちらの支店は地域に根差したコンニャク屋を目的として作られたものだ。
 町に一つはあった小さな豆腐屋さんと同じで、店の裏で作ったコンニャクを表の製造用水槽に開けて、先輩がコンニャクを店頭で切り分けたりとかして販売している。なんというか、先輩も傍目から見ればイケメンなのでその先輩の容姿と腕まくりした作業着から覗く腕の筋肉などでおばさま方の顧客も増え、二人合わせて夫婦経営してるっていわれてる。
 なので、一日に一個も売れない日はなく、目下コンニャク完売と販売力の強化を目標としている。
 今日なんかも、出来立てが売れ残って糸コンニャクにした商品を買いに、流子ちゃんとマコちゃんが訪れている。
 なんかのよしみで値引きしてくれよー、といってる流子ちゃんに先輩がキレていた。
 とりあえず、仲裁に入る。
「ちょっと、先輩。それ以上流子ちゃんに突っかからないでくださいよ」
「だって、纏が!!」
「へへーん! 残念でしたぁ! 千芳は私の味方だからねぇ。お前より私の方をとってくれるのさぁ」
「そうです! コンニャク愛が強すぎる猿投山先輩と違って、千芳ちゃんは私たち消費者の味方! ですから、値引きにも応じてくれるはずなのです!!」
「ごめん。それはさすがに無理」
「えー!?」
「ガーン!!」
 本当、二人は仲がいい。スパッと断ったら流子ちゃんとマコちゃんは一斉にショックを受けた。
 後ろで、先輩がドヤ顔して腕を組んでる。
「だろう? ウチのコンニャクは天下一品なんだ。そんじょそこらのスーパーに卸してあるのと訳が違うぜ! なにせ、開店してから店頭に並ぶのは出来立てのコンニャク。それからウチで食べやすいように加工したコンニャクを店頭に並べ」
「といってるけど、実は開店と同時に糸コンニャクとか刺身コンニャクとかも置いてるから、よかったら買いにきて」
「へー。千芳がそういうんなら、きてもいいかもな?」
「じゃあ、今度の帰りにコロッケの材料も買いにくるよー! それで一石二鳥だね!! ねー、流子ちゃん! 千芳ちゃん!」
 ニコーッとマコちゃんに笑いかけられてギュッと手を握られる。どうだろう、お昼近くに開店する手筈だから、帰りに買っていけるのだろうか? それとも半日授業? あ、そういえば朝頃に買いにくるお客さんもいるのかな。今度買い物客に聞いてみようかな。
 と思って流子ちゃんに肩を抱かれたまま先輩の方を振り向くと、なんか先輩は真っ赤な顔をして怒ってた。まさしく『憤怒』ってやつだ。
 ニヤニヤと流子ちゃんは笑う。先輩はぐぬぬと肩をいならせている。
 とりあえず、先輩を落ち着かせた。
「えっと、先輩。落ち着いて」
「だってよー。猿投山?」
「うるせぇ! とっとと買って帰れ!! 纏流子!」
「あぁん? この猿は『お客様は神様です』って言葉を知らねぇのかねぇ? アタシらが買わずに帰ってもいいんだけどねぇ」
「ぐぬぬ……!!」
「まぁまぁ。『お客様は神様』といっても、元は両方ともマナーがなってのことですし。ここは喧嘩両成敗ということで、ね?」
「ね! それにお腹すいたよ、流子ちゃーん。さっさと買って帰ろうよぉー」
「おっ、そうだったな。この山猿さんに付き合うよしみもねぇしなぁ。っつーわけで、会計頼むわ」
「はい。糸コンニャクが三つで九百円」
「ぐぬぬ……!!」
「たっか! もうちょいまけてくれよ。なぁ?」
「ダメだ! ウチのコンニャクは全国的に美味いとされる猿投山こんにゃく本舗の直伝の技で作られたコンニャクだ! ビタ一文まけやしねぇ!!」
「でも、薔薇蔵さん、今医者としてちゃんとしてるんでしょ?」
「闇医者だけどねー。でも、ちゃんと患者さんからお金取ってるし、最近は設備もちゃんとしてきて、患者さんの生存率もグンッと上がったよー!!」
(よく落ちないなぁ、病院)
「買ったらとっとと帰れ! シッシッ!!」
「あー、いいのかねぇ? わざわざ袋田のスーパー寄った帰りにコンニャク買いに来てやっているというのに、いいのかねぇ!? お客の一人が減ってもぉ?」
「ぐぬぬぬぬぬぬぬ……!」
(こっちはこっちで全然言い返せないし)
 唸るだけしかできない先輩を諫めて、流子ちゃんとマコちゃんを見送った。

 * * * * * *

 そんな感じで、私たち『猿投コンニャク』がどのように経営されているかおわかり頂けただろうか。
 朝起きてコンニャクを仕込んで、昼頃に開店。そしてお昼が過ぎたら一旦出来立てのコンニャクは引っ込めて、後ろで加工処理。そのあとそれぞれの種類のコンニャクを決めた盥の中に入れて販売。注文がきたらその都度パックに詰めて販売、と。結構手間がかかるものの、昔ながらの味わいがあって地域に親しまれている店だ。
 それで、先輩は空いてる時間を使って瞑想をしたり精神統一をしたりと剣の修行に使っていたけど……、うん。やっぱりコンニャク愛が強くてコンニャクの方に集中している時間が多い。
 だから定休日を作って営業日をお客さんに周知したり、来月がくる前に予めお互いの予定を相談して定休日以外に休む日を作って、そういったこともあるから店の入り口に――実は透明な引き戸で閉められるのだ――、今月の営業日と定休日を示したカレンダーを貼ったりなどで、やってきたのだ、が。
 こんないきなり、先輩が臨時休業を言い出すとは思わなかったのだ。
「え。今、なんて……?」
「だ・か・ら! 明日ドリコの生誕パーティがあるんだよ!! お前もツイッターやっているだろ? そこでハッシュタグ付けて、みんなでドリコの誕生日を祝うんだけどさ」
「う、うん」
「俺としては、ドリコの為に人肌脱ぎたいってわけよ。だから! 明日は休業してドリコの元に行く!」
「うん、いきなりだね。どうしてそんなことをするの?」
 話が急すぎて、敬語使えない。先輩はさらに嬉しそうに顔を赤らめて話した。
「あー、それは話すと長くなるんだけどなぁ?」
「うん」
「実をいうと、前々からちょっとしたグループにハマっててよ……」
「うん。それは仮面を手渡されて一緒にライブ行ったときから、薄々感づいていたよ」
 流子ちゃんやマコちゃんらも流行ってるらしいね。うん、結構前に流子ちゃんとマコちゃんからそのグループについて聞いたよ。
「それで、その。ドリコっていう人のところに行くには」
「違うぞ、千芳! ドリコはミドリコの愛称だ!!」
「うん、ドリコちゃんの元に行くって」
 一応、ライブに行く際、先輩から熱く語られたのと手渡されたパンフレットである程度は把握している。そのグループはなんというか、薄暗い闇にいる私たちが光へ出れるような、そんな希望を抱かせる輝かしさを持っていて、一生懸命生きているグループなのだ。
 皐月様の後光とは違うタイプの輝きだと、付け加えておく。
「どういうことなの? ライブに行くってこと?」
「いや。ドリコは元引きこもりだし仕事もあるからな。残念ながら、一人でラーメンを食ってるかもしれねぇ」
(あ。結構探したんだ。ログ遡ったのかな)
 先輩の熱心なサーチ力に感心しながら、話を聞く。
「だから、ドリコの元へ」
「先輩。それはストーカーですからね? やめましょうね」
 キツメに注意しておくと、先輩は火を見るよりも明らかに落ち込んだ。マジで落ち込んだ。
「一応、聞きますけど。えーっと、その日はなにをするんです?」
「……ドリコのために、特製コンニャクを」
「作ってもいいですけど、ちゃんとオフィシャルサイトを読みましょうね。ナマモノのプレゼントは大丈夫って書いてありましたか?」
 ますます落ち込んだ。
 正座する先輩に、続けて尋ねる。
「それと、作った特製コンニャクはどうするんです? 先輩が一人で寂しく食べるんですか?」
「そ、それは……!」
「先輩」
 そっと先輩の肩に手を置く。
「コンニャクは、猿投山コンニャクは……、己のエゴの為に作るものじゃないでしょう?」
「千芳……!」
「私たちコンニャクを作る者、売る者として……。一番のかけがえのないものはお客さまに美味しく食べていただける気持ち。なら」
 潤んだ目で見上げる先輩の視線を受けながら、説得を続ける。
「ドリコちゃんに美味しく食べていただけるよう、ラーメンに合うコンニャク料理を開発してみましょうよ……」
「くっ……!! 千芳!」
 別の意味で感動した先輩が、男泣きしながら私に抱き着いた。「そうだよな、その通りだよな! 俺が間違っていた!!」などと叫んで男泣きしている。
 とりあえず、先輩の背中を叩いた。家系ラーメン、食べたいなぁ。特にうずらの卵のぱさぱさ感と半熟卵の組み合わせとスープと麺の組み合わせがたまらないんだよなぁ。
 
 数分後、犬牟田先輩のリークで家系ラーメンを食べるとの情報を得て、その日は家系ラーメンを食べることにした。
 先輩がシャッターに貼る臨時休業の張り紙を書いたんだけど、久々に日本語を書いたせいか「休む」の字を間違えて「体」と書いていた。けど店主の人柄がにじみ出ているような気がするので、バッテン印をした張り紙のまま貼っておくことにした。

 先輩と一緒に真っ暗な店をあとにする。
 店を臨時休業した翌日は先輩とそのグループやドリコちゃんのことを話しながら持ち帰ったコンニャクを料理して、開発したコンニャク料理を賞味したり、夕食の時間になるまでライブ映像やCDを聞いたりとして過ごした。家系ラーメンを食べたあとは残りのライブDVDや一緒にTSUTAYA行ってそのグループのメンバーが出ているDVDがないかなんて探したりもした。
 まぁ、健全に先輩と一緒に楽しく過ごせた日々だった。久々に。
 あと、家系ラーメンは本当に美味しかった。スープの丼にご飯を入れて雑炊にしたりと面白い食べ方ができるんだよなぁ、本当に。631ラーメンはほんとに最高。
 先輩は調子に乗って炙りチャーシューメンとチャーシュー丼とライスを頼んでいた。それでもちゃんと平らげるのだから、本当男の人の胃袋ってすごい。
 私より餃子をパクパクと食べた先輩を思い出しながら、ごはんを作る量、もう少し増やした方がいいかなぁ、と思った。

 先輩は幸せそうな顔をして寝てた。


<< top >>
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -